戦前の「未完のファシズム」は今になって甦るか
フーテン老人世直し録(107)
神無月某日
片山杜秀著『未完のファシズム』(新潮選書)に刺激を受けた。我々は戦前の軍部が天皇権力を後ろ盾に独走し、無謀な戦争に突入していったと教えられたが、むしろ独裁権力が現れないように設計された明治憲法体制によって軍部は独走し、現実を無視した精神主義に陥った歴史の現実を教えられたからである。
フーテンは中曽根政権時代に政治記者として、田中角栄、中曽根康弘、金丸信の三つ巴の権力抗争を目の当たりにした。稀代の政治家たちが政治の奥の院で繰り広げた抗争劇はとてもニュースにできるような単純な話ではない。まさに歴史劇を見る思いだった。政治記者を辞めた後にそれを『裏支配』(講談社)として出版したが、フーテンはその抗争劇の中から「権力の手触り」、「政治の奥深さ」を知った。
「政治はサイエンスにあらずアートである」。それがフーテンの実感であった。学校で習った民主主義、議院内閣制、三権分立などの政治用語を理解してもこの国の政治を理解する事は出来ない。そしてこの国の構造も学校で教えられたものではない。誰が動かしているのか。それが分からない。フーテンは山本七平の言う「空気」と思うしかなかった。
ところが『未完のファシズム』を読んで、明治政府の作り出した近代日本の統治構造が、誰にもリーダーシップを取らせず、タコツボが縦割りのままに暴走し、従って誰も責任を取らない構造になっている事を知った。明治政府が作り出した官僚主導の統治構造は今の時代も続いている。明治の元勲が作った構造に代わる統治の仕組みを創る者が次の時代を作る事になる。
片山氏によれば明治憲法は二元体制を作った。立法府に衆議院と貴族院を作り、そのどちらにも優位性を与えず、従ってどちらかが反対すれば法案は成立しない。また行政府にも内閣と枢密院があり、内閣総理大臣にリーダーシップを与えない。さらに軍隊は立法府にも行政府にも司法府にも属さず、陸軍と海軍を統合する組織もない。結局はすべてをバラバラにして天皇だけが「上御一人」となる構造である。
では天皇にリーダーシップがあるかと言えばそれもない。片山氏は昭和15年に民政党の代議士斉藤隆夫が行った有名な「反軍演説」の中に「我が皇道の根本原理は『うしはく』に非ずして『しらす』ことを以て本義とする」という個所がある事を紹介し、その意味を解説する。
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