「攻めの廃線」で消えた夕張駅は2度の移転を経た3代目駅だった!それぞれの「駅跡地の今」どうなってる?
2019年3月31日をもって石勝線夕張支線の新夕張―夕張間16.1kmが廃止された。実は廃止となった夕張駅は1892年の開業時から2度の移転を経た3代目の場所であったことは読者の皆さんはご存じだろうか。初代夕張駅は、夕張市街地北部の北炭夕張炭鉱の隣接地に、2代目夕張駅は夕張市役所の真裏に、そして3代目の夕張駅はホテルマウントレースイの正面にあった。
3代目夕張駅の現状
2019年の「攻めの廃線」から5年余りが経過し、夕張市は今なお衰退が続いている。2023年9月末をもって夕張市内と新札幌駅を結ぶ夕鉄バスの路線バスが廃止となり、2024年9月末には夕張と札幌駅前を結ぶ北海道中央バスの高速ゆうばり号と夕張と岩見沢を結ぶ路線バスも廃止となり、夕張市と夕張市外を結ぶバス路線が消滅する。
廃止時の夕張駅は3代目となるもので、夕張市のリゾート開発によって誕生したホテルマウントレースイ前に1990年に移転したものだ。旧夕張駅のホームや線路は廃止時と変わらない状態で残されているが、駅前のホテルマウントレースイは「攻めの廃線」の翌年にホテルの運営会社が倒産したことからそのまま営業休止となり以降営業再開のめどは立っていない。
2代目夕張駅は夕張市役所・市民会館の真裏だった
夕張駅がホテルマウントレースイ前に移転する前は、1985年から1990年までの5年間、夕張市中心部の夕張市役所、夕張市民会館の裏に夕張駅があった。2代目の夕張駅は簡素なホームに3両の貨車を改装した駅舎が置かれ、駅舎内で営業していたキヨスクで切符の販売が行われていた。
この場所には、もともとは夕張鉄道の夕張本町駅があり、夕張本町駅舎と夕張市民会館は同じ建物に同居していた。夕張市民会館の開業は1963年で、この時に夕張鉄道夕張本町駅の駅舎と一体で建設されている。しかし、夕張本町駅の駅舎を兼ねた夕張市民会館の開業からわずか8年後の1971年には夕張鉄道の鹿ノ谷―夕張本町間の廃止にともなって駅舎としての役割を終えている。
国鉄夕張駅は、1977年の北炭夕張炭鉱の閉山にともなって出炭機能を停止したことから、夕張市北部の街外れから市の中心部にある夕張鉄道の夕張本町駅の跡地の一部を活用して移転開業している。
初代夕張駅は、「石炭の歴史村」の駐車場跡地として残る
そして初代夕張駅は、現在の石炭博物館の場所にあった。明治時代にこの場所で石炭鉱脈が発見されたことがきっかけで、北炭が採炭所を創設し入植者の募集を開始。北炭夕張炭鉱が開かれたことから、石炭輸送を目的とした夕張駅が開設され、室蘭港や小樽港への石炭輸送が開始された。
北炭夕張炭鉱閉山後は、炭鉱跡地に「石炭の歴史村」が開業。旧夕張駅の広大な敷地は駐車場に転用され、夕張駅舎も2006年まで石炭の歴史村管理ステーションとして現存していた。現在は、「石炭の歴史村」は規模を縮小して運営しており、かつて夕張駅のあった駐車場は広大な荒れ地と化していた。
(了)