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大人の日帰りウォーキング 伸ばしたいのは健康年齢 必要な運動習慣は楽しく続ける歩く旅

わか子ライター
甲州街道鶴川宿

もうすぐ定年になる良人と由美子夫婦は、これからの趣味の1つとして街道歩きの旅を始めた。きっかけは、由美子のママ友が街道歩きや登山を楽しんでいるのを聞いたからである。

由美子は健康を気遣うタイプで、以前より近所をウォーキングするのを日課にしており、健康診断で異常値が無いのが自慢にしている。それに対し良人は、内服治療をしなければいけない程の生活習慣病はかろうじてないが、健康診断では必ず毎回指摘を受けている。血圧は高め、コレステロールも高め、もちろん体重も標準より太っている。食事指導や運動を推奨する生活指導も必ず受けているので、言われる内容を暗記出来ているというのが誇らしくない自慢でもある。この年齢になれば、高血圧や糖尿病などの生活習慣病に罹る人も増えてくるが、生活習慣病は、脳卒中や心臓病等の大きな病気になるリスクを上げてしまう。命の危険も伴うし、何とか無事に助かっても大きな後遺症を残すことも少なくない。

今の世の中では歳を重ねて老いるその先、子どもがいない夫婦や子どもがいても面倒をかけたくないと考える夫婦も少なくなく、高齢夫婦がお互いを介護する「老々介護」が待っている。その日の為にお互いが健康でいることは、お互いの為には大切な事でもある。
自分が病気になったらどうなるのか。由美ちゃんは介護してくれるのだろうか。由美ちゃんが病気になる事だってある。そうしたら、自分は由美ちゃんを介護出来るだろうか。
そんなことを考えることもあるが、一方的に相手を頼るのは良くないよな。その時にはどうなるのかはわからないけれど、今は、今できることをした方が良いのかもしれない。
医療が発達した現代では人間の寿命は長くなり、人生80年を越して100年とも言われる世の中になってきた。しかし、病気になり自分はしたいことも出来ない寿命では辛い思いもたくさんするのではないか。そう考えると、健康で自分がやりたいことが出来る健康年齢が長くなるに越したことは無い。その為に運動は大切。
面倒な運動は続けられる自信が無いけれど、街道歩きの旅は結構楽しい。夫婦で趣味としてのウォーキングは楽しいだけでなく、お互いの健康年齢が延びる事にもなり、お互いを介護しなければならなくなる可能を減らす事にもなる。

甲州街道沿いにある石碑 廿三夜塔 山梨県上野原市
甲州街道沿いにある石碑 廿三夜塔 山梨県上野原市

江戸時代に造られた五街道の1つである甲州街道。日本橋から長野県の下諏訪宿まで続く約210kmの街道であり、良人と由美子夫婦は日本橋を出発してこれまで歩いた距離は約66kmで、4回に分けて歩き繋いできた。今日は前回終了したJR中央本線の相模湖駅朝7時半に出発し、夕方までに約20km先の中央道談合坂下りSAまで歩こうと計画している。

2人は甲州街道の17番目の宿場である関野宿を過ぎ、国道20号を歩き進んでいた。
「何で、いきなりウルトラマンなの?シュワッチ!」

旧甲州街道 関野宿坂の上 神奈川県相模原市 
旧甲州街道 関野宿坂の上 神奈川県相模原市 

前を歩いていた由美子はそう言いながらウルトラマン人形と同じポーズをして良人の方を振り返った。
いい年をしたおばさんがシュワッチだよ。良人は笑いながら辺りを見回すが、国道20号を走る車は数台あるけれど歩行者は無く、その心配はなくても良さそうだった。ま、いいか。旅の恥はかき捨てだし、楽しいのが何よりだ。良人はそう思っているが、良人自身も歌をうたいながら歩く事もあるので、お互い様でもある。
「しかも、何故か軽トラの荷台に乗っているし。強そうには見えないよな」
確かに、軽トラの荷台に乗っているウルトラマンは強そうには見えないけれど、これはこれで衝撃的な光景でもある。これをつくった人は何を目指したのだろうか。

ウルトラマンがいる場所で旧甲州街道は国道20号の脇道に入り、車道から山道を歩いて落ち葉が敷き詰められている急な下り坂を下りて再び国道20号に合流した。「この下り坂だと車道は作れないよな」
良人は言いながら道路を振り返り回り道をしている国道20号を見て思った。当時は歩いて移動していたから、最短距離で街道がつくられたのか。

旧甲州街道 境沢橋
旧甲州街道 境沢橋

旧甲州街道は、国道20号に併走したのちに相模川に向かって下っていく。この辺りの相模川を境に神奈川県相模原市より山梨県上野原市になる。県境になる境沢橋を渡り、旧街道は大きなカーブを繰り返しながら急斜面を一気に登っている。

「由美ちゃん、待ってよ。もう少しゆっくり行こうよ」
良人は急な上り坂をはぁはぁ言いながら必死に登っていた。一方、由美子は良人を残して軽快な足取りで登っているような後ろ姿であったが、実は由美子もぜぇぜぇ言いながらであった。毎日ウォーキングをしているという由美子のプライドだった。良人の声を聴いた由美子は大きな深呼吸ではなく、肩を出来るだけ動かさず後ろから気付かれないようにゆっくりと呼吸を整えてから、満面の笑みをつくって振り返った。
「よし君、仕方ないわね。ここで待ってあげるからね」
その様子を見ていた良人は心の中で思った。どう見ても顔が引きつっているよ。由美ちゃん、こんなマウントをするの?おばさんの歳になったからかな。歳を重ねると心の声が出やすくなるのかな。いずれにしろ、これじゃ絵にかいたような立派な姑になれる未来が見えてくる。そうすると、我が家は一人息子だから不安しかない。口が裂けても言えないけど。
でも、何で由美ちゃんはマウントをとるような言葉と言うのだろうか。相手が自分なら聞き流すから良いけれど、無意識で他人に言っていたら良くないよな。由美ちゃんは由美ちゃんで良い所はたくさんあるから、他人と比較することはないと思うけど…。

旧甲州街道より眺める景色
旧甲州街道より眺める景色

何とか急な坂道を登ると、目の前には青空と山の絶景が広がっていた。眼下に流れる川はこの場所を境にして上流側になる山梨県では桂川と呼び、下流側の神奈川県では相模川となり、相模湾に流れ出ている。桂川の源流はどこにあるのかと遡ると、山梨県大月市、都留市、富士吉田市の先、富士五湖の1つである山中湖にたどり着く。桂川は富士五湖より流れ出ている唯一の川であることが特徴であり、桂川が流れ出ている山中湖以外の4つの湖(本栖湖、精進湖、西湖、河口湖)は流れ出る河川が無い内陸湖である。

諏訪番所跡 山梨県上野原市諏訪
諏訪番所跡 山梨県上野原市諏訪

「よし君、何か史跡があるわ。諏訪番所跡だって」
ちょうど、相模国と甲斐国の境目であるこの辺りは、戦国時代に北条氏と武田氏の争いがあった場所でもあり、防衛の機能もあったと言われている。江戸時代に入ると、甲斐国に出入りする人や物の取り締まる番所(検問所)となり厳しく監視されたが、明治に入ると制度は廃止される。諏訪番所が閉鎖された後、この場所に建てられていた木造平屋建ての建物は渋沢栄一氏の別荘となり、東京北区にある飛鳥山に移築されるが、後に他者に渡り以降不明と書かれていた。
「ようやく山梨県に突入だよ。しかも歩いてだよ。人間、やれば出来る!」
良人は自分自身に向けて、その言葉を言った。そして、何だか嬉しかった。自分もやれば出来るじゃないか。

「お腹空いた」
由美子がボソッとつぶやいた。
朝の7時半にJR相模湖駅を出発してお昼にはまだまだ時間はあるが、歩く旅はお腹が空く。車が走るにはガソリンが必要なのと同じように、人間も歩き続けるにはエネルギーが必要である。お腹も空くのは当然であるが、旧街道沿いではこの先で国道20号に合流する辺りまで飲食店は無い。2人は出発してすぐにコンビニで食べ物を購入していたので、近くの神社にあるベンチで休憩と食事をすることにした。

諏訪神社 山梨県上野原市上野原
諏訪神社 山梨県上野原市上野原

保温ボトルに入れてきた温かいお茶を飲んだ。温かいお茶がこんなも美味しいのかとしみじみ思った。そして、やけどしない程度の温度に冷ましてボトルに入れてくれている由美ちゃんの気遣いを感じた。
「由美ちゃん、有難う。お茶、美味しいよ」
良人の口から自然に出た言葉には、嬉しい気持ち、感謝の気持ちがこもっていた。
2人はコンビニで買ったおにぎりを食べた。空腹の胃袋ではおにぎりだけでは満足できず、一緒に買っていたパンも食べた。サンドイッチを食べる由美子に対し、大きな口であんパンにかぶりつく良人の食べっぷりがとても良く、運動して食べるとこんなにも美味しく感じるのかとしみじみ思った。

季節は冬であるにもかかわらず、晴天に恵まれ温かい日差しがさしているこの日は、ベンチで休んでいてもポカポカとして、とても暖かかった。空に向かって両手を大きく伸ばした。ぐーと体が伸びてとても気持ちよかった。

ライター

東京都在住のおばさんです。子育てが落ち着いてきた頃より趣味で登山や街道歩き等を始めました。歩く旅は大変だというイメージがありますが、歩く事で解る楽しみもあります。実際に歩く旅をして、歩く楽しさをお伝えしたいと思っています。

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