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大人の日帰りウォーキング 50代・60代以降は健康な体が資本 楽しく続ける運動習慣は日帰り歩く旅

わか子ライター
旧甲州街道 鶴川宿(山梨県上野原市)

東京新宿にあるバスタ新宿。朝7時05分に出発するバスに乗って山梨県上野原市にある談合坂SAまでやってきた。中央道の下り渋滞より少し早い時間に出発できたのが良かったのか、高速バスは予定通りに到着した。
軽く身支度を整えて歩く日帰り旅に出発した良人と由美子夫婦は、甲州街道で20番目の野田尻宿から矢坪坂の山道を抜けて、21番目の犬目宿を経て22番目の下鳥沢宿を抜けて歩いている。

今日の歩く旅を終えると定年を迎える予定の良人。定年後も会社の嘱託社員として週に4日で働く事にした。これからの仕事を思うと、今までとは全く異なる内容であり馴染めるか不安でもあるが、仕事の事はきっぱりと気持ちを入れ替えようと考えている。これまで十分働いたじゃないか。よく頑張ったと自分で自分を褒めて、同時にこれからの人生についても考える良い機会になっていた。

一年程前、妻の由美子に誘われて街道ウォーキングの旅に出かけた。日頃は全く運動をしていない自分にとって、1日15kmもの距離を歩くのは言葉にならない程の運動量であり大変だったとしか言いようがなかった。しかし、何だか気持ちが良かった。距離は長かったが、一日かけて歩けば何とかなる。何回か歩く旅を重ねていくと、達成感を感じている自分がいた。1つの事を計画し、自分の力で実行してゴールまで頑張る。こういう体験を出来ることが何だか楽しくて嬉しくもあった。
今が節目の60歳。これから自分は何歳まで生きられるのか。頑張って80歳まで生きたとしても、残りは20年。その20年間をどのように過ごそうか。

旧甲州街道歩き(山梨県上野原市野田尻)
旧甲州街道歩き(山梨県上野原市野田尻)

何事も体が資本か。
自分たちの年代では、同年代で大きな病気になったという話もちらほらと聞く。そんな中、こんな話を聞く機会があった。
「誰も、大きな事故や怪我には会いたくないし、癌にも不治の病にもかかりたくない。これは誰もが思う事であるが、自分の意思ではどうしようもない部分も多い。だから、予測できない未来に対して必要以上に不安になることは無いじゃないか。さらに、もし、自分が何年か後に大病をするのであれば、それまでの時間は楽しんだ方が良いのではないか」
なるほど、と思った。必要以上に不安に感じて毎日を過ごしても、自分が楽しいと思う事を満喫して過ごしても、自分の時間は過ぎていく。だったら楽しく暮らす方が良いに決まっている。不安や心配が一概に悪い事ではないけれど、度が過ぎると心が疲れてしまう。心配しすぎて心が病んでしまうのは良くない。人生は楽しい方が良いに決まっている。
一方、生活習慣病による大きな病気になるのは避けたい。これは、自分でコントロールできる領域である。予測できる未来に対して、今の間に病状をコントロールすれば結果は必ず現れる。糖尿病や高血圧、脂質異常症等があると、心筋梗塞や狭心症、脳卒中に罹る率がぐんと高くなる。大きな後遺症を残すことも多いので、今までのような自分の事を自分で出来る日常生活が出来なくなる。しかし、生活習慣病は自分の生活自体を注意して管理出来れば、病気に罹る可能性を下げることは出来る。
これからの20年、自分がしたいことを実行して楽しい時間を過ごそうと思うならば、何事も体が資本であるし、避けられる病気は少しでも避ける方が良い。食生活と運動習慣。とりあえず、歩く旅を続けてきたので運動習慣は付いてきた。と、思っている。

旧甲州街道 山梨県上野原市より大月市に入る
旧甲州街道 山梨県上野原市より大月市に入る

2人は国道20号である甲州街道を歩いていた。江戸日本橋より22番目になる一里塚がこの辺りにあるので、探しながら歩いているが見つからない。JR鳥沢駅の入り口の向こうまで進んでみたが、ここまで食てしまうと通り過ぎてしまっているようだ。
良人は街道歩きを始めてから、その日の歩くコースを下調べしている。インターネットで地図の情報や、街道歩きの先達方がブログやホームページで書かれている内容も参考になる。一方で妻の由美子は街道歩きのガイドブックのような本を購入し、それを見ながら楽しんでいる。効率的なのは由美子の方であるが、自分で解らない事を調べて、それを実行して歩いてわかる楽しみもあると良人は思っている。
2人は足を止めて今まで歩いてきた道を振り返った。今朝、談合坂SAを出発してここまで歩いてきた距離は10kmを越えている。当然、2人の足に疲れが出てきている。
「せっかく、ここまで歩いたのに」
由美子の口から心の声が漏れた。歩く旅は自転車や車での移動と違うと感じるのは引き返す時である。車ならUターンしてすぐの距離でも、歩く旅では歩くしか方法は無い。そして、引き返した分をさらに歩いて戻らなければならないので心が寂しくなる。
「仕方ないよ。一里塚の跡が無くなっているのかもしれないけれど、無いなら無いと確認しようよ」
良人が由美子に声をかけると、自称一里塚ハンターを名乗る由美子は賛成するしかなかった。
2人は重くなった心を動かすように踵を返して戻りはじめた。今度は反対車線も確認しながら、持参している資料を確認しながら慎重に戻ると、50m程で一里塚の跡である木柱が見つかった。

江戸日本橋より22番目の下鳥沢の一里塚跡
江戸日本橋より22番目の下鳥沢の一里塚跡

下鳥沢の一里塚跡には木柱が立てられていたが、ブロック塀と同化しているのに加えて、書かれている字も消えかけていたから気付かずに通り過ぎてしまっていたようだ。2人はその木柱を写真に収めると、少し満足した気分になった。
江戸時代に造られた一里塚の多くは道路の拡張などで取り壊されている場所も多く、ここも国道20号の整備で取り壊されてしまったのだろうか。しかし、最近では旧街道の史跡を保存する動きもあり、塚は取り壊されてしまっていても、その場所に説明版や石碑が置かれている場所も多い。そして、現在で街道ウォークを楽しんでいる自分たちにとっては一里塚を見つけるのは、確実に楽しみの一つになっている。少し寂れた木柱を眺めながら、レアな一里塚に登録だなと、つぶやいていた。

五街道は、情報通信と物資の輸送等に重要なインフラであり、徳川家康が江戸城に入った早々に整備されている。そして、街道を旅人が通行するのに必要な設備である宿場や一里塚も続いて整備されていった。
一里塚は一里≒3.927km毎に造られた塚であり、歩いて旅をする際の距離の目安であり、荷物を運ぶ際の駄賃の目安でもあったという。江戸時代の距離を表す単位は「里」の他には「町」「間」があった。この単位を平たく表すと
1里=36丁=2160間(1丁=60間)であり、なんとも計算がややこしい単位でもある。
距離の中でも一番長い単位の一里であるが、その距離は、旅人が一時間に歩く距離とされていたとある。しかし、3.927kmもの距離を当時では正確に測定するのは難しく地域や場所で距離が違っていたと言われている。平らな場所で人間が早く歩き進める場所では一里は長くなり、上り坂で峠を越えるような場所では一里が短いという訳である。

2人に疲れは出てきているものの、何とか一里塚を見つけられて気分は少し上がり先へと歩き進んだ。程なく次の宿場である、江戸から23番目の上鳥沢宿に着き、明治天皇と書かれている石碑を見つけて、本陣があったであろう場所の前を歩き進んで行った。

今回歩いているコース

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ライター

東京都在住のおばさんです。子育てが落ち着いてきた頃より趣味で登山や街道歩き等を始めました。歩く旅は大変だというイメージがありますが、歩く事で解る楽しみもあります。実際に歩く旅をして、歩く楽しさをお伝えしたいと思っています。

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