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「異なる意見を傾聴する」との反省も…文大統領の施政演説、6つのポイント

徐台教ソウル在住ジャーナリスト。『コリア・フォーカス』編集長
22日午前、国会で施政演説を行う文在寅大統領。写真は青瓦台提供。

22日午前、国会で文在寅大統領が「2020年度予算案 施政演説」を行った。毎年恒例で、一昨年、昨年に続き3度目となる、演説では国政に対する反省も明らかにした。内容を丁寧に整理した。

●ポイント1:「公正」と「寛容」

今年11月で任期5年の折り返しを迎える文大統領は、冒頭で「去る2年半の間、わが社会の秩序を『人間』中心に変え、それを安着させるために努力してきた」とし、「『豊かに暮らす時代』を超え『共に豊かに暮らす時代』に向かうために、『核心的包容国家』の礎石を敷いてきた」と国政哲学を説明した。

そして、韓国社会の今を「個人の価値が大きくなり人権の重要性が定着しつつある」と診断した。

さらに、「(韓国社会は)すべての人の努力を保障する『公正な社会』を追求している。そのため、多様な声が出てくるようになり、互いの理解と違いに対する寛容と多様性の中の協力が、どの時よりも切実な時代となった」と分析した。

「公正」そして「寛容」はこの日の演説の大きなテーマだった。理由は、文大統領が今年8月にチョ・グク氏を法相候補に指名して以降、韓国社会に巻き起こった混乱にある。

「公正」については、チョ氏の娘の大学不正入学疑惑が挙げられる。両親が大学教授であることがいかに、子女の学歴の形成に有利にはたらくかが注目され「実力よりも生まれ」と、10代20代の大きな失望を呼んだ。

「寛容」については、9月9日のチョ氏の法相任命後、一か月以上はげしく続く保守・進歩両陣営のデモが関連している。任命に反対する保守派、チョ氏を先頭に検察改革を訴える進歩派に分かれ「国が割れた」と評されるほどの両陣営間の溝が露わになっている。国会をはじめとする政治の機能も麻痺したままだ。

[関連記事]韓国は本当に「国が割れている」のか? (下)文政権の失敗と韓国社会に必要な「癒やし」とは

https://news.yahoo.co.jp/byline/seodaegyo/20191014-00146821/

ソウル市内では週末ごとに、文政権に反対する保守派市民によるデモと、政権を支持し検察改革を訴える進歩派市民によるデモが、いずれも大規模に行われている。写真は10月12日の進歩派市民のデモ。筆者撮影。
ソウル市内では週末ごとに、文政権に反対する保守派市民によるデモと、政権を支持し検察改革を訴える進歩派市民によるデモが、いずれも大規模に行われている。写真は10月12日の進歩派市民のデモ。筆者撮影。

●ポイント2:財政健全性を強調

文大統領はまた、「低成長と両極化(貧富の差の拡大)、雇用、低出産(少子化)・高齢化など、わが社会の構造的な問題解決に財政が先立たなければならない」と強調した。

これらは韓国社会の代表的な課題とされるものだ。特に低出産は深刻で2018年の合計特殊出生率(女性が生涯で出産する子どもの人数)は0.98人と世界で最も低い(日本は1.42)。

文大統領は続いて「予算案の国家債務比率がGDP対比40%を超えない」と財政の健全性について言及すると共に、世界経済フォーラム(WEF)の評価を引用し「国家経済力が世界13位で、マクロ経済の安定性と情報通信分野で2年連続1位になった」と述べた。

さらに「3大国際信用評価機関がすべて、韓国の国家信用等級を日本と中国よりも高く(評価を)維持している」とし、「韓国の経済の堅実性は私達よりも世界でより高く評価されている」と述べた。

なお、韓国政府の2020年度の予算案は513兆5000億ウォン(約47兆5000億円)だ。日本は105兆円規模になると報じられている。

韓国の合計出生率をあらわすグラフ。濃いオレンジ色は出生児の数(千人)、薄いオレンジ色が合計出産率(名)。韓国政府サイトより引用。
韓国の合計出生率をあらわすグラフ。濃いオレンジ色は出生児の数(千人)、薄いオレンジ色が合計出産率(名)。韓国政府サイトより引用。

●ポイント3:4つの目標

文大統領は予算案の4つの目標として「より活力のある経済のための’革新’」、「より温かい社会のための’包容’」、「より正義の実現する国のための’公正’」、「より明るい未来のための’平和’」を掲げた。

(1)革新

まず「革新」については「革新こそが国家の競争力の核心」であり、「未来の成長動力」と位置づけた。

さらにその間、投資を拡大してきた政府を自賛しつつ「昨年の新規ベンチャー投資が史上最高の3兆4000億ウォン(約3150億円)に達し、今年も4兆ウォン(約3700億円)になる」と述べた。さらに、「ユニコーン企業(評価額10億ドル以上で非上場のベンチャー企業)の数が16年の2つから9つに増え、世界6位になった」とした。

また、来年度にはデータ・ネットワーク・人工知能の分野に1兆7000億ウォン(約1570億円)、システム半導体・バイオヘルス・未来の自動車など新成長産業に3兆ウォン(約2780億円)、核心素材・部品・装備産業の自立化にも2兆1000億ウォン(約1950億円)を投資すると明かした。

(2)包容、(3)公正

次に「包容」と「公正」を合わせて、「社会の暗い部分を抱き、葛藤を減らし、革新の果実を皆が共に享受する時に国家と社会の力量も合わせて高まる。これこそが包容であり、公正は革新と包容を可能にする基盤である」と定義した。

この部分で文大統領は、経済指標が好転した部分に言及した。「今年第二四半期の家計所得と勤労所得が過去5年の間で最も高い増加率だった」と述べ、下がり続けてきた貧困層の所得が増加した点を強調した。

また、雇用についても「今年9月までの平均雇用率が66.7%で歴代最高水準である」とし「青年雇用率も12根園ぶりに最高値となった」と胸を張った。さらに「常用職(一時雇用ではない長期雇用)の比重が69.5%となり最高値で、雇用保健の加入者も50万人以上が増えて、雇用の質も改善された」と強調した。

こうした部分は「文政権の雇用は、多額の予算を投入することにより生まれた短期的なものに過ぎない」という野党や保守メディアの指摘を意識したものとみられる。

韓国の国会。演説中には第一野党・自由韓国党が異例とも言えるヤジを飛ばす一幕も。写真は青瓦台提供。
韓国の国会。演説中には第一野党・自由韓国党が異例とも言えるヤジを飛ばす一幕も。写真は青瓦台提供。

一方で文大統領は社会安全網(セーフティネット)の補強も明言した。「基礎生活保障制度(生活保護制度)の死角を無くす」とし、現在は高校3年生のみ無償化の高校教育について「来年は高校2年生まで、再来年は全学年に適用し、高校無償化教育を完成させる」とした。

また、青年層を「社会の未来」と称し、賃貸住宅の供給や雇用面で優遇するとした。

女性についての言及もあった。「女性の社会参加が高まるほど、社会はより成熟し発展する。高齢化に対する代案でもある」と述べ、「(結婚出産などで)キャリアが断絶した女性の再就職に対する所得税の減免支援を拡大する」と明かした。

高齢層に対しては「はたらく福祉を享受できなければならない」とし、「公益的な雇用を13万人増やし、低所得層の高齢者157万人の基礎年金を30万ウォンに引き上げる」とした。

なお、韓国の65歳以上の高齢者の貧困率は40%を超え、やはり社会問題となっている。バラマキという批判にも言及し「それでもはたらく福祉が良いことに疑問の余地はない」とした。

(4)平和

過去2年間の施政演説では、戦争危機から平和への対話へと激動する情勢の変化の中、朝鮮半島の非核化を実現することによる「新しい朝鮮半島の未来」について少なくない言及があった。

その伝統はこの日も例外なく受け継がれた。文大統領は「朝鮮半島は今、恒久的な平和に向かうための最後の峠を迎えている。私達が共に越えるべき非核化の壁で、対話だけがその壁を倒すことができる」と強調した。

今年に入り、米朝非核化交渉が停滞し、その余波を受けるかたちで南北関係も低空飛行が続いている。こうした状況に対し「核とミサイルの脅威が戦争の不安で増幅された、わずか2年前と比べると私達の進むべく道は明白だ。歴史の発展を信じ、平和のためにできる対話の努力を果たすべき」と打開に力を込めた。

文大統領と北朝鮮の金正恩委員長が会ったのは、今年6月の板門店が最後だ。写真は青瓦台提供。
文大統領と北朝鮮の金正恩委員長が会ったのは、今年6月の板門店が最後だ。写真は青瓦台提供。

そしてこのためには「強い安全保障がいる」と続け、「今の安保の重点は対北抑止力であるが、いつか統一されるとしても列強(米中露日を指す)の中で堂々とした主権国家になるためには、強い安保能力が必要だ」とビジョンを明かした。

なお、韓国の来年の予算案のうち、国防費は前年比7.4%増加した50兆1500億ウォン(約4兆6500億円)だ。

韓国は2年連続で平均7.5%を増額しており、史上初の50兆ウォン超えとなった。また、このうち軍事力の強化に使われる「防衛力改善費」は前年比8.6%増加する16兆6915億ウォン(約1兆5800億円)となる見通しだ。

また「4大強国(米中露日)と新南方・新北方(東南アジアと東北アジア)といった戦略地域を中心に、公共外交とODA予算を拡大する」とした。

北朝鮮については「北朝鮮の明るい未来は朝鮮半島の平和定着の土台の上だけで可能である」とし、対話に呼応することを明確に促した。

●ポイント4:ふたたび「公正」へ

文大統領の演説は、ふたたびこの日のメインテーマである「公正」へと向かった。

「国民の多様な声を厳重な想いで聞いた」と、チョ・グク氏をめぐる一連の事態で噴出した世論を想起させ「公正と改革に対する国民の熱望をもう一度切実に感じた」と明かした。

さらにこの国民の要求を「制度に内在された合法的な不公正と特権まで根本的に変えようというもの」と受け止め、「『公正』が土台になってこそ『革新』も『公正』もあり『平和』もある」と拡大して解釈してみせた。

その上で『公正な社会に向けた反腐敗(不正腐敗)政策協議会』を中心に、経済面での公正を追求することを明かすと同時に、「教育での不公正」をただすことに言及した。

[参考記事] 「韓国社会は健全でダイナミック」…チョ法相任命騒動の‘成果’と文政権の今後

https://news.yahoo.co.jp/byline/seodaegyo/20190910-00142003/

また、人事採用や脱税、兵役拒否、職場内での差別などを挙げ「国民の生活の中に存在するあらゆる不公正を果敢に改善し、国民の期待に応える」と語った。

●ポイント5:検察改革

文大統領はまた、社会の注目を一身に集める検察改革についても言及した。「多様な国民の意見は、検察改革が至急であるという点でまとまる」と見解を述べ、「いかなる権力機関も『国民』の上に存在することはできない」とした。

さらに「厳正でありながら国民の人権を尊重する節制された検察権の行使のために、間違った捜査の慣行を正すべき」と続けた。

こうした発言は、捜査権や捜査指揮権、さらに令状請求権や起訴権などを独占し、世界でも類を見ない存在と評される韓国の検察権力を念頭に置いたものだ。チョ氏一家を捜査する過程で、なりふり構わない検察の姿勢は文政権の支持者たちを含む社会の広範囲から批判を浴びた。

文大統領は「法改正をせずともできる検察改革方案は国民に既に示した」とし、その内容として「深夜の取り調べと別件捜査の禁止などを含んだ『人権保護捜査規則』と、捜査過程での人権侵害を防止するための『刑事事件公開禁止に関する規定』も10月内に制定する」と明かした。

そして「検察がこれ以上『無所不為(できないことがないという意)』の権力ではなく、国民のための機関であるという評価を受けるまで改革を止めない」という強い決意を明かすとともに、国会の協力ををうながした。

特に与野党間で異見のある「公捜処(コンスチョ、高位公職者犯罪捜査処)」設置法案について「検察内部の非理(問題)に対し、検察みずからが厳正な問責をできない場合、他にどんな代案があるのか問いたい」と貫徹にやはり強い意欲を示した。

また、「公捜処は権力型の犯罪を正す機構として意味がある」とし、これがあれば「国政壟断事件」、すなわち朴槿恵前政権を弾劾罷免に追いやった巨大スキャンダルも存在しなかっただろうと主張した。

9月6日、国会の人事聴聞会に臨むチョ・グク氏。9月9日に任命されたが、10月14日に辞任した。筆者撮影。
9月6日、国会の人事聴聞会に臨むチョ・グク氏。9月9日に任命されたが、10月14日に辞任した。筆者撮影。

●ポイント6:政治的混乱への「反省」も

文大統領は最後に「共によい暮らしをする大韓民国を考える」とし、「保守的な考えと進歩的な考えが実用的に調和してこそ、新たな時代に向かうことができる」と、政治の発展に言及した。

そして「政治は常に、国民を恐れなければならないと信じる。私自身から、異なる考えを持つ方たちの意見を傾聴し、同じ考えを持つ人達と共にみずからを省察する」と明かし、「過去の価値と理念が、これ以上通じない時代になった」と続けた。

こうした発言は「文大統領の保守派に対する頑なな態度が、国民の分裂をうながしている」という野党をはじめとする批判の声に応えるものと読み取れる。一種の「反省」と受け止めてよいだろう。

文大統領はさらに「ある部分は果敢に推し進めなければならないが、次の機会に先延ばししたり速度を調節しなければならないこともある」と、国政の見直しとも取れる発言を行った。

これは前段での「与党・野党・政府が向かいあって議論するならば、成果を出せる部分(改革)が多い」という発言と相まって、今後、文大統領が野党との積極的な対話に乗り出す信号とも受け止められる。

22日、国会に入る文大統領。隣は文喜相(ムン・ヒサン)国会議長。写真は青瓦台提供。
22日、国会に入る文大統領。隣は文喜相(ムン・ヒサン)国会議長。写真は青瓦台提供。

●まとめ:どう読むか

施政演説だったこともあり、この日の文大統領の発言は広範囲にわたった。全体像を理解できるよう多くを引用したが、その内容はやはり「公正」と「寛容」に要約することができるだろう。時代の精神を反映したものといえる。

その上で、改革を急ぐ部分とそうではない部分を区別するというものであり、よりバランスのよい国政運営を行っていく決意を明かした演説と受け止めることができる。

だが、野党や保守メディアが連日指摘するように、韓国経済の現状をどう捉えるのかについては温度差がある。これについては、本稿はあくまで施政演説を整理する記事であるため、別途検証したいと思う。

なお、日本に関する言及は、過去2年と同様に無かった。「素材・部品・装備産業の国産化と輸入多弁化において、わずか100日の間に意味のある成果が現れた」という部分から、背景にある日本の貿易規制強化措置を連想させる程度にとどまった。

文大統領の演説に対し、第一野党の自由韓国党は「大統領は革新・包容・公正・平和を口にする資格をすでに失った」と全面的に反発した。

だが、こうした反応は保革の対立が最高潮に達し、その勢いを維持したい野党の立場からは当然のものと言える。

国政の停滞を乗り越える決意を示した文大統領が、残り半分の任期のスタートをどう切るのか。来年4月の総選挙の結果はもちろん、二大政党によるマンネリズムが危惧される韓国政治の未来をも占うことになるだろう。(了)

ソウル在住ジャーナリスト。『コリア・フォーカス』編集長

群馬県生まれの在日コリアン3世。1999年からソウルに住み人権NGO代表や日本メディアの記者として朝鮮半島問題に関わる。2015年韓国に「永住帰国」すると同時に独立。16年10月から半年以上「ろうそくデモ」と朴槿恵大統領弾劾に伴う大統領選挙を密着取材。17年5月に韓国政治、南北関係など朝鮮半島情勢を扱う『コリアン・ポリティクス』を創刊。20年2月に朝鮮半島と日本の社会問題を解決するメディア『ニュースタンス』への転換を経て、23年9月から再び朝鮮半島情勢に焦点を当てる『コリア・フォーカス』にリニューアル。ソウル外国人特派員協会(SFCC)正会員。22年「第7回鶴峰賞言論部門優秀賞」受賞。

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