韓国は本当に「国が割れている」のか? (下)文政権の失敗と韓国社会に必要な「癒やし」とは
前回の記事では、デモの現場から市民の声を紹介した。後編ではこの状態をどう診断するのかを専門家の声を借りて整理する。「国が割れている」のは「一つになる可能性があった」からに他ならない。
韓国は本当に「国が割れている」のか? (上)保守・進歩派デモの現場を歩く
https://news.yahoo.co.jp/byline/seodaegyo/20191014-00146794/
※この記事の大部分は、14日のチョ長官本人による辞任表明の前に書かれた。記事には最新の情勢を反映したが、3日、5日のデモを取材した当時は、チョ長官の辞任に関する言及がなかった点を明記しておく。
●デモの「本質」はどこに
筆者は双方のデモに足を運び、参加者の想いを聞いてきた。もちろん、全員に話を聞くことはできないが、できるだけ掴もうと心がけたのは「いかに合理的な拡張性を含んでいるのか」という部分だった。
なぜか。デモには全体を引っ張る先鋭的で激しい主張が必ず存在するし、多くはその部分が切り取られて報道される。だが実際には常識的な間口の広さがいかに明確なのかが、デモが社会を動かす力になり得るかどうかを判断する基準となる。
保守派デモにおいては「文在寅処刑、朴槿恵無罪釈放」などの極論ではなく、チョ長官が一家の不正疑惑にもかかわらず辞退しなかった点を問題視したり、否定世論を無視して任命に踏み切った文在寅政権に批判する事などがこれに当たる。
一方の進歩派デモにおいては「何がなんでもチョ長官を守護する」という声よりも、検察改革という韓国社会の長年の課題の迅速な実現を求める部分がこれに当たる。チョ長官がいなくとも検察改革が必要だし、可能でなければならないという声だ。
もちろん、保守派デモにおける極論派(極右派)と「チョ長官守護」を主張する人を同列に並べることはできない。極右派の主張は完全に一線を超えているからだ。だがここでは便宜上、強い感情論・陣営論の表れとして分類しておく。
この視点で見る場合、双方のデモには間口の広さが存在するが、実際には陣営を飛び越すような動きに至っていない点は興味深い。これはあくまで筆者の感覚に過ぎないが、韓国の多くの市民は双方のデモが「勢力あらそい」であるという本質を見抜いている。長年続いてきた保革対立の枠を出ないということだ。
ではなぜ、今になってことさらに「国が割れている」と表現されるのか。それは「一つになった(と思われたものが)が再び割れたから」という考えが根底にあるというのが筆者の主張である。
●文在寅政権への期待「8割」が持つ意味
「今日から私は、国民すべての大統領になります。私を支持しなかった国民ひとりひとりも私の国民であり、私たちの国民として仕えます。私はあえて約束します。2017年5月10日、この日は真の国民統合が始まる日として歴史に記録されるでしょう」(2017年5月10日、大統領就任辞、文在寅)
「新政府は5.18民主化運動とろうそく革命の精神を仰ぎ、この地の民主主義を完全に復元します。光州の英霊たちが心安らかに休めるよう、成熟した民主主義の花を咲かせます」(2017年5月18日、光州民主化運動27周年記念辞、文在寅)
16年10月末から17年3月までの約半年間、韓国では毎週土曜日に「キャンドルデモ(ろうそくデモ)」が行われた。特に11月から12月上旬にかけては、史上最大規模のデモが5週にわたって続いた。
当時のスローガンは「朴槿恵は下野しろ」というもの。40年来の知人である崔順実(チェ・スンシル)氏が国政に関与し、朴大統領との関係をかさに不正をはたらいていた疑惑がデモのきっかけとなり、権威主義的な朴大統領の政権運営に不満を抱いていた人々の怒りが爆発した。民主主義を回復することが時代の要求となった。
そしてこのうねりは政治家を動かした。16年12月9日、国会で「憲法違反」を犯したとする朴槿恵大統領の弾劾訴追案が可決された。賛成票は234(有効投票299)。300議席の韓国で、約8割の議員が弾劾に賛成したことになる。
韓国は4年ごとに総選挙があるが、当時の国会議員と今の国会議員は同じ顔ぶれである。つまり今、文大統領に強く反対している自由韓国党(当時はセヌリ党、128議席で最大政党)議員の約半数が離反したのだった。
また、これに先立つ12月6日に『リアルメーター』社が発表した世論調査によると、78.2%が朴大統領の弾劾に「賛成する」と答えていた(反対は16.8%)。
さらに、冒頭の光州における文大統領の演説後の17年5月22日にやはり『リアルメーター』社が発表した世論調査で、82.3%が文在寅大統領の国政の展望に「肯定的」と答えた。いずれも8割を超える数字だ。
なお、1987年の民主化を促進する大きな原動力ともなった1980年5月の光州民主化運動とは「暴動なのか、民主化運動なのか」と、その解釈をめぐって保守派と進歩派が激しく争ってきた韓国の現代史における一大事件である。
この追悼式で文大統領が語った「民主主義を復元する」と、就任辞で述べた「国民の統合」という言葉。弾劾に賛成した8割以上の市民はこれを「新しい時代の始まり」、つまり「合理的な考えができる保守派と進歩派の市民が、共に理解しあって暮らす社会の到来」として受け止めていたのである。
当時、「朴正煕―朴槿恵パラダイムの崩壊」という言葉がメディアでもてはやされたように、権威主義的な政治が幕を閉じ、長くにわたる両陣営の対立も新時代に入る、と筆者も思っていた。単なる「任期初めのプレミアム」にとどまらない期待だった。
だが今、盛んに使われる「国が割れる」という表現は、こうした期待が政権発足から2年を経て、完全に終焉を迎えたことを表している。陣営を超えた8割の時代の要請に文在寅政権が応えられなかったということだ。
●文大統領の認識、与党の認識
だがどうやら、こうした認識は文大統領や与党に共有されていないようだ。
文大統領は今月7日の主席補佐官会議の席で以下のように見解を述べた。少し長いが引用する。
最近になって表出している国民の多様な声を厳重な言葉として聞きました。政治的な事案に対し、国民の意見が分かれることはあり得ることで、これを国論分裂とは考えません。
特に代議政治が十分に民意を反映していると考えない時に、国民が直接、政治的な意志表示をすることは代議民主主義を補完する直接民主主義の行為として、肯定的な側面もあります。そうした側面から自身の貴重な時間と費用を直接かけて、直接声を上げてくれる国民に感謝しています。
しかし、政治的な意見の差が活発な討論の次元を超えて、深い対立の溝に陥ることや、すべての政治がこれに埋没することは決して望ましいことではありません。
多くの国民たちが意見を表現され、社会全体が傾聴する時間を持っただけに、これからは問題を手続きに沿って解決していけるよう知恵を集めてくれることを望みます。
政治圏(政界)でも山積した国政と民生の全般を、共に確認することをお願いします。多様な意見の中でも一つに集まる国民の意志は、検察の政治的な中立保障と同じくらい検察改革が至急であり、切実であるということです。
政府と国会すべてがこの声に耳を傾けるべきです。国会は高位公務員非理捜査処と捜査権調整法案など、検察改革と関連する法案を迅速に処理して欲しいとお願いします。
筆者はこの発言を読み返してみて、違和感を感じずにはいられなかった。文大統領が取り上げているのは進歩派の声だけであり、保守派の声は黙殺されているからだ。こうした保守派を無視する姿勢が文政権には色濃くある。
一方、与党・共に民主党の李仁栄(イ・イニョン)院内代表は7日の最高議員会議の席で、5日に瑞草洞であった進歩派による「検察改革デモ」を「完璧なキャンドル市民革命の復活だった」と評した。
また、「数日前(10月3日)の自由韓国党による光化門前デモと克明に対比される」とし、その根拠として「動員もなく、罵詈雑言もなく、ゴミもなかった」と述べた。
だが、筆者はこの認識はデモの様子を一面的に捉えているに過ぎない我田引水と見る。前述したような2016年における「保守・進歩市民の連携」という流れが今回のデモにはないため、「キャンドルデモの復活」とは言い難い。
●進歩派の元老政治学者、語る
ここで筆者はもう一度、「キャンドルデモ」の意味を考えてみたい。この問いに答えるためには、今年4月、筆者が韓国の民主主義研究の泰斗・崔章集(チェ・ジャンジプ、76歳)高麗大学名誉教授との間に行ったインタビュー内容をいくつか引用する必要がある。
崔教授は朴槿恵前大統領の弾劾から文在寅政権発足に至る道筋を、「保守と進歩の協力構造が作られ、期せずして左右の連合が可能な状況となったもの」と見なし、「過去にはなかった機会」とその価値を表現した。
さらにこれを「民主主義をアップグレードする好機」と見なし、現実的な課題として、▲権威主義化した国家機構を民主化することと、▲イデオロギーに基づく両党(共に民衆党・自由韓国党)体制を社会的に多元化し、合理的な問題解決を可能にすること、の二点を挙げた。
そして、「すべての良い条件がそのまま実現されるならば、これは韓国社会が(1987年の)民主化を通じても変えることができなかった理念の対立構造、つまり、南北分断がそのまま韓国社会に転移した対立構造を明確に緩和させる契機になったかもしれない」と力を込めた。
だが、崔教授は「このようなとてつもない革命的な変化を受け止めて実現する政府を韓国社会は作れなかった」と嘆く。そしてより直接的な「失敗」の理由として文政権が掲げた「積弊清算」を挙げた。
国税庁・検察・警察・国家情報院などを改革し、さらには政経癒着をはじめとする過去から積み重なってきた韓国社会にはびこる悪弊を一掃するという公約だが、これについて「保守政党を包容し協力していく構造ではなく、保守政権そのものを積弊と規定し清算することで『保守の排除』に向かった」と診断したのだった。
崔教授はさらに韓国における保守の占める位置をこう指摘する。「韓国は南北分断の70年以上にわたって冷戦が続いてきた。だからこそ、保守を否定するのは有り得ないことだ。分断国家じたい、保守が作った社会であり国家であるからだ」。
韓国では実際に、1948年の政府樹立から98年の金大中政権樹立まで、短い期間を除き保守政権が続いた。そして98年から08年までの進歩派政権を経て、再び08年から17年まで保守政権となった。分断以降、70年の歴史のほとんどを保守政権が占める。
つまり、保守の否定は韓国の歴史の否定につながるという論理だ。「朴槿恵政権の失敗により保守が壊滅した訳ではない」と崔教授は続け、「保守を尊重し(政府運営に)参加させ、対話し妥協する過程で対話による解決がいる」と主張した。
その上で、文政権の非慣用的な政権運営の底に「高い支持率からくる過信があった」とした。「積弊清算を通じ韓国社会に根本的な転換をもたらそうとした文大統領と、86世代の民主化運動を行った学生運動勢力による判断ミス」(同)という見立てだ。なお、前出の与党・共に民主党の李仁栄院内代表は、代表的な「86世代」の政治家だ。
ここまでを考える場合、今回のチョ長官の任命に端を発する一連の騒動は、「保守派を社会の一員と見るのか」という本質的な問いを、進歩派の文在寅政権に今一度投げかけていると見ることができる。
だが、崔教授の見通しは暗かった。「文政権にはキャンドルによる高い期待があったために、失望が早く訪れるしかない。保守陣営は戦列が整わないまま自らを改革する必要もなく、漁夫の利で再び地位が自然と強くなってしまった。これは良くない状況だ。文政権の残り3年は厳しいものになる」。
引用しているインタビューは4月のものであるが、半年後の今、崔教授の懸念が顕在化していると筆者は見る。
韓国では来年4月、すべての国会議員が入れ替わる総選挙が行われる。だがこのまま行くと、議席数のほとんどを再び進歩派と保守派が分け合うことになり、国会の空転が4年間延長されかねない。その場合、両陣営の溝はより深まることになるばかりか、韓国の民主主義が形骸化する可能性さえある。
●「癒やし」の必要性
ふたたび話をデモに戻す。
異なる主張をする数十万人が毎週のように集まるというのは、尋常な事態ではない。直接民主主義の熱気といえばそうだが、ついぞ埋まらない溝を感じさせ、熱心に参加する当事者以外には政治への忌避を招きかねない。
そしてこれまで述べたように、この溝は南北の分断と未だ終わらない朝鮮戦争・南北対立に端を発しており、今後の南北関係次第でいつでも極大化する可能性がある。
自陣営の主張の貫徹ではなく、折り合うことの大切さ。もちろん、進歩派の立場からは李明博・朴槿恵の保守政権が過去9年の間に見せた姿を前に「絶対に折り合えない」と考えている節は理解できる。
ならば、現在の自由韓国党の指導部のような強硬派ではなく、合理的な保守派との対話を試みてはどうか。
折しも14日、チョ長官は電撃的に辞意を表明した。文大統領はこれを受けた会見で「結果として国民の間に多くの葛藤を呼び起こした点について、とても申し訳なく思っている」と述べる一方、検察改革への意欲を見せた。
だがそれと共に、文大統領は「国政を一段階高める最後のチャンス」とも言えるこの機会を逃してはならないだろう。
実は、筆者が保守・進歩派のデモの現場を歩きながら感じたのは、他でもない悲壮感だった。見かけの楽しさの裏に、あまりにも張り詰めたものがある。
その時に思い浮かんだのが、崔教授がインタビューの最後に「現代史を生きてきた知識人として、初めて話すこと」と明かしたある言葉だった。これを引用して、まとまらない記事を終わりにしたい。
「韓国は独自の近代化に失敗した時から、険しい歴史を歩んで来た。そしてその中で、内部に多くの傷を負い、理念的に分裂した共同体となっている。だからこそ、これを治癒していく努力をしなければならない」。(了)