【河内長野市】かつて紀伊国との境だった紀見峠。令和の現在はどんな感じ?高野街道を歩いて峠を越えてみた
河内長野の南は県境になっていて和歌山県と接していることはあえて説明もいりませんが、現在県境を越える方法としては南海電車に乗るか紀見トンネルをくぐることになりますね。
しかし、電車もトンネルもない時代に和歌山側(旧紀伊国)に行こうとすると、山を登って紀見峠を越える必要がありました。現在も紀見峠に続く道があるので、今回は歩いて県境を越えてみました。
南海天見駅です。電車に乗れば1駅であっという間に和歌山県に行けますが、あえて歩いてみましょう。
天見駅から、紀見トンネルに続いている国道371号線沿いを歩きます。このまま歩いていけばやがてトンネルに入って和歌山側に抜けますが、その直前に旧道が山道を登るように続いています。
ちょうど振り返ると、「大阪府河内長野市」の看板が見えるあたりに旧道に入る道があります。
国道は多くの車が通っているので、通行中は注意しないといけませんが、紀見峠に向かう旧道はほとんど車が通ることはありません。
峠に向かう山道ですが、1969(昭和44)年3月に紀見トンネルができる前は、車がこの道を走って県境を越えていたのでしょうね。そのためか、道は舗装されていました。
旧国道371号線の表記が、ガードレールに付けてありました。
しばらく歩くと、フェンスが開いていて、その先に別の山道がありました。
情緒の道という名前がついています。このときは雨が降っていたので、この先は行きませんでしたが、舗装された道があまり好きではない人はこの道で紀見峠越えができるようです。
道は舗装されているとはいえ、周りは自然の木々に囲まれています。
先ほどまで降っていた雨が止みました。山に霧が浮かんでいますね。
さらに歩いていくと、そろそろ峠に差し掛かって来たようで、建物が見えてきました。
こちらの建物はトイレのようです。天見駅からはトイレがないので、これは重宝しますね。
ここは、山の尾根伝いに続いているダイヤモンドトレール(ダイトレ)との交差点です。
このように標識があるのでわかりやすいですね。
近くで小さな川が流れていました。峠のあたりなので源流付近なのでしょう。
というわけで、ここは紀見峠ではなく、もう少し先にあるようです。
少し歩くと、今度は反対方向にこういう山道があります。これもダイヤモンドトレールで、まっすぐに行けば岩湧山に行けます。
一部ダイヤモンドトレールと並行して歩いていたわけですね。
情緒の道の石碑があります。先ほどフェンスが開いていた道沿いに歩くとここに出てくるようです。
ダイヤモンドトレールから離れ、もうしばらく歩きます。
しばらく歩くと、和歌山県の標識が見えてきました。
こうして紀見峠に無事到着しました。ここが県境です。
これは歴史街道の標識です。今歩いた道はかつての高野街道だったところなので、自然に加えて歴史的な場所でもあるわけです。
反対の和歌山方向から見ると、大阪府の標識が見えます。改めて見るとダイヤモンドトレールはあくまで大阪府側、つまり河内長野市内を通っていることがわかりますね。
さらに旧国道から登る道があります。歴史的なものがありそうなので、登ってみることにしました。
旧国道から分かれたところには建物があります。昔は旅籠だったそうで、高野街道の宿場町だったようですね。昔の峠越えの片鱗が今でも味わえる通りです。
こちらの石碑は高野山六里道標石というもので、堺から続く西高野街道と高野街道で、1里(約4キロメートル)ごとにこの石碑が立ててあります。
高野山女人堂までの距離がわかるようになっているそうで、現在も設置された13基の石碑が現存するとのこと。ということは河内長野市内にいくつかある石碑を改めて探していかないといけないですね。
その隣には番所跡というのがあります。いろいろ調べると、紀州藩の番所があったようです。昔の国越えの場所ですから、そういったものもあったのですね。さてその横にある看板に何が書いているのか?文字を引用しましょう。
説明看板のすぐ上にこのような立派な木がありました。一瞬二代目の松の木がこれかと思いましたが、松の木らしく見えないので何とも言えません。
さらにこちらには岡潔(おかきよし)生誕の地の石碑があります。岡潔は数学者で、当時誰も解けなかった数学上の問題を次々と解いた人。
あまりにも多くの問題を解き明かしたために、西洋の数学者からは「岡潔」という個人名ではなく、数学者集団の名前だと思われたそうです。
生誕地には墓所もあるようです。
紀見峠からの眺め。もうここから見えるのは和歌山県の風景ですね。
こちらにも、岡潔を記念した石碑がありました。
この地域(和歌山県橋本市)では、凄い英雄だったわけですね。
ここから河内長野側に引き返しても良かったのですが、せっかくなのでそのまま先に進み、紀見峠駅から帰ることにしました。
今も紀見峠には家がいくつもあり、住んでいる人たちがいます。
今度は下りです。
これは旧国道ではなく、さらにその前からあった細い道のようです。
少しずつですが下界に近づいてきました。
途中に祠がありました。
坂を下り、やがて空が開けてきたかと思うと、和歌山県橋本市側の集落が広がっていました。
柿の実がなっています。なにしろ和歌山県橋本の柿の味は、日本一らしいですからね。
というわけで紀見峠駅に到着です。電車ならわずか4分ですが、歩いて県境越えをしてみました。
舗装されている道ということもあり、金剛山や岩湧山のように登山客がいるわけでもありません。しかし、歴史の残る紀見峠。体を動かすのには最適な秋のひと時に、自然と歴史を感じながら歩いてみてはいかがでしょうか?
紀見峠
住所:大阪府河内長野市天見
アクセス:南海天見駅から徒歩60分
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