IS拠点へのフィリピン軍の最終攻勢:IS「落ち武者」の次の標的としてのオーストラリアとバチカン
フィリピンのミンダナオ島で、マウテやアブ・サヤフをはじめとする「イスラーム国(IS)」系組織がマラウィを占拠し、フィリピン軍と衝突を始めて約3ヵ月。
8月22日、フィリピン軍はマウテが拠点としていたマラウィ警察署を奪還。24日にはマラウィの大モスクも奪還されました。
これらを受けて、27日にはフィリピン国防相が「マラウィ攻略に向けた最終攻撃の準備に入った」と言明。さらに30日には、マラウィの500メートル四方の区画にマウテなどが追い込まれていると発表されました。ミンダナオ危機は大きな節目を迎えています。
しかし、これと前後して、フィリピンのIS系過激派はフィリピン国外でのテロ活動を活発化させる方針を打ち出しています。それはちょうど、ラッカやモスルで追い詰められるにつれ、ISがシリア、イラク以外での攻撃をエスカレートさせてきたことと同様です。
フィリピンのIS系があげた標的には、オーストラリアだけでなく、カトリックの総本山バチカンが含まれます。フィリピンでの掃討作戦が大詰めを迎えるなか、「テロの輸出」は他のイスラーム組織との競争により、さらに加速するとみられるのです。
外部への呼びかけ
ミンダナオ島のマラウィを拠点とするマウテなどの過激派は、シリアやイラクを逃れてきた外国人戦闘員だけでなく、誘拐してきた子どもなどを含むミンダナオ島出身者から構成されます。しかし、戦闘による死者を比較すると、8月末までに兵士や警官が130人であるのに対して、テロリストは603人。その死者数の多さからも、マウテなどが追い詰められる様子がうかがえます。
ミンダナオ島での戦闘が不利になるにつれ、マウテなどIS系組織は外部へのメッセージを頻繁に発し始めています。そのなかで、まずやり玉にあげられたのはオーストラリアでした。
8月8日、ISの「首都」ラッカから発せられたビデオメッセージでは、オーストラリア人のIS戦闘員が、オーストラリアによるフィリピン軍の支援を理由に、オーストラリアでのテロ活動を呼びかけました。さらに8月24日にマラウィから発せられたビデオメッセージでは、オーストラリアは「米国の番犬」と呼ばれ、主な敵と位置付けられました。
オーストラリアの関与と警戒
過激派掃討の最前線に立つフィリピン軍は、長年の同盟国である米国から訓練などを受けています。しかし、オバマ政権時代から関係が悪化していたドゥテルテ大統領は、米国からの支援の受け入れに総じて消極的とさえいえます。
例えば、8月7日にティラーソン国務長官がドローン(無人機)による空爆支援の用意があると発言したのに対して、フィリピンのロレンザナ国防長官は「二国間にそのような議論はない」とこれを否定。米国への反感を支持の一つの手段としているドゥテルテ政権にとって、「米国への借り」は避けたいところです。
米国との関係に消極的な一方、フィリピン政府は周辺国との協力は積極的です。そのなかには6月に始まったインドネシアやマレーシアとの共同海上監視、7月からのシンガポールによるP-3C哨戒機の派遣、シンガポール軍が保有する市街戦訓練施設の使用協力、偵察用ドローンの供与といった東南アジア諸国との協力だけでなく、オーストラリアとのそれも含まれます。
オーストラリア軍は6月から、ミンダナオ島にP-3C哨戒機を派遣してきました。フィリピン軍は作戦においてヘリや戦闘機を用いていますが、錬度が低く、空爆で友軍を殺傷する事態も発生しています。また、現場がフィリピンのムスリム住民が集中的に暮らすミンダナオ島のなかでも、さらにムスリムが多いマラウィであるだけに、民間人が犠牲になる空爆にはムスリムを中心にフィリピン国内でも反対の声があります。そのため、陸戦中心にならざるを得ないフィリピン軍にとって、空中での情報収集は作戦遂行に重要な役割を果たしてきました。
オーストラリアは東南アジア諸国との関係が深い一方、ヨーロッパ諸国や米国と同様に国内にムスリム社会を抱え、さらにイラクで空爆を行う有志連合にも参加しています。そのため、以前からISによるテロへの警戒が続いてきました。オーストラリアにとってフィリピンでの作戦を支援することは、自国の安全保障にかかわるだけでなく、フィリピンと西側のつなぎ役という意味もあり、さらには中国や北朝鮮への対応で手いっぱいになる米国の肩代わりをする側面もあります。
一方、マウテなどからみるとインドネシア、マレーシア、シンガポールなどはISが一方的に設定した「領土」の範囲内ですが、オーストラリアは圏外です。そのため、イスラーム過激派の論理によると「イスラーム世界に入り込んできた異教徒の軍隊」として排斥と敵視の対象となり得ます。
これを受けて、オーストラリアはこれまで以上にミンダナオ危機への関与を強め始めています。8月24日、オーストラリア情報部(ASIS)のウォーマー長官がドゥテルテ大統領と会談し、テロ対策での協力を約束。ターンブル首相も、国内向けに「オーストラリアにISの脅威が迫っている」と強調し、フィリピン政府への支援に理解を求めました。これらを踏まえて、29日にオーストラリア政府はフィリピン軍に対する訓練の提供を提案しています。
ローマ法王に対する脅迫
オーストラリアを主な敵として名指しする一方、24日のISのビデオメッセージでは、マラウィのキリスト教会の内部で十字架やキリスト像が破壊される様子も映し出されました。そして、それに続けてフランシスコ法王の写真が映し出されながら、「これを忘れるな、無信仰者ども。我々はローマにいく」というメッセージが入っています。
ローマ・カトリック教会の総本山であるバチカンは、キリスト教世界における一つの中心地で、ローマ法王は西欧文明の一つの象徴とさえいえるでしょう。これまで、11世紀にイスラーム世界に侵入した西欧の「十字軍」になぞらえることで、米国をはじめとする欧米諸国への敵意を煽ることは、アルカイダやISをはじめ多くのイスラーム過激派が行ってきたことです。しかし、バチカンやローマ法王を標的にすることは稀で、とりわけキリスト教世界にとってはショックの大きいものです。
なぜバチカンを狙うか
オーストラリアと異なり、ローマやバチカンはフィリピンから離れています。しかし、各地で相次ぐテロは、多かれ少なかれ現地に住む人間の協力によって成り立ちます。言い換えると、イタリアに居住するIS支持者あるいはその予備軍の協力があれば、カトリックの総本山でイスラーム過激派がテロを起こすことも不可能とはいえません。そのため、標的として名指しされたことを受けて、バチカンでテロの発生が「時間の問題」として警戒が高まっていることは、不思議ではありません。
ただし、実際にテロが発生するかどうかにかかわらず、マウテなどのIS系組織にとっては「バチカンを標的にしたこと」そのものに意味があります。「まだどの組織も公式には標的として名指ししていないバチカンに狙いを定めた」ことは、イスラーム過激派の世界において、これ以上ないほどの宣伝材料になるからです。
林立するイスラーム過激派組織にとっては、支持者や献金を集め、組織の維持・拡大を図るうえで、少しでも「目立つ」ことが必要になります。言い換えると、イスラーム過激派の世界も「目立ったもの勝ち」なのです。
ところで、マウテなどフィリピンのIS系組織にとって、「競争相手」はISと対立するアルカイダだけではありません。他の国際組織と同様、ISでもやはり内部で国籍別の派閥があり、例えば「首都」ラッカを握っていたのはイラク人がほとんどでした。また、2017年8月にスペインのバルセロナで発生したテロ事件ではISが犯行声明を出しましたが、その容疑者の多くはモロッコ系でした。つまり、マウテをはじめとするフィリピンのIS系組織にとって、中東などで活動する他のIS系組織は、「敵ではないが競争相手ではある」のです。
この背景のもと、シリアやイラクでのIS掃討作戦が大詰めを迎えるなか、IS内部の統制も失われつつあります。この観点からみれば、追い詰められたミンダナオ島のIS系が、近隣の、しかも直接敵対しているオーストラリアだけでなく、遠く離れた、しかし「キリスト教世界の中心地としての」バチカンを敢えて標的として名指ししたことは、組織の維持・拡大のための「起死回生の一発」を狙ったものといえるでしょう。
フィリピンの今後
このように、シリアやイラクを追われたISの「落ち武者」は、フィリピンから再び飛散する時期が近いとみられます。しかし、マラウィが制圧され、IS系の主要メンバーが海外に逃亡したとしても、フィリピンにおける騒乱が収まるとは限りません。
振り返ってみれば、ISの「落ち武者」が流入したことがミンダナオ危機のきっかけにはなりましたが、それ以前からフィリピンではムスリムの間にキリスト教中心の社会で不利に扱われることへの不満があり、実際に分離独立運動なども発生していました。マウテなどのIS系はこの土壌のもとに台頭したのです。
7月、ドゥテルテ大統領は穏健派イスラーム組織「モロ・イスラーム解放戦線(MILF)」との交渉に基づき、ミンダナオ島に自治区を設けることで合意しました。これはミンダナオ島に集中するフィリピンのムスリムの多数派を味方につけるもので、テロの抑制策としては期待できるものです。
ただし、今回のミンダナオ危機で、政府とそれまで以上に近づいたMILFはマウテなどIS系と戦闘を交え、ムスリム同士でも対立が深まりました。したがって、ミンダナオ島において完全に「はぐれ者」になったマウテなどIS系が、これまでのようにフィリピン政府やオーストラリアなど外国政府だけでなく、ミンダナオ島のムスリム社会そのものを標的にテロを活発化させる恐れは大きいといえます。近づくマラウィ攻略は、今後も続くであろうフィリピンの苦悩の一里塚とみられるのです。