Yahoo!ニュース

カルトの広告塔になったが故に銃撃された安倍元総理の「国葬」を政治利用しようとした岸田総理

田中良紹ジャーナリスト

フーテン老人世直し録(664)

葉月某日

 政府は9月27日に行われる安倍元総理の国葬に、およそ2.5億円の税金を今年度予算の予備費から支出することを決めた。その一方で、弔旗の掲揚や黙祷を各府省に求める閣議了解は見送られた。国民に反対があることを考慮し、弔意の強制と思われることを避けたためである。

 しかしこれまで内閣と自民党の「合同葬」として行われてきた総理大臣経験者の葬儀では、官庁に弔意の表明を求める閣議了解が行われてきた。それが見送られるのは異例である。異例な対応を取るのは、国葬を国民への説明もないままいち早く決め、さらに国葬の時期を2か月以上も先に設定したことで、その間に「国葬反対」の声が大きくなったためである。

 なぜ戦後1例しかない「国葬」をいち早く決め、次になぜ葬儀日程を9月下旬まで先延ばししたのか、考えられるのは岸田総理がこの「国葬」を自分の延命に政治利用しようとしたからに他ならない。

 戦後1例だけの国葬は、1967年に行われた吉田茂元総理の国葬である。当時の佐藤栄作総理は吉田の死を知ると直ちに特例としての国葬を決めた。吉田は1954年の造船疑獄事件で逮捕されそうになった佐藤を、法務大臣の指揮権発動によって救ってくれた大恩人だからだ。

 しかし戦前に作られた「国葬令」は、戦後に大日本帝国憲法と共に葬り去られ、法的根拠は何もなかった。法的根拠がないまま、佐藤の強い願望で国葬は決定され、死去から11日後に日本武道館で吉田の国葬は執り行われた。

 当時の皇太子夫妻(現在の上皇、上皇后)を含む6000人が参列したが、国民の反応は冷ややかで、全国でサイレンを鳴らし1分間の黙祷をすることになっていたのに、当時の報道を見ると黙祷しない国民が大勢いた。

 また官庁や学校は午後から早退し、企業もそれに倣うよう言われたが、大半の企業は通常通り仕事を行い、革新自治体も通常通りの業務を続けた。従って吉田の国葬を最後に、それ以降は内閣と自民党の「合同葬」という形で総理経験者の葬儀は行われ、ノーベル平和賞を受賞した佐藤も「国民葬」だった。

 それがなぜ「国葬」の復活となったのか。それは選挙演説中に銃撃を受けて命を落とすという死に方が衝撃的だったからだ。とくに衝撃の度合いは海外で大きかった。

 世界で最も治安が良く、しかも銃犯罪とは無縁の日本で、元総理が凶弾に倒れたというのはドラマ以上のドラマだった。海外の反応の大きさが、これまでの「合同葬」より格上の「国葬」を考えさせた理由の1つだと思う。

 次に岸田総理には、安倍元総理を支持する「岩盤支持層」を繋ぎ留めなければならない事情があった。参議院選挙で自公は大勝したが、内実はそれほど喜べるものではない。特に自民党は比例票で安倍政権時代より600万票も減らした。岸田政権に代わったことで「岩盤支持層」の自民党離れが顕著になっていた。

 そのため「岩盤支持層」に対するアピールとして「国葬」を考えた。法的根拠がないため官邸内には慎重意見もあったが、岸田総理の決断で決まったという。佐藤元総理が法的根拠がないのに決断したように、岸田総理も決断して「岩盤支持層」にアピールした。

 ところが佐藤元総理が吉田元総理の死後11日で国葬を執り行ったのに対し、岸田総理は2か月以上も先の9月27日を国葬の日に決めた。フーテンはこの設定の意味をいろいろ考えてみた。あまりにも先に設定したのはなぜか。

 その2日後の9月29日は、1972年に日本の田中角栄総理と中国の周恩来首相が日中共同声明に署名した日である。つまり日中国交正常化50周年の記念日に当たっている。日中国交正常化には岸田総理の派閥の先輩である大平元総理も外務大臣として尽力した。

 そのため岸田総理は日中関係を良好にしたい思惑を持つが、現在の国際情勢は米中が台湾問題を巡って厳しく対立している。そこで安倍元総理の国葬を政治利用しようと考えた。国葬の日取りと記念日が近接すれば、目立つものも目立たなくできる。それがフーテンの考えた推理の1つだ。

 また安倍元総理の死去の報に、強い悲しみを表現したのは米国のトランプ前大統領とロシアのプーチン大統領である。この2人が参列すればインパクトは絶大だ。岸田総理は、安倍―トランプの親密な関係に対抗する意味で、バイデン大統領との関係を緊密にすべく何でも言うことを聞いてきた。

 しかし秋の米中間選挙ではこれまでのところ民主党の形勢がよくない。もし敗北するとバイデン政権は死に体に陥る。それを考えれば共和党支持者にいまでも人気のトランプ前大統領ともパイプを作っておきたいと岸田総理が考えておかしくない。それを露骨に見せなくするには弔問外交の場を利用するのが良い。

 また米中間選挙でバイデンが死に体になれば、ウクライナ戦争の様相が変わってくる。ウクライナに戦争を続けさせているのはバイデンだが、米国内には続けさせることへの疑問も湧き出ている。それを考えれば弔問外交の時期を秋に設定することで、様々な可能性を日本外交はチャンスにすることができる。

 岸田総理は国葬にした理由を、安倍元総理が憲政史上最長の在任記録を作ったとか、内政・外交にわたる実績とか言っているが、それは表向きのもっともらしい理屈で大した理由にならない。真の狙いは海外からの反応が大きかったことから、自分が外交で点数を稼ぎたいのだとフーテンは見ていた。

この記事は有料です。
「田中良紹のフーテン老人世直し録」のバックナンバーをお申し込みください。

「田中良紹のフーテン老人世直し録」のバックナンバー 2022年8月

税込550(記事5本)

※すでに購入済みの方はログインしてください。

購入についての注意事項を必ずお読みいただき、同意の上ご購入ください。欧州経済領域(EEA)およびイギリスから購入や閲覧ができませんのでご注意ください。
ジャーナリスト

1969年TBS入社。ドキュメンタリー・ディレクターや放送記者としてロッキード事件、田中角栄、日米摩擦などを取材。90年 米国の政治専門テレビC-SPANの配給権を取得。日本に米議会情報を紹介しながら国会の映像公開を提案。98年CS放送で「国会TV」を開局。07年退職し現在はブログ執筆と政治塾を主宰■オンライン「田中塾」の次回日時:11月24日(日)午後3時から4時半まで。パソコンかスマホでご覧いただけます。世界と日本の政治の動きを講義し、皆様からの質問を受け付けます。参加ご希望の方は https://bit.ly/2WUhRgg までお申し込みください。

田中良紹の最近の記事