自公過半数割れでどうなる政権の枠組み。連立政権に加わる政党が増えると財政支出は増える?財政赤字は?
10月27日に投開票が行われた衆議院総選挙の結果、自民党は191議席、公明党は24議席となり、連立与党の議席は215議席となって、過半数の233議席を下回った。自公両党で、衆議院において過半数割れとなるのは、2009年の総選挙以来だが、過半数割れしたまま組閣すると、少数与党として政権運営を迫られる。
衆議院総選挙直後に、少数与党のまま政権を発足させたのは、1953年に発足した第5次吉田茂内閣まで遡る。その際、改進党に閣外協力を取り付けた。
1976年の衆議院総選挙で、自民党は結党以来初めて過半数割れを経験するが、保守系無所属議員を追加公認して過半数を確保して、福田赳夫内閣を発足させた。1979年の衆議院総選挙でも、自民党は単独で過半数を確保できず、大平正芳総裁の責任問題をめぐり自民党内で「四十日抗争」が起き、首相候補を一本化できないまま首班指名選挙に臨み、決選投票の末第2次大平内閣を発足させ、保守系無所属を加えて過半数を維持した。1983年の衆議院総選挙では、自民党は単独で過半数を確保できず、新自由クラブとの連立政権を樹立して過半数を確保して、第2次中曽根康弘内閣を発足させた。
1993年の衆議院総選挙では、自民党は比較第1党ではあったが過半数を割り、過半数を確保して樹立した非自民・非共産連立政権の細川護熙内閣が発足した。
衆議院選挙直後ではない時期の少数与党は、1994年の羽田孜内閣以降はない。野田佳彦内閣は、2012年に民主党からの離党者が相次ぎ、少数与党に陥りそうになったが、衆議院の解散までは衆議院で過半数を維持した。
このように、衆議院総選挙直後には、過半数を確保して政権を発足させてきた。
自公政権が衆議院での少数与党を避けようとするなら、別の政党に連立政権に加わってもらうよう要請しなければならない。すると、連立政権を構成する政党は、少なくとも3党となる。
連立政権を構成する政党が、2党から3党へと数が増えるとどうなるか。特に、財政政策にどのような影響があるだろうか。
こうした現象については、経済学の先行研究がある。これらの先行研究によると、
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