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【河内長野市】天見にある出合ノ辻の由来に迫る!鎌倉時代末期に勃発した安満見合戦の場をおさらい

奥河内から情報発信奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

南海高野線の天見駅と言えば、和歌山県境にある山の中の駅で、駅の周辺には高級旅館の南天苑や紀見峠、流谷集落に向かう道などを連想しますね。そういえば地域のために日々頑張っておられる駐在さんもいらっしゃいますし、春の八重桜も美しい

しかしそれらとは別に、この天見は古くは安満見と呼ばれていたそうで、中世のころには安満見合戦と呼ばれる戦場になったことがあります。その戦いの名残が出合ノ辻交差点です。

天見駅です。河内長野市内に住んでいても、普段はなかなか来る機会がない場所。正月の流谷八幡のしめ縄神事蠟梅を見るために、流谷まで歩く時に利用しました。

駅前にはハイキングマップがあります。流谷集落からさらに奥に進めば、岩湧の森の四季彩館に行けるルートや、紀見峠からダイヤモンドトレールを伝って岩湧山や金剛山に行けるなど、書いてありますね。

さて、マップを拡大すると、天見駅の反対に「出合ノ辻」との表記。駅からは歩いて5分もかからないところにあります。

地図で確認すると天見駅からは本当に近い場所。高野街道でもある国道371号線の交差点になっています。

ということで、出合ノ辻交差点の前に来ました。さてこの交差点の名前「出合ノ辻」の由来ともいわれている安満見合戦をおさらいしましょう。

京都東福寺の僧・良覚が書いた「楠木合戦注文」という書物があります。これは鎌倉幕府の軍勢が、後醍醐天皇方の武将・楠木正成が立て籠った河内国赤坂城などを攻略したときの様子を見聞した内容で、次のような記載があります。

「今年(正慶二)正月五日,於河内国甲斐庄安満見,致合戦」

つまり1333(正慶2)年1月5日に、ここ安満見で合戦が行われたそうです。

前の年(1332年)に、後醍醐天皇が幕府に対して挙兵した後に捕らえ、島根の隠岐に流されたときに、代わって即位した光厳天皇(後の北朝側)が元号を「正慶」に改元しました。

ところが後醍醐天皇側はそれを認めません。後醍醐天皇(後の南朝側)は、その前の元号「元弘」をそのまま使います。つまり1333年は元弘3年でもあり、ふたつの元号が存在したことになります。

当日の戦いの様子を図で表しました。紀州から河内の楠木正成を討伐に来た幕府の軍勢が、紀見峠を越えてきます。その様子を楠木側は天見駅の北東にある旗尾岳(はたおだけ)で見張っていました。

幕府側が山を降りて谷になっていた安満見に近づいたときに、あらかじめ待機していた楠木軍の小隊(石仏、流谷、紀見峠で待機)が、三方向から一気に幕府軍に襲い掛かり、挟み撃ちになった幕府軍が敗れ去ります。

紀州から入ってきた幕府軍は紀伊国の御家人、井上入道の軍勢(地元の伝承では湯浅・隅田党の軍勢)です。安満見合戦では、井上入道をはじめ50余名が戦死したとのこと。残りの兵たちも降伏、あるいはどこかに逃げ去ったといいます。

その戦いの激戦地が現在の出合ノ辻の交差点のあたりといいます。もちろん当時の道と今の道路は違いますが、いずれにしても知らぬ土地で3方向から攻撃されたらひとたまりもありませんね。

また出合ノ辻のあたりは、天見川と流谷川などの支流がひとつにまとまって改めて天見川として北方向に流れてます。川の合流地点ということもあり、川が出合っている場所という意味もあるそうです。

階段の下に降りると天見川と流谷川の合流点近くに行ける
階段の下に降りると天見川と流谷川の合流点近くに行ける

いずれにせよ、出合いの場所であることは間違いありませんね。川の出合いはともかく、戦いでの敵同士の出合いは複雑な気になりますが......。

また出合ノ辻の近く、流谷方向に行くところに地蔵堂があります。地蔵堂の後方の小高い山中には「王の塚」「見方塚」という名前の五輪塔が立っているそうです。

一説には安満見合戦で戦死した楠木軍の名だたる将軍の墓だそうで、さらに戦死した兵たちを弔うために、地蔵菩薩をお祀りしたとも伝わります。

というわけで出合ノ辻を紹介しました。ここは、特に流谷方面に向かって歩くときにいつも歩いているところ。由来を知るまでは、ただ国道を走る車の通行を気にするだけの場所としか思っていませんでした。

これから流谷など天見に来る機会があれば、安満見の合戦のことや出合ノ辻のことなど歴史を思い浮かべながら横断したいところです。

出合ノ辻
住所:大阪府河内長野市天見
アクセス:南海天見駅から徒歩4分

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奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

河内長野市の別名「奥河内」は、周囲を山に囲まれ3種類の日本遺産に登録されるほど、歴史文化的スポットがたくさんある地域です。それに加えて、都心である大阪市中心部に乗り換えなしで行ける複数の大手私鉄(南海・近鉄)と直結していることから、新興住宅団地が多数造成されており、地元にはおしゃれな名店や評判の良い店なども数多くあります。そして隣接する富田林市もまた、歴史文化が色濃く残る地域。また南河内地区の中核都市として、行政系施設が集まっています。これを機会に、奥河内(一部南河内含む)地域に住んでいる人たちのお役に立つ情報を提供していければと考えています。どうぞよろしくお願いします。

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