日銀の「アベノミクス」からの政策転換のニュースに抜け落ちている米国の存在
フーテン老人世直し録(743)
弥生某日
日銀は19日の金融政策決定会合で、第二次安倍政権誕生後の2013年から続けてきた「異次元の金融緩和」を終了させることを決めた。
第二次安倍政権はバブル崩壊から20年以上も続いていたデフレからの脱却を目指し、2%の物価上昇を目標に大規模な金融緩和策に踏み切り、それを「アベノミクス」と名付けた。
日銀は長期国債や株式を大量に購入することで市場に資金を供給し、インフレを起こさせてデフレからの脱却を図った。しかし2%の物価目標を達成できず、8年前には金融機関が日銀に預ける資金から0.1%の手数料を取る「マイナス金利政策」を採用した。金融機関の資金を日銀に預けさせず市場に向かわせるための政策である。
「マイナス金利政策」はこれまでスイス、EU、デンマークなど欧州5カ国が実施した。しかし現在の世界で採用しているのは日本だけである。このため日本では預金してもほとんど利息が付かず、日本人はこの8年間「金利のない世界」に生きてきた。
日銀は今回の決定で「マイナス金利」を解除した。日本人は「金利のある世界」に戻ることになった。また日銀は株式買いを終わらせる決定も下した。もう一つの長期国債大量購入は、やめてしまうと国債の金利が急騰して経済に打撃を与えるため、月6兆円の国債購入は続けることにした。
11年前から始まった「アベノミクス」は、バブル崩壊後に株安と円高に苦しんだ日本経済を一転させ株高と円安をもたらした。株高によって景気は上向いたように見えたが、消費者は円安によって輸入物価の高騰に直面した。
円安の恩恵を受けた輸出企業から富がしたたり落ちることはなく、また物価の伸びに見合った賃上げも実現できず、国民の実質賃金は下がり続け、消費が伸びないことで経済成長率は安倍元総理が「悪夢」と呼んだ民主党政権時代より悪くなった。
その結果、大企業と中小企業、都市と地方の格差が拡大し、一方で国と地方の借金は1100兆円を超えて膨れ上がった。何かの拍子に国債の金利が上昇すれば、円は急落し日本経済は破綻の危機に瀕する。
問題は物価の上昇を上回る賃上げを実現することだ。賃上げで消費を伸ばし、賃上げ分を物価に反映させても消費が落ちなければ、企業の利益はさらなる賃上げに向かう。物価と賃上げの好循環が生まれ、それがデフレからの脱却を可能にする。
しかし現在の物価高は円安による外的要因に基づいている。企業の利益が上がらなければ賃上げはできず、物価を下げなければ物が売れない。売れなければ賃上げもできず、それがデフレの悪循環をもたらす。
日銀の植田総裁は今年の春闘での賃上げ率が33年ぶりに5%を超えたことと、人件費の増加が反映されやすいサービス産業の価格上昇が確認されたことから、物価と賃金の好循環が見通せると考え、政策転換を決断したと述べた。
しかし5%を超えたのは大企業の賃上げだ。全体の7割を占める中小企業の賃上げがどうなるかはまだ分からない。金融政策決定会合に出席した委員9人のうち2人は慎重な意見を述べて決定に反対したと言われる。
さらに植田総裁の言う通り物価と賃上げの好循環が見通せたとしても、11年間にわたる「アベノミクス」の負の遺産はあまりにも大きい。日銀の国債保有残高はすでに発行済み国債の5割を超えている。それを売却すれば国債の金利が上昇する。国債金利が上昇すれば国家経営は破綻の危機を迎える。だから国債金利を上げないように月6兆円規模の購入を続けざるをえない。
しかし「金利のない世界」から「金利のある世界」に戻った日本で、金利が上がれば、評価損が膨らむため国債の価格は低下する。国債を売らずに持ち続けることにもリスクがある。
大量に保有する株式についても難題がある。日銀が保有する時価総額は67兆円といわれる。大量に売りに出せば株価を急落させる。市場に影響を与えない程度に少しずつしか売れない。しかし影響を与えないように売ると数十年から百年を超す長い時間がかかる。その間に株価が下がれば日銀は含み損を抱える。
「異次元の金融緩和」からようやく「正常化」の入り口にたどり着いたと言っても、つまり「デフレからの脱却」が始まったと言っても、デフレの長い苦しみから抜け出るには乗り越えなければならないハードルがいくつもある。
ところで日銀の政策転換を伝えるニュースでフーテンが感じるのは、米国の存在が抜け落ちているということだ。誰がデフレを作ったのか、誰が低金利政策を採用したのかを考えた時、それが米国のせいだと言う気はない。あくまでも日本政府が選択した道ではあるが、しかしその節目に米国の存在があることをフーテンは見てきた。
これまで何度も書いてきたことだが、問題の始まりは日本が世界一の債権国になり、米国が世界一の債務国に転落した1985年である。フーテンは自民党田中派を担当する政治記者だった。
9月に米国は対日貿易赤字を解消するため、ニューヨークにG5各国の蔵相と中央銀行総裁を集めて為替レートの変更を迫り、「プラザ合意」が結ばれた。1ドル250円台だった為替レートは一挙に150円台になり、円高で日本の輸出産業は壊滅的打撃を受けた。
翌86年に米国は日本製半導体が世界のシェアの7割を占めていたことから「日米半導体協定」の締結を迫ってきた。日本の輸出シェアを落とすことが目的の理不尽な要求だが当時の通産省と中曽根政権はそれを受け入れた。その結果、台湾と韓国が米国と並んで半導体の主要輸出国になった。
87年にはパリのルーブル宮殿でG5が開かれ、米国が各国に低金利を迫った。日本は受け入れたがインフレを恐れた西ドイツはこれを拒否した。これを「ルーブル合意」と言うが、日本政府は「プラザ合意」で打撃を受けた輸出産業を助けるためだと説明した。しかしこれが日本経済にバブルをもたらすことになる。
88年には国際決済銀行(BIS)が銀行の自己資本比率を引き上げる統一基準を作った。その頃の日本の銀行は世界に冠たる存在で、例えば89年の世界における時価総額ベスト10に日本の銀行が5つも入った。
日本の銀行は国際金融市場での存在感を高めていた。しかし自己資本比率が他国の銀行と比べて低く、BIS規制は日本の銀行を国際金融市場から締め出すためではないかと噂された。
その後に起きたことは、輸出で流れ込む貿易黒字マネーと、世界一の債権国になったため流れ込む金利マネーによって、物価が上昇することを恐れた日本政府が、意図的に株価と地価にマネーを吸収させたインフレ対策である。これがバブルを引き起こした。
一方、「ルーブル合意」で米国の要求を受け入れた日銀は低金利政策を実施し、金利で利益を上げられなくなった銀行は株価と地価の上昇に着目する。株の仕手筋や地上げ屋に金を貸すようになり、銀行は闇の勢力と接点を持った。
その結果、銀行幹部のスキャンダルをネタに闇の勢力が銀行から無担保で金を引き出し、ヤクザが金融や不動産の世界に乗り出す。バブルの日本は小説家の高杉良氏が名付けた「金融腐蝕列島」になった。
89年12月に就任した三重野康日銀総裁は、前任者の澄田智総裁が「ルーブル合意」を受け入れたことに反発して金融引き締めを主張していた。しかし米国や大蔵省の力の前にバブルを許した苦い経験がある。
そのため総裁に就任するや、矢継ぎ早に金融引き締め策を打ち出してバブル潰しに動いた。メディアは三重野氏を池波正太郎の小説「鬼平犯科帳」の主人公長谷川平蔵になぞらえて、悪を取り締まる「平成の鬼平」と称賛した。
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