少数が話すホントの話はウソにされ、多数が話すウソの話はホントになる
フーテン老人世直し録(189)
極月某日
東京新聞が先月末から連載を始めた「戦後70年の経済秘史第5部危機からの証言」が面白い。日本経済は1960年代まで戦後復興、高度経済成長と飛躍的な伸びを見せたが、70年代から石油ショック、円高、バブル崩壊などの危機を迎える。その現場に立ち会ったキーパーソンの証言から日本がどこで判断を誤ったかを探るシリーズである。
日本の経済成長がマイナスに転ずるのは1973年の第一次石油危機がきっかけである。記事は石油危機後に「太陽光発電」を考えた技術者や通産官僚が「原発」に敗れる話や、経済失速の噂が金融不安を引き起こす事例を紹介しているが、フーテンは中でも石油危機の渦中にいた元クウェート大使の証言に強い関心を持った。
イスラエルとアラブ諸国の第四次中東戦争から石油危機は起こる。アラブ諸国はイスラエルを軍事支援した米国などに経済制裁として石油禁輸を発表する。その時、石川良孝クウェート大使はアラブ首長国連邦のオタイバ石油相と秘かに会い、日本への対応を聞き出した。答えは「日本はベストフレンド。供給に心配はいらない」だった。
アラブ諸国が石油価格を引き上げる事はあっても、イスラエルを軍事支援する国ではない日本への供給は減らない。そう分析した石川大使は外務省に「石油不足は深刻にならない」との公電を打つ。ところが日本では「石油がなくなる」という情報が独り歩きし、国民は灯油やガソリンの買いだめに走り、なぜかトイレットペーパーや砂糖の買い占めが起きた。
それが狂乱物価を生み出し田中角栄内閣を直撃する。すべての物価が平均で2割上昇したが、それは原油価格の上昇より、買い占めや便乗値上げがもたらした結果である。そして原油輸入は石川大使の分析通りに減る事はなく、むしろ輸入量は前年より増えた。
石油はなくならないのに「石油がなくなる」との噂が経済混乱を引き起こし、それが日本の高度経済成長を止め、翌74年に成長率はマイナスに転じ、田中総理辞任の引き金となる。
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