国費から16.6億円出して催す故安倍晋三国葬儀は、なぜ「国葬」にこだわるのか
故安倍晋三国葬儀は、9月27日14時から日本武道館で催される。政府は、7月22日に「葬儀は、国において行い、故安倍晋三国葬儀と称する。」として閣議決定した。
国葬儀の実施にかかる費用のために、2021年度予算の予備費から2億4940万円を支出することを、8月26日に閣議決定した。ただ、これは、予備費として追加支出する金額を示したまでで、既定予算の中から捻出する費用は含まれていなかった。国葬儀にかかる総費用は、これに、警備費や外国要人の接遇費などが加わって、総額で16億6000万円程度となる見通しを、松野博一官房長官が、9月6日の記者会見で明らかにした。
これは、政府が費用を意図的に過少に示したわけでないものの、情報を後から小出しに出したとの印象を多くの国民に与えた。2億4940万円は、あくまでも予備費からの支出で、これはこれで別途支出を決定しなければならないものだった。既定予算を支出することは、追加的な閣議決定は必要なく執行できる。だから、予備費とは別物だ。
ただ、予備費だけが先に出て、それ以上の支出はないかのように認識させたことは否めない。すると、後から出てくる情報は、(いいものも悪いものも含め)何らかの理由でこれまで出さずに隠していたかのような印象を与えてしまった。
そうした中で、9月27日の子安倍晋三国葬儀は催される予定である。では、なぜ政府は「国葬」にこだわるのか。
最大の理由といえるのは、一度閣議決定したものを覆せば、今後の政権運営に重大な支障をきたすからである。
閣議決定は、行政府たる内閣の最高意思決定である。これを「朝令暮改」すれば、内閣は閣議決定しても最終的な決定ではなく、事後修正が容易にできるもの、と錯覚されてしまう。
そうなれば、閣議決定はその重みを失い、決定後にもこれを覆そうとする動きが与党内で起きても何ら不思議ではない。一度決めたら覆せない、となれば、決定前には様々な議論や駆け引きはあろうが、決定後にはもはや覆せないものとしてそれに従うしかない、という認識を政府与党内にもたらす。閣議決定は、コミットメントを示す意味で重要である。
だから、「国葬」であろうがなかろうが、一たび閣議決定されたものを覆すわけにはいかない。今の政府にとっては、たとえ「国葬」が不人気であったとしても、これを覆した後のことを考えると、むしろそちらの方が失うものが大きいと考えているのだろう。
それだけではない。もう1つ理由として考えられることがある。それは、「国葬」を閣議決定したのが、7月22日だったことと関連がある。なぜそんなに早々と「国葬」を閣議決定したのか。「国葬」に反対の声が高まるにつれて、「国葬」に賛成する側からも、決定時期が尚早だったのではないか、との見方が出ている。
それでも、あの時期に「国葬」を閣議決定する背景があった。それは、
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