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【河内長野市】令和の紀見峠越え天見紀見トンネルが開通!式典後、特別に手前の新トンネルを歩いてきました

奥河内から情報発信奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

昨日の17時から国道371号線(石仏バイパス)が延長しての天見紀見トンネルの併用開始により、そのまま和歌山県への県境越えができるようになりました。この件に関しては令和の紀見峠越えということで、市の在住者である私も非常に注目していました。

広報かわちながの6月号より
広報かわちながの6月号より

トンネルが開通した紀見峠は非常に重要な拠点で歴史上の重要な場面で多く登場します。あらためて紀見峠の歴史をおさらいすると、古代にさかのぼって796(延暦15)年に南海駅路(古代の道名)の新道としての記録があります。

広報かわちながの6月号より
広報かわちながの6月号より

そして816(弘仁7)年に空海が高野山を開創したことで、京都から高野山に通ずる道(高野街道)として紀見峠が頻繁に利用されたと考えられています。

中世のころには、紀見峠を越えて河内領内に入ってきた鎌倉幕府の軍勢を、楠木正成が天見・出合ノ辻で待ち構えて戦いが行なわれたという安満見合戦があります。

また諸説ありますが、九度山で幽閉されていた真田信繁(幸村)が大坂城に向かう際に、紀見峠を越えて河内長野から中高野街道を北上して大坂に向かったともいわれています。

江戸時代の紀見峠は紀州藩が支配しており、1648(慶安元)年に藩が傳馬所(てんまじょ:街道の宿駅)を設置したためそのまま集落となり、現在も紀見峠にいくつかの家屋があります。その中には、世界的数学者の岡潔を生み出した(実際に生まれたのは大阪市内で、幼少のころに紀見峠で過ごしたという説あり)ということで、ゆかりの石碑が複数あります。

紀見峠から見える橋本市内
紀見峠から見える橋本市内

幕末にも維新の先駆けとされた天誅組は、千早峠方面から大和五條に向かったので紀見峠は通っていません。しかし、その後王政復古の大号令のタイミングで高野山で決起した鷲尾侍従隊に合流しようと、天誅組河内勢の水郡善之佑の子、英太郎(清馬・長義)ら旧天誅組の勢力が高野街道を紀見峠に向かって進軍(第二天誅組)したという記録があります。

このように紀見峠は河内と紀州の間にある交通の要所で、今でもアスファルト舗装された山道があるので車で通行できます。また紀見峠付近でダイヤモンドトレール(ダイトレ)と交差しています。

右側に複線化により誕生した紀見トンネルの入口が見える
右側に複線化により誕生した紀見トンネルの入口が見える

公共交通の面では1915(大正4)年に高野登山鉄道(現在の南海高野線)が橋本まで延長し、紀見トンネル(1,562メートル)で県境越えを行なえるようになりました。その後1979(昭和54)年に複線化(全長1,853メートル)の新紀見トンネルが開通)します。

紀見トンネル
紀見トンネル

また道路についても1969(昭和44)年3月に紀見トンネル(1,453メートル)が完成し、鉄道に続いて紀見峠越えがトンネルにより簡単に通過できるようになりました。

和歌山側から見た紀見トンネルにはモックルと南天と観心寺の建掛堂が描かれている
和歌山側から見た紀見トンネルにはモックルと南天と観心寺の建掛堂が描かれている

昭和に開通した紀見トンネルは、当時主流だった横流換気方式(つり下げ天井トンネル)のトンネルです。上部にトンネルの先のことを紹介したイラストが描かれているため親しみが持てるものの、開通から半世紀以上が経過し、トンネル老朽化の問題が起こっていました。

県境の鍋谷トンネルに向かう手前にある父鬼トンネル
県境の鍋谷トンネルに向かう手前にある父鬼トンネル

平成時代に入ると岸和田から和泉市の父鬼街道沿いに新しい国道480号線が誕生します。2017(平成29)年には父鬼バイパスとして父鬼・鍋谷峠トンネルが先に誕生したため、大阪の中心方面から高野山方面に向かう際に河内長野を通らないという事態が生じてしまいました。

和歌山側から見た工事中の天見紀見トンネル
和歌山側から見た工事中の天見紀見トンネル

このままでは河内長野が廃れてしまうという地元の焦りがありましたが、2024(令和6)年の昨日、ようやく新しいトンネル(天見紀見トンネル)が完成し利用できるようになりました。

2023年1月ごろの様子、蟹井神社の近くより
2023年1月ごろの様子、蟹井神社の近くより

昨日6月2日の開通式典はある意味歴史的なことなので、市に相談したところ特別に式典の様子が取材できることになりました。

2022年の近鉄高架化式典
2022年の近鉄高架化式典

ところが少し勘違いをしてました。今回の天見紀見トンネルの開通式典は、ちょうど2年ほど前の2022年5月に、富田林市の近鉄線の高架工事が完成した式典のような印象で考えていたのです。

2022年の近鉄高架化式典
2022年の近鉄高架化式典

このときも大阪府知事や国会議員の方々の参加があり、式典の後は見守っていた近隣住民とともにヘルメットをかぶって高架から線路の様子を皆で楽しめる様子を目の当たりにしたものですから、同じようなイメージになるものとばかり思いこんでいました。ところが今回はそうではありませんでした。

こちらが当日の式典で頂いた資料です。

石仏バイパスが延長されるような形で和歌山県まで続く新しい道路では、併用開始当日に式典と車での通り初め式が行なわれるということでした。つまり近隣住民とトンネルを歩いて渡るということではなかったのです。

資料にはこの日までの歴史が書かれています。1992(平成4)年から事業に着手して、32年かけてようやく完成したのです。

先月撮影したバイパス道
先月撮影したバイパス道

途中経過として2003(平成15)年に第1工区として岩瀬まで、2018(平成30)年に第2工区として天見まで完成し、少しずつ造っていったわけです。ずいぶんと時間がかかりましたが、ようやく第3工区が完成し全線開通の日を迎えました。

さて昨日の開通式典の様子をご紹介しましょう。歩いて会場に入れる状況ではなかったということで、市の関係者のご厚意で会場まで車に乗せていただきました。

いつもにもまして物々しい雰囲気です。複数の国会議員や秘書、議員の代理に加え、大阪府、和歌山県の関係者が多く来ているため、山に囲まれれたいつものどかな河内長野とは大違いですね。ちなみに遠くに見えるのが天見紀見トンネルです。

天見紀見トンネル開通式典の式典会場です。

お祝いのメッセージが寄せられていました。

場違い間丸出しでしたが、報道関係者ということで名前も登録されてましたので、無事に受付を済ませることができました。

式典会場内です。議員(国会、府会、県会、市会)や首長(知事、市長)、秘書ら随行員の方々が並んでいますが、その他にもトンネルのある地区の自治会や地権者ら、関係者の方々も出席しています。子どもの姿も見られました。

居並ぶ来賓の後に見えるのが、式次第です。主催者挨拶と来賓祝辞、来賓紹介の後にセレモニーがあります。

司会者(左から2番目の女性)のあいさつにより式典がスタートしました。

主催者のあいさつは、吉村洋文大阪府知事です。河内長野出身ということで18年間育った町であることと、従来のトンネルは通行が危険だったこと、関係者の方々のお礼を述べられていました。大型車の通行が従来のトンネルよりも通りやすくなるということで期待されているわけですね。

もう一方の岸本周平和歌山県知事からは、和歌山にとって県境トンネルの大切さを話されました。特に南海トラフ地震が起きた時の逃げ道としてのトンネルの役目の重要性の話がとても気になりました。県知事だけでなく和歌山県側の人は本当にトンネルの完成を待ち望んでいることが言葉を通じて非常に伝わりました。

来賓祝辞として国会議員の方々の挨拶がありました。多くの来賓の姿があり、全員の写真を紹介すると大変なので、代表として地元選出の浦野靖人議員の写真を紹介します。

祝辞の後は来賓の紹介がありました。西野修平府議や

島田智明市長の姿がありました。

この後はいよいよセレモニーです。おなか周りだけが緑色をした見慣れぬしろくまを見つけました。和歌山県のキャラクターで「きいちゃん」というそうです。

※ちなみにしろくまではなく、紀州犬であると教えて頂きました。ありがとうございます。

こちらは大阪府の「もずやん」です。今回は都道府県レベルということで、残念ながらモックルの姿はありませんでした。

ここで両者が抱き合っています。今回のトンネル完成により両県がより深くつながったということを象徴しているようです。

テープカットなどのセレモニーの前に、東中学校の吹奏楽部による演奏が行なわれました。東中学校はトンネルのある地域が学区の中学校ですが、演奏を聴きながら東中学の内本校長が昨年ベトナムのグエン・ドクさんを中学校に招いて特別授業をしていたことを思い出しました。

いよいよ、テープカットとくす玉が割られます。

割れる瞬間も動画に撮りました。

テープカットと同時に無事に「開通」のくす玉が割れました。

反対側を見ると、地元の人が様子を眺めています。皆さんこの日を待っていたのですね。

この後は、車での通り初めが行われます。準備を待っている間に道路のすぐ横を南海電車が通過していきました。

パトカーを先頭に数10台の車がトンネルの中に吸い込まれていきます。

こちらも一部動画に撮りました。

ということで無事に式典は終了しました。

ちなみに、天見紀見トンネルの長さは2,105メートルあります。先は真っ暗で見えません。

今回は式典のセレモニーの一環だったので、天見紀見トンネルを私が通ることはできませんでした。

しかし、石仏バイパス延伸という視点で見ると、県境の天見紀見トンネルに加えて手前の蟹井トンネルや菊水台トンネルなども新たな併用区間として開通します。

天見紀見トンネル以外の新しく併用開始されるトンネルは歩いて通ることができました。こちらは蟹井トンネル58メートルです。

蟹井神社の敷地の下側を通っているトンネルです、短いのでトンネルの先がよく見えます。

歩道のようなものがありますが緊急用のものです。併用開始されると歩行者は通れない道なので、歩きながら見つけた貴重な一枚を撮影しておきます。

本当にあっという間に出てきました。

その先に見えるのは、菊水台トンネルです。楠木正成が安満見合戦で紀見峠から侵入してきた鎌倉幕府軍の動きを見張っていたとされる旗尾岳の先端にあり、第二次世界大戦で米軍の動きを監視する防空監視哨(かんししょう)が設置された菊水台の下を通っているトンネルです。

トンネルに向かう途中にはこのような場所がありました。

2022(令和4)年10月に完成した橋で、資料によると小天見橋(78メートル)という名前です。

橋の反対側に来てみました。

菊水谷トンネルの長さは445メートルあると書いてあります。

ところがその下のプレートには2017年に11月に「天見第3トンネル」として開通したと書いてあります。プレートはトンネル開通当初の名前で、7年の間に現在の名前に変わったようです。

菊水谷トンネルの中に入りました。蟹井トンネルと違って出口が遠くにわずかに見えます。

緊急時のための非常電話が備え付けられています。

こちらです。いざというときの消火設備もあって安心ですね。

「30 35」の刻印があります。

式典に参加した人の車が一部残っています。

菊水谷トンネルを歩くと結構な距離がありますね。歩くと445メートルでも結構あります。そう考えると県を越える天見紀見トンネルの長さ2,105メートルは、菊水谷トンネルの4.73倍もの長さがあり、とても歩いて通るのは大変なのがわかります。

菊水台トンネルを抜けると橋が見えます。

橋の名前は資料に記載がなく、調べても出てきません。先ほどの橋の名前には「小天見橋」と書いてあったので、「大天見橋」かもしれません。

ただ、2014(平成26)年7月に竣工したということだけは確かなようです。先ほどの小天見橋が2022(令和4)年竣工だったことから、本当に少しずつ工事が進捗していったことがわかりますね。

ここで市の関係者の方のご厚意で車に乗せていただき、市の中心部に戻りました。画像は中心部方面に向かっている石仏バイパスです。17時以降は併用開始され新しい県境を越える令和の紀見峠越えとして新しい大動脈のひとつとなります。今後、橋本方面に用事がある時に車を使う場合は非常に便利になりますね。

天見紀見トンネル

住所:大阪府河内長野市天見(和歌山県橋本市柱本県境)

アクセス:南海天見駅から車で5分程度

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奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

河内長野市の別名「奥河内」は、周囲を山に囲まれ3種類の日本遺産に登録されるほど、歴史文化的スポットがたくさんある地域です。それに加えて、都心である大阪市中心部に乗り換えなしで行ける複数の大手私鉄(南海・近鉄)と直結していることから、新興住宅団地が多数造成されており、地元にはおしゃれな名店や評判の良い店なども数多くあります。そして隣接する富田林市もまた、歴史文化が色濃く残る地域。また南河内地区の中核都市として、行政系施設が集まっています。これを機会に、奥河内(一部南河内含む)地域に住んでいる人たちのお役に立つ情報を提供していければと考えています。どうぞよろしくお願いします。

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