森喜朗氏が姿を現さなければシンキロウのように構図が鮮明にならない派閥パーティ裏金事件
フーテン老人世直し録(742)
弥生某日
3月14日、政治倫理審査会が憲政史上初めて参議院でも開かれ、3人の安倍派議員が「パーティ資金裏金事件」について弁明を行った。
最初に弁明を行ったのは事件の責任を取って参議院幹事長を辞任した世耕弘成議員である。世耕氏はパーティ資金の還流について「関与したことも、報告、相談も受けていない。不記載が行われていたことも一切知らなかった」と述べ、また「私は不起訴、嫌疑なしで真っ白だ」と特捜部の捜査結果を盾に一切の疑惑を否定した。
これに続く西田昌司議員は「世耕氏の弁明には全く納得できない。安倍派の幹部は知らないと言うだけでなく、還流の実態を調べて我々に説明すべきだ。幹部たちには説明責任があり、その重さを踏まえて出処進退を考えるべきだ」と痛烈に批判した。
最後に弁明に立った橋本聖子議員は「私は安倍派の常任幹事だったが派閥の会計や経理に関係したことはない。しかし議員辞職を心に決めたこともある。ただ多くの国民の負託を得て議員になった以上、その責任を果たしていく思いに至った」と述べ、一時は議員辞職をする気になっていたことを明かした。
3人とも「知らぬ、存ぜぬ」では共通するが、その弁明の仕方が三者三様で興味深い展開だった。世耕氏は冒頭で「政治に対する国民の信頼を棄損した」と一応はお詫びの言葉を述べた。しかし自分が裏金作りに関与していないことを強調するため、「一切知らない」、「真っ白だ」とまるで胸を張る言い方をし、偉そうな弁明に終始して国民感情を逆なでにした。
そのため西田氏の批判には説得力があった。世耕氏が幹部であるなら「自分は知らなかった」で済まされる話ではなく、きちんと調べてその結果を説明するのが幹部の責任の取り方ではないかというわけだ。
安倍元総理が銃撃事件で死亡した後、安倍派を束ねたのは森喜朗元総理である。最大派閥を「5人衆」という集団指導体制に移行させ、次期総裁選の候補者となる会長を作らなかった。それによって森氏は岸田総理に貸しを作り、自身の政治的影響力を確保した。
世耕氏はその「5人衆」の一人である。それなら森氏に還流の仕組みがいつからどうしてできたのかを聞けば良い。しかしそれができない。違法行為の主犯に問い質すわけにはいかないからだ。だからいつ、だれが、何の目的で違法行為を始めたのかという本質の話になると、誰もそこから先に行けなくなる。
安倍派幹部は「自分は知らない」と言い続けるしかなく、森氏に話が及ぶと「党のヒヤリングで森先生の関与は一切認められなかった」という話にすり替えて逃げ切りを図る。
橋本参議院議員が議員辞職を心に決めたというのは、2020東京五輪を主催する組織委会長となり、国際社会から一目置かれる存在になったのに、「裏金議員」のレッテルを貼られ、次の選挙で落選しようものなら世界の笑いものになってしまう。その思いがあったからではないかと推察する。
しかし議員辞職をするには、自分を政治の世界に引き入れた「政治の師」というべき森氏に了解を取らなければならない。森氏にそれを伝えたところ、反対されたのだろう。
森氏はこの問題で議員が辞職すれば、それこそ批判の矛先が自分に向いてくる。それだけは避けなければならない。森氏は橋本氏が辞職を思いとどまるよう説得し、最後は橋本氏も納得して辞職しないことを決め、「国民の負託に応えて責任を果たしていく」という常套句で居座ることにしたのではないか。
あるいはこういう推測も成り立つ。東京地検の捜査がどこまで迫るかがまだ分からない時に、不安になった橋本議員は2020東京五輪に汚点を残さぬよう、議員辞職を心に決めた。しかし森氏に止められ、そのうち捜査が森氏に及ばないことが分かったので、議員辞職をしないことに変わった。
先月末には衆議院でも4人の安倍派議員が政倫審に出席したが、全員が同じように「何も知らなかった」と言い、安倍派がパーティで集めた金を所属議員に還流し、不記載にするよう指示していたのが誰なのかを言わなかった。
そのためメディアは事件の主役が森氏であることを感じつつ、事件の構図を断定することができず、フーテンから見れば犠牲者かもしれない安倍派議員を「裏金議員」として叩いている。この事件は構図が鮮明にならず、まるで蜃気楼のようにかすんで見える。
そう言えば2000年に誕生した森喜朗内閣は、名前を音読みして「シンキロウ内閣」と呼ばれた。政権の成り立ちからまともな政権とは認められず、一時的な短命内閣に終わると思われたのである。
森内閣は2000年4月5日に誕生した。その3日前に小渕恵三総理が脳梗塞に倒れ、村上正邦、野中広務、亀井静香、青木幹雄、森喜朗の5人で協議した結果、幹事長を務めていた森氏が後継総理に決まった。「5人組の密室協議」と言われ、この決め方には批判があった。
その2年前の1998年12月に森氏は派閥の会長に就任した。そして1999年に政治資金規正法が改正され、派閥や政治家個人に対する企業・団体献金が禁止された。その一方で政治資金のパーティ券を企業・団体が買うことは禁止されなかった。そのため企業・団体献金は政治資金パーティに向かうことになる。
今回の事件で東京地検特捜部が家宅捜索を行ったのは安倍派と二階派の2か所の事務所である。1999年当時に安倍派の会長は前述した通り森氏だが、二階派の会長は村上正邦氏で、2000年の「密室の協議」で「あんたがやれよ」と森氏を総理に推したのは村上氏だった。
この2人は政治資金規正法の改正により企業・団体献金を派閥の政治資金パーティで受けるスキームを作った。ただし違いがある。村上派の流れを汲む二階派では集まった資金は一部の幹部にしか還流されないが、安倍派ではノルマを越えればその分が議員にキックバックされ、さらに参議院選挙の年には参議院候補者に全額戻される。
安倍派の方が所属議員に手厚く、しかも参議院で勢力拡大を狙っていることが分かる。しかし問題はそれをなぜ不記載にしたのかである。不記載というのは政治資金規正法の趣旨に真っ向から反する行為だ。政治資金規正法は政治資金の「入りと出」を国民に正直に公開することを促している。
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