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なぜIS「落ち武者」はフィリピン・ミンダナオ島を目指すか:グローバル・テロを受け入れるローカルな土壌

六辻彰二国際政治学者
マウテと治安部隊の衝突であがる黒煙(フィリピン・マラウィ、2017.6.14)(写真:ロイター/アフロ)

6月17日、ミンダナオ島で、イスラーム過激派「マウテ」などに対してフィリピン軍が空爆を含む大規模な攻撃を展開しました。ミンダナオ島のマラウィを中心とする一帯は、先月からマウテが占拠。キリスト教徒や市民の殺害が横行しています。この事態を受けて、治安部隊との戦闘で1ヵ月間に約300名が死亡し、30万人が避難したと伝えられています

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ミンダナオ島には、「イスラーム国」(IS)の戦闘員が流入しており、これが戦闘を激化させているとみられます。かねてから懸念されていたように、シリアやイラクで追い詰められるにつれ、ISは戦闘員の母国などに活動地域を移動させ始めています。その結果、例えば6月15日にAFPは、アフガニスタンでタリバンが拠点トラポラをISによって追い出されたと報じました。

ただし、2014年のIS「建国」宣言以来、ISには世界80ヵ国以上から、少なくとも1万5000人の外国人戦闘員が集まりました。いかにIS戦闘員が拡散し始め、ヨーロッパなどでもテロが頻発しているとはいえ、全ての国でフィリピンやアフガニスタンのように戦闘が激化しているわけでもありません

つまり、他の地域にも増して、ISの「落ち武者」が集まってくる土地には、特有の条件があるといえます。シリアやイラクを追われたISが拡散するなか、その「落ち武者」が集まりやすい土地の条件を、ミンダナオ島の例から考えます。

マラウィ危機

戦闘が激化しているミンダナオ島は、観光地セブ島なども近く、ドゥテルテ大統領の地元でもあります。

2016年10月、ドゥテルテ氏が市長を務めていたダバオで、爆弾テロで14名が死亡。フィリピン政府はこれを、ISに忠誠を誓うフィリピンのローカルなイスラーム過激派アブ・サヤフと結びついた、マウテの犯行と断定

さらに2017年5月、マウテの戦闘員約100人が、ダバオの北西約250キロにある、人口約20万人のマラウィで、警察署などを襲撃してこの地を占拠。これに対して、ドゥテルテ大統領はミンダナオ島一帯に戒厳令を発令。治安部隊との戦闘が激化する一方、テロリストと目された300人以上に逮捕令が出されました

マラウィ危機の主導者

マラウィ一帯には、6月半ばの時点で、約400人のテロリストが集まっているとみられます。マラウィ危機で主導的な役割を果たしているマウテは、2012年に設立された、比較的若い組織。その目標は、ミンダナオ島にイスラーム国家を樹立することです。

設立者で指導者のアブドラ・マウテとオマール・マウテは兄弟で、ミンダナオ島出身。留学で「イスラームの本場」であるペルシャ湾岸諸国に滞在中に、過激派の思想に感化されたといわれます。2015年4月、ISに忠誠を誓っていますが、ISがこの忠誠を受け入れたかは確認されていません

2人のうち、オマールは2016年2月のフィリピン軍との衝突で死亡したといわれますが、マラウィ危機が始まって以来、その音声がネット上で流れるなど、生存をうかがわせる情報もあります

ただし、マラウィ一帯には、マウテだけでなく、アブ・サヤフ、バンサモロ・イスラーム自由戦士(BIFF)アンサール・カリファ・フィリピン(AKP)など、フィリピンのローカルなイスラーム過激派が集結しています。

もともとローカルな組織であるマウテが、他のイスラーム組織を巻き込みながら、急速に勢力を広げた一因には、ミンダナオ島にISの「落ち武者」が集まってきていることがあげられます。

IS「落ち武者」の流入

シリアやイラクでは、米国が率い、主にヨーロッパ諸国やサウジなどスンニ派諸国などからなる有志連合と、ロシアおよびこれに連なるイラン、シリア、そして独自の介入をみせるトルコなどの包囲網により、2016年初頭からISは制服地を失いつつあります。6月16日には、ロシア軍が空爆によりIS指導者であるバグダディ容疑者を殺害したと発表しています(有志連合は「未確認」と述べるにとどめている)。

フィリピンでも、「シリア帰り」を含むマウテが勢力を拡大させ始めた時期は、シリアやイラクでISの勢力が衰え始めた時期に一致します

2014年以来、東南アジア一帯からもシリアやイラクに500人ほどが渡ったと推計されており、その多くはインドネシア、マレーシアからとみられますが、フィリピン出身者も100人ほどいたといわれます。シリアやイラクを追われ、イデオロギー的に先鋭化し、戦闘経験を積んだ「シリア帰り」の帰国は、マウテなどミンダナオ島のイスラーム過激派の活動を、それまで以上に活発化させたといえます。

なぜ外国人はフィリピンに集まったか

ただし、マラウィに集まっている「シリア帰り」は、フィリピン人だけではありません。6月1日、フィリピン軍はマラウィ周辺で、チェチェン(ロシア)、イエメン、インドネシア、マレーシアなどからの外国人戦闘員8人を殺害したと発表。その多くは、シリアやイラクから逃れてきたとみられます。

つまり、フィリピンの場合、出身者だけでなく、それまでフィリピンと関係の薄かったとみられる戦闘員まで集まってきたことで、より大規模な戦闘に発展したといえます。フィリピン人以外の「シリア帰り」までがミンダナオ島に集まり始めた原因は、この地にISの「落ち武者」が集まりやすい条件があったことがあげられます。

フィリピンのイスラーム勢力

ここで、フィリピンにおけるイスラーム過激派についてみていきます。

米国のシンクタンク、ピュー・リサーチ・センターの報告書によると、2010年段階でフィリピンには8637万人のキリスト教徒がおり、総人口が約1億人のうち、約92パーセントをキリスト教徒が占めます。その一方で、ムスリム人口は5.5パーセントにとどまります

アジアで珍しくキリスト教徒が圧倒的多数を占めるフィリピンでは、以前からイスラーム勢力の活動が確認されてきました。なかでも、南部ミンダナオ島では、1968年にモロ民族解放戦線(MNLF)が設立され、ムスリムの少数民族モロの独立を求めるようになりました

当初、武力行使も辞さなかったMNLFは、やがて政府との交渉路線に転換しましたが、これに不満を抱いた勢力が1980年代に分裂。「イスラーム国家の建設」を求めるモロ・イスラーム解放戦線(MILF)やアブ・サヤフなど、より過激な勢力が誕生していきました。

さらに、近隣諸国からミンダナオ島に移るイスラーム勢力も登場。インドネシアを拠点とするジェマー・イスラミアは、本国での取り締まり強化にともない、1980年代からミンダナオ島に訓練キャンプなどを設置してきました。

イスラーム過激派は、かなり一方的で偏ったものであっても、「社会の不公正を正す」という彼らなりの大義によって立ちます。「多数派キリスト教徒に少数派ムスリムが支配される地」であるミンダナオ島は、イスラームが中心のマレーシアやインドネシアの過激派にとっても、その意味で活動拠点として不足のないものだったといえます。

米国の強い影響のもと、フィリピンでは近隣諸国より移動の自由などが保障されていますが、これも結果的にテロリストの流入を可能にした条件といえるでしょう。

2000年代の退潮

しかし、フィリピンにおけるイスラーム過激派の活動は、2000年代には、かつてほどの激しさがみられなくなりました

アブ・サヤフは、活動内容の発覚という「不手際」により、1995年頃からアルカイダの援助を停止されました。そのうえ、米軍の支援を受けたフィリピン軍による2006年の大規模な掃討作戦で、多くの幹部が死亡するなど、組織は弱体化。その結果、アブ・サヤフは、「イスラーム国家の建設」を掲げながらも、主に外国人の誘拐で糊口をしのぐ「生活のためのテロリスト」に堕ちていったのです。

一方、やはり「イスラーム国家の建設」を求めていたMILFでは、創設者のサラマト・ハシムが2003年に死亡。その後、MILFは方針を転換し、フィリピン政府との間で、ムスリムの自治権を認めることを含めた和平交渉を開始。紆余曲折を経ながらも、2012年に両者は和平枠組み合意に達し、それに基づいて2014年にはミンダナオ島に自治区を設置することと引き換えに武装活動を中止する包括和平合意に調印。これによって、1970年代以来、12万人以上の死者を出してきた、ミンダナオ島での戦闘の終結が期待されたのです。

テロの再燃

ところが、MILFが自治権獲得に向けて政府と交渉を進めるにつれ、これを「イスラーム国家の建設」という大義への「裏切り」と捉え、MILFから分裂する派閥も急増。そこには、MILF幹部を父親にもつマウテ兄弟や、BIFFやAKPの主だったメンバーも含まれます。

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そのため、MILFが政府との交渉を進めた2010年代に、フィリピンでのテロはむしろ活発化。主流派が現実的な目標にシフトすることで、それに不満を抱く「はねっかえり」が急進化することは、パレスチナ問題などでもみられます。

これに加えて、IS「建国」宣言が、フィリピン情勢にも影を落とし始めました。アルカイダからの支援を絶たれていたアブ・サヤフは、2014年6月にISが「建国」を宣言した同月、いち早くこれに支持を表明。懐事情から親組織を乗り換えるにともない、アブ・サヤフは「プロフェッショナルのテロリスト」であるISの路線に合わせて、それまで身代金目的の誘拐を繰り返していた活動内容を、破壊・殺害などに軸足を移していったのです。これは、フィリピンにおけるテロ活動を活発化させる契機になりました。

危機の「主導者」と形式的な「責任者」

アブ・サヤフのイスニロン・ハピロンは、ISからフィリピンを含む東南アジア一帯のエミール(司令官)に任じられたといわれます

ただし、ISは東南アジアを、自らが将来征服する土地の候補に加えておらず、この「エミール就任」の正当性には疑問の余地もあります。とはいえ、一般に「アブ・サヤフが『ISからのお墨付き』を得た」という説が広まることは、IS系戦闘員の間の文脈で、フィリピンを東南アジア一帯における活動拠点とするのに都合がよかったといえます。

一方、マラウィ危機においてはマウテが主導的な役割を果たしていますが、先述のようにISがそれを受け入れたとは確認されていません。そのため、少なくとも形式的には、ISの「エミール」を戴くアブ・サヤフがマラウィ危機の「責任者」ということになります。6月5日、ドゥテルテ大統領はハピロン容疑者の首に1000万ペソ(約2200万円)の賞金をかけましたが、マウテ兄弟にかけられた賞金が一人500万ペソであることも、これを反映しているといえるでしょう。

ローカルな文脈におけるグローバル・ジハードの受容

こうしてみたとき、フィリピン、なかでもミンダナオ島には、「イスラーム国家の建国」を目指す土壌ができており、これがISの「落ち武者」が集まりやすい条件になったといえます。言い換えると、彼らなりの「大義」に合わない土地では、散発的なテロは発生しても、マラウィのように組織的な活動を起こすのは困難です

昨年来、ヨーロッパではテロが頻発していますが、そのほとんどは、生活苦などによって極めて安直に過激派思想に感化された「インスタント・テロリスト」によるものです。

マラウィ危機のような「プロフェッショナルのテロリスト」も、ヨーロッパの通り魔のような「インスタント・テロリスト」も、どちらも脅威であることは間違いありませんが、それぞれの土地柄や自分たちからみた位置づけに応じて、IS系戦闘員の行動パターンも変わってきます。その意味で、イスラーム過激派の文脈において「東南アジアの活動の中心地」と位置付けられたフィリピンには、これからもISの「落ち武者」が集まってくる可能性は大きいといえるでしょう。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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