大人の日帰りウオーキング 人生も旅も予定通りとは限らない 柔軟に対応する妻とあたふたする夫の夫婦旅
日曜日の午後、良人はリビングにいた。
大学生になる一人息子はアルバイトなのか、遊びに行ったのか、朝から出かけているので夫婦二人で昼食を食べた。日中でも気温は10度に届かずに小雨が降り続けているとても寒いこの日の昼食は、妻の由美子がうどんを作ってくれた。かき揚げは冷凍だが、オーブントースターで温めてくれるているのでカラッとして歯触りが良くて美味しい。少し煮込んだ卵まで入っているのでボリュームもあり、体も温まるしお腹もいっぱいになった。食事の支度はいつも妻任せなので、夕方の買い物には付き合おうと思っている。自分でも荷物持ちなら役に立つ。お昼のうどんが美味しかったから、また買っておいてもらおうか。
もうすぐ定年になる良人と由美子夫婦は、街道ウォーキングを初めて楽しんでいる。
江戸時代に造られた五街道の1つである甲州街道を日帰りで歩き繋げる旅は、江戸東京日本橋を出発して東京都の八王子まで進んでいる。良人は、次の街道歩きの計画を立てようとパソコンを見ているのだが、行き帰りの交通機関が複雑になりそうで苦戦している。街道歩きと一言で言うと単純に歩くだけのように感じるが、出発場所とゴール場所は違うし、歩く距離も体力に合わせてカスタマイズできる。自分たちにあったスケジュールを組むので、すべてがオーダーメイドになる。前回は八王子宿で終了しているので、次回も八王子から出発すれば良いだけであるが、実は、良人と由美子はその先にある小仏峠から小原宿までをハイキングで歩いたことがあり、神奈川県の相模原市にある与瀬宿からの出発で計画をしていた。
翌週の週末は爽やかな青空が広がる一日になっていた。朝の時間では気温はまだ低く、肌寒く感じるけれど、日中の最高気温は15度近くになると天気予報であり、防寒着のダウンはリュックの中にしまい込むことになりそうだ。
新宿から京王線に乗り高尾駅でJR中央本線に乗り換えて一つ目のJR相模湖駅が、今回の出発の駅である。新宿駅からJR相模原駅まで電車に乗るなら初めからJRに乗れば良いけれど、JR中央線に乗っても京王線に乗っても、在来線ではどちらも高尾駅でJR中央本線に乗り換えをしないといけないので、途中の高尾駅までは京王線に乗る方が安い。大人1人で差額が382円もあるので夫婦二人で764円にもなり、この差額は大きい。JRが少し高い事もあるが、京王線が特に安いと思う。それに加えて今回は、帰りに高速バスに乗ろうと計画しており、電車より運賃が高くなるので少しでも費用は抑えたい。
JR相模湖駅で電車を降りてトイレに立ち寄る。街道歩きも街中ばかりではないので、トイレは済ませられるときに済ませておく方が良い。2人は服装を整えて帽子を被り、JR相模湖駅を後にして歩きはじめた。
駅から国道20号(甲州街道)に出て西に向かって歩くと、甲州街道で15番目の宿場である与瀬宿がある。与瀬宿の本陣跡地には当時の本陣建物の屋敷が建っていたと思われる石垣が残っているが、説明版などは無かった。国道を挟んで斜め向かいにコンビニがあったので買い物に立ち寄り、山の方に向かっていく旧甲州街道を歩き進んだ。
すると、神社の鳥居の向こうに長い階段が見えていた。階段の先では中央道を橋で渡り、その先に神社の本殿があるようだ。今日は街道ウォークだからこのまま先に進むけれど、日本の大動脈の1つでもある主要高速道路を横切って参拝する神社も珍しいから、機会があれば行ってみたい気持ちになる。與瀬神社と書いてあるが、与瀬神社なのだろう。
そのまま旧甲州街道を先に進むと、車道は狭くなり山の斜面ギリギリに造られた歩道を歩き進む。頭上には中央道の高架橋、崖の斜面の下には国道20号が走り抜けている。
「こんな所を進むのね」
今まで、都内の街中を歩いてきた甲州街道であるが、小仏峠を越えると緑豊かな山間を進んで行く。旧甲州街道はこの先の笹子峠に向かっていくけれど、山の急な斜面を進んで行くようだ。
崖の斜面に造られていた歩道から国道20号の歩道に合流するが、その先で旧甲州街道は山に向かう林道へ入り、その先で車両通行止めになっていた場所に古そうな石碑があった。
「この辺りから沢を渡って向こう岸に進んでいるみたいだけど」
良人は事前に調べてはいたが、この辺りの旧街道は道路として残っていないようだった。向こう進むのに渡らなければならない沢の名前が貝沢であり、旧甲州街道はその貝沢を貝沢橋で渡って先に進むようになっているとあるが、林道から沢に降りる山道を見つけられない。2人は付近を捜していると、少し年上であろうか70代ぐらいに見える一人の男性が林道を歩いてきた。登山用の青いリュックを背負っている男性は、自分たちと同じように街道ウォークをしている人だろう。良人は何となくそう思っていると、男性の方から良人に話しかけてきた。
「貝沢橋を探しているのですが、解りますか?」
「自分たちも、貝沢橋を探していたのですが…」
やはり、この人も街道ウォークを楽しんでいるのか。しかし、こういう雰囲気で感じ取る直感は当たるものだよな。そんなことを思っていたが、ここにいる三人誰もが貝沢橋の場所が解らない。そのうちに男性はヘアピンカーブを曲がって下りていく林道を進み国道20号に向かって戻っていった。どうやら、貝沢橋はあきらめたようだった。
「このまま、ここで探していても見つからないだろうから、先に進んで引き返えそうか。反対側からだと解るかもしれないし」
由美子が前向きな意見を言うと良人も納得して、2人は国道20号へと降りて先に進み、大きく戻るように与瀬の一里塚に向かった。
斜面に建つ住宅街を歩き進み、道路が無くなった場所に甲州街道の16番目になる与瀬の一里塚は木柱となり残っていた。由美子は嬉しそうに一里塚を写真に収めていると、その先に山道が続いているのを見つけた。
「行ってみようよ」
けもの道のような山道を下りながらどんどん進む。確かに山道だけれど、何だか人が使っていたような道だと感じながら歩き進んだその先に小さな沢が現れた。これが貝沢か。
沢を流れる水量はそれほど多くなく、2人は沢に降りる。場所を選べば大人なら何とか渡れそうな沢であるが、その沢には丸太が組まれた細い橋が渡されて、貝沢橋と名前が描かれていた。
「貝沢橋があったよ」
良人は何だか嬉しくて胸が弾むような感覚がした。
山の中にある昔の旧街道を見つけただけなのに、こんなにうれしいと思うのか。自分で計画して、実行して、解らないものは見つけながら旅をするって楽しいよな。良人は、そう思いながら貝沢橋を写真に収めた。山奥の沢にかかる丸太の写真であるが、良人にとっては特別な思いが入る一枚の写真になった。
「せっかくだから先に進んで、さっきには解らなかった場所まで戻ろうよ」
由美子はあっさりと言うと、さらりと沢を越えてその先へと進んで行く。今回はなかなか予定通りには進まないな。歩く旅は人生と同じように計画通りには進まないのか。
こういう時には、どうしても効率の良さや周りの状況や他人の思いで判断してしまうので、自分の気持ちはどうしても後回しにしてしまう。でも、この年齢になり趣味を楽しんでいるのならば自分のやりたいことや知りたいことを優先しても良いのか。
しかし、由美ちゃんは切り替えが早くてすぐに対応するよな。
山道を行ったり来たりでロス時間は1時間弱になるかもしれないけれど、せっかく頑張って歩いているのだから納得しながら進んで行きたいし、心残りは無い方が良い。どんどん先へと進んで行く由美子の後ろ姿を見て良人も続こうとするが、丸太で作られた貝沢橋を渡るのに四苦八苦し、危うく沢にドボンとはまりそうになった。
次の話:これからの趣味はお金をかけず時間を使って 歴史や史跡を楽しむ歩く旅
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前回の話:小仏峠を越える旅
最初の話:運動に関心が無い夫と別行動、妻がひとり旅を計画したら予想外の展開になった話
参考書籍
歴史と文化を訪ねる日本の古道・五街道② 中仙道67次甲州街道45次 教育画劇
ちゃんと歩ける甲州街道 八木牧夫 山と渓谷社