米「尊厳死」というオプション なぜ「安楽死」を望んだのか? ALS患者嘱託殺人事件
全身の筋肉が徐々に動かなくなる難病ALS(筋萎縮性側索硬化症患者)の患者から依頼を受け、薬物を投与して殺害したとして、2人の医師が「嘱託殺人」の容疑で逮捕された。
亡くなった林優里さんはブログで「安楽死」を望む声をあげていた。
「すごく辛い。なぜこんなにしんどい思いをしてまで生きていないといけないのか。安楽死を受けることぐらい許して欲しい」
「屈辱的で惨めな毎日がずっと続く。ひとときも耐えられない。安楽死させてください」
数多いALS患者の「尊厳死」
アメリカで「安楽死」が認められるには、2人の医師に、治療が難しい病気で余命6ヶ月以下であると診断される必要がある。林さんは、余命がどれだけだと宣告されていたのかはわからない。しかし、死亡する直前は発語や手足を動かすことができず、24時間の看護が必要な状態だったと報じられている。ツイッターでは「海外で安楽死を受けるため始動します!」と「安楽死」のために海外渡航することもつぶやいていたという。それだけ、ALSが林さんの心身に与えていた苦痛は、堪え難いものだったのだろう。
1997年に、アメリカで初めて尊厳死を法制化したオレゴン州の「2019年州尊厳死報告書」によると、同州で「安楽死」を希望している患者の多くが癌患者だが、癌患者に次いで多いのが神経系の病気を患っている患者で、その中でも多いのがALS患者だ。1998年〜2019年の間、同州では、1657人が「尊厳死」したが、うち、約75%にあたる1244人が癌患者で、8.2%にあたる136人がALS患者だった。
尊厳死法を後押ししたブリタニーさんの死
現在、アメリカでは、8つの州とワシントンDCがあるコロンビア特別区で「安楽死」が認められている。人口的にみると、アメリカ人の約5人に1人が「安楽死」する権利を保持している状況だ。もっとも、アメリカでは「安楽死」とは呼ばず、一般的に「尊厳死」と呼ばれているので、以降、そう記させていただけたらと思う。
近年、アメリカで尊厳死法案が可決されてきた背景には、末期の脳腫瘍に苦しんでいたブリタニー・メイナードさん(当時29歳)の尊厳死がある。2014年、カリフォルニア州在住のブリタニーさんは、当時、「尊厳死」が認められていたオレゴン州に移住し、自らの手で薬を服用して尊厳死を遂行した。事前に「尊厳死する」と動画で公表もした。動画は、世界で何百万回も再生され、大きな注目を浴びた。ブリタニーさんは望んでいた。
「他州に移住せずとも、尊厳死できるような社会にしてほしい」
ブリタニーさんは、そんな遺志を夫ダン・ディアズ氏に託した。ダンさんは尊厳死に至るまでのブリタニーさんの体験を議員たちに訴えた。同氏の訴えは議員たちの心を動かし、2015年、カリフォルニア州で尊厳死法案が可決した。それまで、何度も成立に失敗してきた尊厳死法案は、最初にカリフォルニア州で法案が提出された1992年から約四半世紀の月日を経て、ようやく成立したのである。
オプションとしての「尊厳死」
ところで、アメリカでは、尊厳死を認めている州の多くがオレゴン州の尊厳死法をお手本にしているが、カリフォルニア州ではこの法律は「エンド・オブ・ライフ・オプション・アクト(終末期選択法)」と呼ばれている。「尊厳死」を自分の人生を終える際のオプション、つまり、選択肢の一つと捉えているのだ。オプションはないよりもある方が望ましいとする「オプション社会」アメリカの志向がよく現れている表現である。死という言葉を使うと、どうしても、ネガティブな印象を与えるが、オプションというとポジティブな印象になる。
カリフォルニア州で尊厳死法案を成立させるべく尽力したのは尊厳死推進団体「コンパッション&チョイス」のトニ・ブローダス氏だ。同氏は“オプションとしての尊厳死”を主張している。
「法案提出にあたり、この法案を、オレゴン州のように”尊厳死法”とは呼ばず、“エンド・オブ・ライフ・オプション・アクト”と名づけました。人はみなオプションを支持するものですから。自分の人生は政府が法律でコントロールすべきものではなく、医学的に可能なら、患者が自分の人生の最期を決めることができるオプションにすべきだということを主張したかったんです」
「尊厳死」「死ぬ権利」はおかしい
ブローダス氏はまた、「尊厳死」や「死ぬ権利」という表現にも疑問を呈している。
「“尊厳死”は広軌な意味を持ちます。人は、他の死に方でも、死に尊厳を与えることができるからです。また、人は”尊厳死”するために必ずしもこのオプションを使う必要はないし、このオプションだけが“尊厳死”のためにあるわけでもありません。
“死ぬ権利”という言葉もよく使われますが、これもおかしいと思いました。死は権利云々の問題でありません。人はみな死ぬということは事実ですから。それに“死ぬ権利”というと、アクティビストが社会問題に火をつけたという印象も与えます」
ブローダス氏が強調したいのは「尊厳死」は、あくまで、数あるオプションの一つということだ。
「終末期には、ホスピスでのケアや緩和ケアなど様々なオプションがあります。薬を飲んで安らかな死を迎えるというオプションもその一つとしてあるわけです。患者はそのオプションを必ずしも使う必要はありません。そのオプションがあるということを患者が知っていることが重要なんです。症状が悪化した時に、苦しまずに安らかに死ぬことができるというオプションがあることは、患者に心の安寧を与えます。患者は、万一の時はこの薬があると思えることで、安心を得られるのです」
実際、オレゴン州の調査によると、「尊厳死」のための薬を処方された患者の中で、実際に薬を使ったのは3分の1ほどで、大半が治療が難しい病気のために自然死している。つまり、多くの患者が、万一の時のために薬を持っているだけなのだという。ちなみに、2019年、オレゴン州では、290人の患者が「尊厳死」のための薬を得たが、2020年1月17日時点で、薬を服用して尊厳死した患者は188人(うち、18人は2018年以前に薬を得ていた)だった。
日本には「尊厳死」というオプションはない。亡くなった林さんはそのオプションを求めて、海外に渡航することも考えたのだろう。しかし、渡航はかなわなかった。林さんに残されたオプション、それは、医師に依頼して命を絶つことだったのか? 日本では、オプションとしての「尊厳死」という視点から、もっと議論されてもいいのではないか。
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