「北朝鮮人権問題に目をつぶる初の政府」…ベテラン人権運動家が語る文在寅政権の'問題'
韓国でここ2週間ほど「政府が北朝鮮人権問題の矮小化を図っている」というニュースが注目を集めている。その渦中にいる、過去14年にわたり『北朝鮮人権白書』を発刊してきた市民団体の代表に詳しい事情を聞いた。
●「北朝鮮人権騒動」
9月16日、『北朝鮮人権情報センター(以下、NKDB)』はソウル市内で記者会見を開き、「統一部が今年3月、毎年行ってきたハナ院での人権インタビュー調査からNKDBを除外した」と明かした。
2003年に設立されたNKDBは、毎年『北朝鮮人権白書』を発行するなど、北朝鮮の人権改善を目指す韓国の代表的なNGO(非政府組織)だ。また、ハナ院とは、北朝鮮から韓国に亡命してきたいわゆる「脱北者(脱北民)」が教育を受ける機関で統一部が運営する。
つまり、南北統一を掲げる政府部署が、市民団体による人権調査をストップさせたということだ。
この一件は、韓国で新たな政府批判のタネとなっている。背景には、17年5月に発足して以降いままで、「南北対話の妨げになる」という理由で北朝鮮人権問題への言及をできるだけ避けてきた文在寅政権の姿勢がある。
政府は公にしないが、筆者も何人もの政府関係者や政府に近い元高官からこの事情を聞いたことがある、いわば「公然の秘密」だ。6月の北朝鮮による南北共同連絡事務所の爆破、9月の公務員射殺事件と南北関係が凍りつく中、こんな文政権の「弱腰」に批判が集まっているという図式だ。
NKDBが政府を告発する会見を開くや、統一部はすぐに「政府がやめさせたのではなく、NKDBが統一部による調査規模縮小という方針を受け入れず自主的にやめたもの」反論した。
これに対しNKDBは「『毎月のインタビュー対象人数を10人から7人に減らせ』という統一部の方針を受け入れなかったが、3月10日に方針受け入れを決めた。だが統一部は『既に他の機関の調査が始まっている』とNKDBの参加を認めなかった」と再反論した。
その後、さらに統一部が「3つの機関による重複調査により、脱北民が疲労を訴えている」という立場を明かし、NKDBの除外を正当化するような論理を展開した。
これにもNKDBは「2016年に北朝鮮人権法ができるまで、ハナ院の脱北民の全数調査をNKDBが行っていたし、重複は限定的だ。17年に政府機関・統一研究院が突然参加してきた事情を明かすべき。政府は北朝鮮の人権状況に関する情報を独占するつもりか」と反論するなど、議論が収まる気配はない。
一方で、統一部の徐虎(ソ・ホ)次官は8月31日と9月9日に国会の関連委員会の席で、「NKDBの調査除外」の問題点を指摘する議員たちに対し「是正と制度改善」を約束し、この内容が委員会で議決された。これが今後、国会本会議で議決される場合、事態は動くことになる。
ここまでが「北朝鮮人権騒動」とでも呼ぶべき今回の一件の概観であるが、その中身には北朝鮮人権問題や南北関係、文在寅政権を理解するために役立つ実に多くの視点が隠されている。それを聞くため、筆者は今月22日、NKDBの尹汝常(ユン・ヨサン、53)所長にインタビューを行った。
●「重複を招いたのは政府」
筆者も過去、北朝鮮人権問題に関わってきたことがあるため、NKDBの存在は早くから知っていた。ハナ院での全数調査を数年にわたって続けており、人権侵害を「事件」として独自のデータベースに蓄積していることは有名だ。
データベースには身元が確実な14,088人の脱北民にインタビューした内容を中心に78,798件の事件の加害者、被害者が詳細に整理されている。複数の脱北民が同一事件について証言することで、信憑性が増す。『北朝鮮人権白書2020』によると、46人が証言した事件もあるという。
こうした活動を代表として行ってきた尹汝常所長は、文字通り北朝鮮人権運動の第一人者の一人と言える。尹氏は現在、国民大学校法務大学院の教授も務めており、過去には統一部や政府機関の諮問委員を歴任した。
――その後、どんな動きがあるか。統一部の徐虎次官が国会で「是正」を明言したが。
当時(8月31日、9月9日)は常任理事会の議決事項であったため、それが法律的な効果を得るためには国会本会議で通過が必要だ。それがいつになるかは分からない。統一部は「公式な文書として(関連書類が)届いていない」という立場。次官まで言及したので、常識的に考えても(是正の)約束が守られるべきだ。
――統一部側はNKDBを除外する理由の一つとして、「重複調査を受ける側の苦痛」を強調している。昨年までは政府系からは統一部の北韓人権記録センター、国策シンクタンクの統一研究院が、国際機関からは国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)のソウル事務所が、そして唯一の民間団体としてNKDBの計4団体が調査をしている。
2016年に北朝鮮人権法ができる前までは、統一研究院は合同審問所(ハナ院の前段階の施設。脱北民が初めに調査を受ける場所)で調査をしていた。その後、統一研究院が重複性の問題で外れた。
詳しく言うと、北韓人権記録センターが全数調査をし、NKDBは月に10人、OHCHRソウル事務所は月に3人の調査をしていた。NKDBとOHCHRの調査は同じ日に行っていたため、(同じ人が2度調査を受ける)重複は13人だけだった。
それが17年になって突然、統一部のはからいで統一研究院がふたたび参加してきた。同研究院は相当数の調査をしているため、重複が起きることになった。つまり、重複の問題はNKDBがもたらしたのではなく、統一研究院がもたらしたものだ。
――統一部は既に他の機関は1月から調査を開始している中、NKDBは「時間切れ」のため契約できないとも主張している。これまで契約はいつ行ってきたのか。
2016年は3月11日、17年は3月24日に契約した。昨年19年も3月5日に契約した。今年も3月10日に調査人数を去年までの10人から7人に減らす方針を受け入れた。しかし、統一部からは「NKDBによる調査は行わなくなった」という説明があっただけで、今まで理由についての説明はない。「時間切れ」という理由は、統一部が国会で説明した内容から初めて知った程だ。
――今年3月以降、統一部に説明を求めてみたか?
統一部の長官(当時は金錬鉄長官)や担当局長に面談を申し込んだがすべて拒否された。統一部の北韓人権課から「会う必要がないとしている」という説明があっただけだ。
――9月16日に記者会見を開いた後、統一部や国会での反応はどうか?
統一部は「NKDBのミスだった」と国会で発表したので、「そうではない」と反駁した。一方で、何人もの議員室から連絡が来た。常識的な話であるためか、与野党の議員共に関心は高い。ただ、統一部は多少、感情的に反応しているようだ。
――ハナ院を卒業し、社会に出た脱北民への調査もしているのか?
そうだ。しかし、彼らの個人情報は国が管理するようになっており、市民団体や一般人がそれを知る方法はほとんどない。それでもインタビューをしようと思えばできるが、困難で費用もたくさんかかる。人権調査というのは被害者の証言を元にすることになるが、韓国社会に出る前の段階で調査を行ってこそ、記憶の歪曲や上書きが少ない正確な記憶を聞くことができる。「社会に出た人を対象に調査しろ」というのは「やめろ」というのと同義と考えてよい。
――政府が民間団体を締め出すことで、北朝鮮人権情報の独占を狙っているという指摘もある。
そういう目論見だろう。政府は認めないだろうが、それ以外に解釈できない。民間団体が資料を持っていると、その使い方を統制できなくなる。これを防ぐためと見られる。
――統一部の北朝鮮人権記録センターが17年、18年に発刊した報告書は「3級秘密」になっていて、一般には未公開となっている。この点についての批判も大きい。
報告書を閲覧したという補佐官がいる(※国会議員の補佐官は2級秘密まで閲覧できる)。とはいえ、人権報告書が秘密であるという理由が分からない。秘密にするならそもそも発刊する意味がない。人権報告書は証言者が公になり、それによって人権被害が予想される時にだけ非公開にすることができる。
それ以外の理由で非公開にするということは、政治的な目的や隠蔽する目論見があるということだ。また、この報告書は政策立案に活用するのが目的の一つだ。ならば、市民団体や政策を作る人なら誰でも見られるようにするべきだ。
●「何もしない政権は初めて」
――尹所長は20年以上にわたって北朝鮮人権運動を長く続けてきた。文在寅政権の北朝鮮人権問題に対する態度を、その間の政権とどう比べることができるか。
(文在寅と同じ進歩派の)金大中(キム・デジュン、98〜03)、盧武鉉(ノ・ムヒョン、03〜08)政権の時には、人権の基本的な価値を高く考えていた。北朝鮮の人権改善に対する政策と北朝鮮政策を分離し、それなりに北朝鮮の人権問題を重要に考え、どう問題を解決するのか悩んでいた。NKDBの活動にも何も不利益はなかった。しかし今の文在寅政権の北朝鮮人権政策は「言及しない、態度も表明しない、何もしない」というものに見える。こんな政権は初めてだ。
――文在寅政権が北朝鮮人権問題をこう扱うと予想しなかったということか。
金大中、盧武鉉政府を継承する後任の政府であるため、ここまでとは想像もできなかった。さらに国政の課題に北朝鮮人権の改善を入れて、国民に約束した。それだけに尚更、今のようになるとは思わなかった。
文在寅政権は発足から100日後の17年7月19日に発表した「100大国政課題」のうち、92番目に「北朝鮮人権問題の改善と離散家族など人道的問題の解決」を挙げている。
――文政権はもうすぐ発足から3年半になる。北朝鮮の人権問題に対する態度が、人権問題改善を目指す市民団体に与えた影響は。
影響は大きい。北朝鮮の人権問題への言及自体をさせないようにするのが、今の政府の立場と見られている。文政権の発足初期に全経連(日本の経団連に相当)に資金援助を受ける北朝鮮人権団体を強制捜査し、後援者の口座をチェックする事件があった。こうした事が、市民社会から北朝鮮人権団体を孤立させる。
さらに今、統一部が行っている北朝鮮へのビラを飛ばす団体や脱北民たちの団体への事務監査などが萎縮を招き、(目に見えない)圧力となっている。市民の支援を止める効果がある。そんな困難がある。
――これまで、南北首脳会談で文在寅大統領は金正恩委員長に対し日本人拉致問題を言及したとされる。だが、金正恩氏が集権した11年末以降、北朝鮮に抑留されている韓国人は分かっているだけで6人に及ぶ。新任の李仁栄(イ・イニョン)統一部長官はこれについて「知らない」と述べたし、文大統領が言及したこともない。これから北朝鮮の人権問題に対する態度を変えると思うか。
まったく理解できない事が起きている。今後も態度は変わらないだろうし、変えようともしないだろう。
――文政権の北朝鮮政策は「平和共存、共同繁栄」と表現される。それとは別に「朝鮮半島の非核化」と「朝鮮戦争の平和協定締結」そして「米朝国交正常化」を目指す『朝鮮半島平和プロセス』の推進が韓国の軸となっている。北朝鮮人権問題はここにどのような形で関われるか。
「国際社会ならびに民間と協力し、北朝鮮の人権改善に努力する」というのが韓国政府の一貫した立場だ。だが、今の文在寅政権が国際社会と共に行っているのは、国連で北朝鮮人権決議案が採択される時に、その決議案に参加することだけだ。今や共同提案国からも外れている。これ以外にはほぼ何もしていない。
民間との協力においては、韓国の北朝鮮人権団体は「政府と協力している」と感じないばかりか、逆に「統制・抑圧されている」と感じている。もちろん、政府からの支援は今も一定部分はある。だが、その場合にも「政府からの支援であると公開しない条件」で支援を受ける実態がある。
人権改善においては本来、普遍的で一貫性のある原則が維持されるべきというのが常識だ。この単純な命題が適用されていない。北朝鮮政策は政権によって差が出てくるのは仕方ないが、人権問題については一貫した政策的立場を堅持すべきだ。
しかし今は、北朝鮮の人権を改善するための政策は千鳥足となっている。南北の平和が重要ではないという訳ではない。平和は平和で、南北交流協力は協力でやればよい。そのために人権問題に目をつぶるというのは受け入れられない。
●「権力者間の平和は真の平和ではない」
――過去二十数年の北朝鮮人権運動の成果をどう整理できるか。
90年代に比べると北朝鮮の人権状況はゆっくりとだが改善している。その中でも改善の度合いが比較的に大きいのが経済・社会・文化的な領域だ。食糧権や健康権、教育権など社会権の部分は90年代の「苦難の行軍」の時期が最悪だったため、ある程度は回復した。
しかし市民的・政治的な権利、自由権の領域、特に拘禁・収監された者たちの人権状況にはほとんど進展がない。それでも国外から問題提起があれば、少しずつでも改善される一定の成果はある。
――金正恩氏が「人権の話をするならば、私たちは対話をやめる」と言ったらどうするのか、という不安の声もある。
過去にファン・ジャンヨプ氏(元労働党書記)が韓国に亡命した時(97年)や、韓国で人権白書が出た時、韓国が国連の人権決議案に賛成したとき、それぞれ北朝鮮は批判するコメントを出した。だがこれにより首脳会談が中止になり、対話が中断したりはしなかった。少しの影響はあるかもしれないが、人権問題を提起したからと、戦争が起こり重要な会談が流れる状況ではない。
例えそうだとしても、人権は原論的で普遍的なものであるため、人権問題は人権問題として提起しなければならない。そしてそれ以外の部分、例えば交流協力は交流協力として行うといった原則を鮮明にしてこそ、北朝鮮の無茶な主張を防ぐことができる。人権の話をすると戦争が起きるかのように言う人がいるが、それはオーバーだ。
そして、人権は本来、加害者との間に一定の緊張や衝突なくして改善されたことが一度もない。加害者との衝突を避けるために人権問題に言及しないというのは、人権問題を解決しないのと同じだ。そこまでして避けるならば、人権という言葉を使う資格がない。
韓国の歴史を考えてみても分かる。「経済が良くなれば人権も良くなるから、少しの間人権侵害に耐えろ」という話は、朴正熙(パク・チョンヒ、大統領在職1961〜1979)政府の時にあったものだ。これを北朝鮮に当てはめ、「南北交流が優先で、交流していれば良い暮らしができ、人権も良くなるから今は我慢しろ」と言っているのが今だ。過去、人権運動を行った現政府の中心人物たちがこんな論理を掲げているのは、私としては受け入れがたい。
――人権問題がないがしろにされる原因は、どこにあると見るか。
誰の影響だ、というのは分からない。だがそうした考えは、「平和絶対優先論」とでも呼ぶべき立場と言える。しかしこの時の「平和」はあくまで「南北の権力者間の平和」であり、「一般人民の平和」を意味するものではない。権力者間の平和が「真の平和」とは思えない。
――現政権のそんな態度が今、NKDBが人権調査から締め出されたことにつながっていると思うか。
その延長線上に、今回の事案も含まれるだろう。
――今後はどうするのか。
諦めることはしない。人権団体が諦めるということは人権被害者を見捨てるということだが、それはあり得ない。時間がかかるかもしれないが、これからも調査し改善を求めていく。明日からでもハナ院で調査を始める準備はできている。調査排除の問題はかならず解決しなければならない。
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