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政権交代なき時代の象徴であった「春闘」が復活してきた

田中良紹ジャーナリスト

フーテン老人世直し録(744)

弥生某日

 春闘がこれほど注目されたのは久しぶりである。日銀は19日に「アベノミクス」を終了させる決定を下したが、その根拠となったのは春闘で大企業の賃上げ率が33年ぶりに5%を越えたことだった。

 バブル崩壊以降「失われた時代」を続ける日本は、デフレから脱却するため11年前から日銀が国債を買い続ける「異次元の金融緩和」を行った。しかし物価は上がらず、8年前からは「マイナス金利」を導入して「金利のない世界」を作り出した。

 この異常な金融政策で円安が加速され物価は上昇したが、それはデフレからの脱却どころか経済構造を著しく歪めた。物価を上回る賃上げを実現し、消費を増やして物価を押し上げていかないと、デフレからの脱却はない。ようやくそれに気付いて「55年体制」が終わってから影の薄かった春闘が再び注目を集めた。

 そのため政府と企業と労働組合が一体となって春闘に取り組み、大企業では一定の成果を上げることができた。日銀は「マイナス金利」を解除し、日本は「金利のある世界」に戻って、異常な金融政策は正常化された。

 しかし賃上げを実現するのに、政府と企業と労働組合が一体となって春闘を必要とするところに日本という国の特殊性がある。日本では賃上げが他の国のように市場原理や個別の労使交渉で決まるわけではないのだ。

 日本に春闘という仕組みが誕生したのは、1955年に革新勢力で左右に分かれていた社会党が一つになり、保守勢力も自由党と民主党が合流して自由民主党が誕生した直後だった。

 「55年体制」で保守・革新の二大勢力が対峙する構図ができた訳だが、それは政権交代を念頭に置いたものではなかった。日本の労働運動が政治闘争から経済闘争に重心を移し、それに応えるように同じ時期に全国規模で賃上げを行う春闘の仕組みが作られた。それは保革が一体となって経済成長に邁進する構図である。

 与野党は国民に対して表では対立しているように見せるが、裏では対立していない。対立しているように見せて対立していないのは、与野党ともに吉田茂の流れを汲む保守本流の「軽武装・経済重視」路線だからである。

 吉田茂が憲法9条に力を入れたのは、米国に従属することで防衛を米国に委ね、日本の持てる力を経済復興に振り向けるためだった。吉田は9条を盾に朝鮮戦争に出兵せず、後方支援に徹し、米軍の武器弾薬を作ることで工業国家の基礎を築いた。

 9条擁護の吉田に対し、民族自立を訴える保守傍流も従属路線に反発する野党も当初は反対した。しかし春闘方式が確立すると、野党は9条擁護を前面に立て、政権交代を狙わずに憲法改正させない3分の1の議席獲得を狙うようになる。

 政権交代より憲法改正阻止が野党の目標となった。一方の自民党も9条の平和主義を米国に対する牽制に使った。国民に平和主義を浸透させ、米国が日本に過大な軍事要求をすれば政権交代が起きて、親ソ政権が誕生すると米国に思わせた。ベトナム戦争でも日本は戦争特需を享受し、日本は高度経済成長を実現していった。

 春闘で毎年賃金が上がる仕組みは、年功序列賃金と終身雇用制によって「今日より明日が良くなる」期待感を国民に抱かせ、国民は「企業戦士」となって世界一の経済大国である米国に挑戦し、米国の製造業を打ち負かしていった。

 米国議会では日本のダンピングがやり玉に挙がった。ソニーのウォークマンが日本の秋葉原より安い値段でニューヨークで売られていると問題にした議員がいた。その議員はソニーが米国で安い値段で売るのは、日本の消費者に高い値段で売り付け、損失をカバーしているためだと言った。「日本の消費者はなぜこれに怒らないのか」と議員は議場で叫んだ。

 その頃、海外で製品を安く売る企業はソニーだけではなかった。腕時計もウィスキーも日本製品は空港の免税店より安い値段で海外で売られていた。海外からの土産に日本製の腕時計を買ってくる日本人の話をよく聞かされた。

 日本の消費者が怒らないのは、春闘で毎年賃金が上がることが慣例化していたからだ。世界で最も物価が高いのは東京と言われたが、それにも日本人は何の痛痒も感じなかった。「今日より明日が良くなる」は当たり前だと考えていた。

 そうやって日本の製造業は米国の製造業を打ち負かしていき、日本は失業を輸出していると言われた。職を失った米国の製造業労働者はクリントン政権のIT革命にも乗り遅れ、またクリントン政権が中国を世界の工場にしたことで悲惨な境遇に置かれた。トランプ前大統領はその労働者層を強固な支持層に取り込んでいる。

 フーテンは1980年春闘を取材した。それはその後の労働運動の分岐点となる春闘だった。この春闘取材でフーテンは日本の賃金が経営者と労働組合の交渉で決まるのではないことを初めて知った。官邸が深く関与していたのだ。

 当時は大平正芳政権で加藤紘一官房副長官が春闘担当だった。フーテンは昼間は労働組合を取材し、夜は企業の春闘担当役員の家を夜回り、深夜1時ころ加藤副長官の宿舎を訪ねて取材した。

 春闘の山場は、国鉄の労働組合である国労、動労と私鉄の労働組合が共闘し全国の交通機関を止める交通ゼネストだった。スト突入か中止かで、日本全国のサラリーマンの足に影響が出る。

 赤字の国鉄は賃上げに否定的だが、国労、動労は総評傘下の戦闘的組合としてストを打つ気が満々だった。一方で私鉄企業はデパートや遊園地経営も行っており、ストを打たれると損失が大きい。高めの賃上げをしてでもストはやめさせたい。

 しかし私鉄の運賃は当時の運輸省が認可の権限を持っている。経営者が賃上げしたくても役所に睨まれれば勝手に賃上げはできない。そのように霞が関が民間企業の許認可権を握っているため、最後は官邸の政治判断に委ねられる。

 賃上げさせずにストを打たせるか、賃上げを認めてストなしにするかは、その時々の政治情勢を見て官邸が判断する。それを巡って様々なところから様々な要求が飛び交うのが春闘の最終局面だ。

 フーテンは加藤副長官の言葉をヒントに「ストなし」と報道したが、他社は新聞・テレビともみな「スト突入」を予想した。結果は私鉄が始発だけストを行い、すぐにやめたため、通勤の足に全く影響はなかった。ただ国労と動労は夕方までストを打ち続け、国鉄が止まっても通勤に影響がないことを証明する結果になった。

 80春闘は民間労組と官公労がストを巡って分裂した最初の春闘で、そのため官公労中心で左派系の総評が地盤沈下し、右派系の同盟と合流して「連合」を結成するきっかけになった。

 この年、テレビの世界で衛星中継が普及した。フーテンが所属するTBSは米国のCBSと独占契約を結んでおり、全米に短時間だがTBSのニュースが放送されることになった。TBSは様々な素材を用意したがCBSが選んだのは春闘だった。

 「お前のレポートが全米に流れるぞ」と先輩記者から言われ、何故かと思ったが、考えてみれば米国に春闘はない。米国から見れば日本経済の特殊性を紹介するのが目的だったのかもしれない。

 山本七平氏は日本が官僚主義であることを証明するため、日本に春闘方式を確立した太田薫総評議長の言葉を引用している。太田氏はある座談会で「弱い政府を作って、みんなでこれを批判している状態がもっとも望ましい」と語った。

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ジャーナリスト

1969年TBS入社。ドキュメンタリー・ディレクターや放送記者としてロッキード事件、田中角栄、日米摩擦などを取材。90年 米国の政治専門テレビC-SPANの配給権を取得。日本に米議会情報を紹介しながら国会の映像公開を提案。98年CS放送で「国会TV」を開局。07年退職し現在はブログ執筆と政治塾を主宰■オンライン「田中塾」の次回日時:11月24日(日)午後3時から4時半まで。パソコンかスマホでご覧いただけます。世界と日本の政治の動きを講義し、皆様からの質問を受け付けます。参加ご希望の方は https://bit.ly/2WUhRgg までお申し込みください。

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