文在寅「安倍は爪のあかほども配慮ない」報道の‘危険性’
●ヤフートップに注目記事
12日午後、Yahoo!ニュースのトピックスに「韓国の文在寅氏、安倍氏に不快感 『爪あかほども配慮ない』と回顧」という記事が掲載された。
北京共同、つまり共同通信北京支局から配信されたもので、内容は韓国の文在寅(ムン・ジェイン)前大統領が今年5月に出版した回顧録の一文を引用したものだった。
2017年の日米韓首脳会談の席で、安倍首相が米国のトランプ大統領の面前で文大統領(いずれも当時)に対し、在韓日本人を日本に退避訓練の必要性を主張したという。
これに文大統領は強い不快感を感じ、その時の気持ちを(韓国に対して)「爪のあかほどの配慮もない」と回顧録を通じ明かしたと紹介している。
記事では文前大統領による安倍元首相への不満が繰り返し書かれている。朝鮮半島情勢の安定に向けた対話努力を「安倍氏は全く支持する考えがなかった」というものだ。
●恣意的な翻訳?
何気なく記事をクリックした私の脳裏に、疑問符がよぎった。どこにこんなことが書かれていたのか、すぐに思い出せなかったからだ。
私は出版直後に648ページにわたる同書を読破した。
確かに安倍元首相に対する批判は随所に書かれていたものの「爪あかほども配慮ない」という表現を読んだ記憶はない。
気になって仕方ないため、家に戻り同書を手にとって調べてみた。
すると610ページに該当部分があった。少し長くなるが前後を含めて翻訳してみる。
外国にいる自国民を有事の際に退避させるための図上計画(ペーパープラン)のようなものがあります。
必要ならば自らの図上計画を強化すればよいのであって、実際に訓練を行うと言うのは、韓国はもうすぐ戦争が起きる国であると危機感を高める行いです。
韓半島(訳注:朝鮮半島)の緊張を管理しようと努力する私たちの立場に対するわずかな配慮もなかったのです。
共同通信が「爪あかほども配慮ない」とした部分は「わずかな配慮もなかった」とした。
原文でこの部分は「눈곱만큼」と書かれている。ネットで調べると辞書では「つめのあかほど」と出ている。
つまり共同通信の翻訳は間違いでない。しかしそのまま記事に使うには望ましいものではない。どういうことか。
●「盗人猛々しい」の記憶
周知のように日韓関係は文在寅政権時代(17年5月〜22年5月)に悪化した。
17年12月の「日韓慰安婦合意」の検証結果発表から、18年10月の「徴用工裁判」における日本企業敗訴、同12月の韓国軍による「レーダー照射」疑惑、19年8月の日本政府による韓国への「ホワイト国からの除外(半導体素材の輸出規制強化)」など、坂を転がるように悪化していった。
ここでそれぞれの出来事にはいちいち触れない。
その代わり一連のニュースを伝える過程で、日本メディアが「侮辱スレスレの文在寅批判」に傾倒していった点を指摘したい。
理由は明白で、文氏を批判するほど記事が読まれるからだった。背景には日本社会にはびこる嫌韓情緒と、力を付けてきた韓国への反感や苛立ちがあった。
特に記事タイトルに「文在寅+反日」を入れるのは鉄板だった。
17年5月から新型コロナ拡散が始まる20年1月以前までは、こうすることで通常の5倍〜10倍のクリック数を稼げた。業界で知らない者はいない事実だ。今も似たような記事があるが、同じ理由からだ。
それでも、週刊誌やネットメディアはともかく、さすがにマスメディアは公にこういうことはしない。常識的に許容されるギリギリの線を攻めることになる。
その結果として現れたのが「盗っ人猛々しい」という見出しだった。
朝日新聞は文大統領が日本政府と全面対決する姿勢を表明したことを伝える19年8月2日付け記事の見出しを、「文大統領『日本、盗っ人猛々しい』 ホワイト国除外で」とした。FNN(フジテレビ)も同様の見出しを取った。
この時の「盗っ人猛々しい」は文大統領が日本政府に向けて使った韓国語の四字熟語「적반하장」を訳したものだ。漢字では「賊反荷杖」となる。
辞書的な意味では「悪人が食ってかかることの例え」とあるが、日本語では「居直る」や「道理に合わない」と訳すのが正しい。
それにもかかわらず敢えて「盗っ人猛々しい」という表現を使った背景には、煽りの意識があったはずだ。
「文在寅は反日」という記事を読みたい日本社会のニーズに合わせ巧みに表現をマッチさせた上に、大新聞社としてのプライドも満たす、プロの仕事だった。
●いずれ災いを招く
翻って冒頭の記事。これはどう判断できるか。
「爪のあかほど」でよいのか、それとも「わずかな」と訳すべきだったか。私なら後者にするが、記事のインパクトを考えたことで、どぎつさのある前者を選ぶことになったのだろう。
もしくは単純な翻訳ミスが考えられるが、日本一の通信社・共同通信にそれは考えられない。
記事のコメント欄には実際に「文在寅は反日」という文字が躍る。
一時ほどではないにせよ、未だ日本社会に根強く存在する韓国嫌いな層に記事がしっかりと届いていることを示している。
さらにYahoo!ニュースのトピックスに掲載されたことで、ページビューも桁違いだろう。共同通信にとっては悪くない結果だ。
しかし日本社会を考える場合、これで良いのかと問わない訳にはいかない。
この表現によって、日本の読者が文前大統領の在任当時の考えを正確に理解するきっかけが失われはしなかったか。
また、この表現が排外主義的、嫌韓的な考えに養分を与えなかったか。記事に関わった方にはもう一度、胸に手をあてて考えていただきたいものだ。
メディアによる小さな煽りの積み重ねが大きな災いを招いてきた歴史を、決して忘れてはならない。