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シリーズ:ギャンブル依存問題を考える(3)

木曽崇国際カジノ研究所・所長

「ギャンブル依存の認知には色んなものがあって、借金とギャンブルしか見えない人達がいる。でも実際はギャンブルや借金の問題の背景には色んな問題がある。」

本稿は「ギャンブル依存問題を考えるその1その2」の続きです。未読の方はそちらを先にどうぞ。

木曽:

ところで、今、ワンデーポートの利用者はどのくらいの人数が居るのですか?

中村:

今、入所している人が24人、それに加えて「通い」の人が居ます。通いの人というのは、この施設を出た後に周辺地域で自分で生活しているOBの人達で、殆どの人はちゃんと仕事をしていて余暇だけを入居者と一緒に過ごしたり、金銭管理だけをウチの施設がやっている人も居ます。金銭管理をやっている人は給料を貰ったらまずウチの施設にそれを預けに来て、一週間に一度「これくらいの金額が必要だ」という形で申告をして生活費を受けとりながら生活をしています。こういう人達って、ホントに普通に仕事は出来るんだけど、金銭管理だけが上手くできないからそれを施設がやってる。

金銭管理に関しては、実は僕自身、だいぶ以前は彼らに全部お金を持たせて、それでまずは「痛い思い」をすれば良いと思っていたんです。いわゆる「底付き」ですね。

底付きとは:

依存者が回復に向かって主体的に動き出すキッカケとなるドン底体験。一般には依存回復のプロセスで必ず必要なものであると捉えられている。

ただ、実際は底をついて人が変わるかと言えば、変わらない人はまぁ変わらないです。出来ないものは、出来ないという人も居るんですよ。でも、そういう人達も金銭管理だけをコッチでしてあげたら、仕事は普通にできるわけです。それで安定すれば、それはそれで良いじゃないですか。

勿論、そういう人達の中には毎週の生活費の中でギャンブルをしてしまう人も居る。「思わず使っちゃった」的な。ただ施設側は彼らの金銭管理をしていますから、そういうのはすぐに判るわけです。そうなると従前のGA的な考え方だと「スリップした。彼はまだ底を付いてなかった。ゼロからやり直しだ」みたいな大騒ぎになるんですけど、そういう話ではなくて「来週から切り替えよう」という話で十分切り替わるんですよ。勿論、そこから崩れちゃう人も居るんですけど、それはそれで「何で上手くいかなかったか?」を考えて、そこから建て直しをすればいい。

そして、その何で上手くいかなかったか?というところに、人によって仕事の負荷がかかり過ぎたとか、金銭管理の仕方をもう少し変えなければいけないとか、何かしらの原因が見えて来るわけです。崩れちゃった人が居ても、そこから「何で崩れちゃったのか?」について考えて行けば良い。これを病気として捉えてしまうと、そこで思考停止してしまうので「何で上手くいかなかったか」というのが自分では判らなくなってしまうんです。

ただ、こういう考え方ってご家族の方がこの方針をちゃんと理解していないと、ただGA的な発想の「スリップだ」って話になって、またミーティングに連れて行って12ステップのやり直しだみたいな流れになって、僕からすると凄く残念な方向に行ってしまうんです。結局、回復者がたまにギャンブルをしてしまうことに対してそれを受け入れられる家族と、それを受け入れられなくて「いつかは立派になる」みたいな理想をいつまでも追いかける家族はありますよね。ワンデーポートのようなやり方を採るには、どちらかと言うと家族がその方針を理解していなければ進まないと思います。

木曽:

中村さんはよくスリップと底付き、そして家族の関係の話をされていますけど、その辺りを改めてまとめるとどのようなものになりますか?

中村:

底付きに関しては、僕は大分前からそんなもの幻想だと言ってます。日本の依存回復の論議では、何だか本人が一回もの凄く「痛い思い」をしなければ依存者は回復しないみたいな話になっています。じゃぁ、痛い思いってそもそも何なんだって話になると、例えば社会的にいうと警察に捕まるとか、経済的にいうと自己破産するとかそういうものなわけです。でも、例えば捕まって刑務所から出て来た人達が「底を付いた」とかいって、そこから良くなるかというと、別にそれで良くはならないんですよ。逆に、人間って一回生活の質が落ちちゃうと、その生活にに慣れちゃうんですよね。必要なのはそういう事ではないんです。

木曽:

じゃぁ、回復に向けて必要なことって何なんでしょう。

中村:

必要なのはその人に合った生活です。その人らしく生きていけて、その人が楽に生きていける環境ができれば良いって事なんです。そこに「痛い思い」とか「底付き」なんて発想は必要はないです。よくギャンブル依存の世界では「否認の病」という言葉を使いますよね。でも私たちは、そもそもそういうものだとは思ってません。

否認とは:

依存者が自らが依存にあることを認めない、もしくは「いつでも辞められるし、辞めさえすれば自分は問題ない」として回復プロセスに入らないこと。前述の「底付き」体験の必要性は、一般的にギャンブル依存がこの「否認の病」であるということを前提としている論である。

ワンデーポートに来る人に、最初に「私たちは貴方の事を病気だとは捉えていません」というと皆ホッとした顔をします。一方で、ギャンブルの問題があって、その背景にひょっとしたら余暇が上手く使えないとか、金銭管理が出来ないとか、元々人間関係が上手くいかないとか、そういう問題は有りませんか?って聞いたら、実はかなりの人は問題の存在を認めます。ギャンブル問題の背景に貴方自身が気付いている、もしくはまだ気付いていない問題があるから、そこを一緒に考えてゆきましょう、と。そういう時に、「底付き」とか「病気」という言い方をしてしまうと、互いの信頼関係が崩れてしまう。

木曽:

で、施設での入居生活を通じて、それぞれが抱えている個別の問題解決しましょうというのがワンデーポートのアプローチなわけですね。だから、定型のプログラムは要らない。

中村:

はい、そうです。そうなってくると、実はギャンブルという問題はあんまり関係ないんですよ。依存の認知には色んなものがあって、例えばこの図のように借金とギャンブルしか見えない人達が沢山いるんです。

出所:中村さん提供
出所:中村さん提供

本当はギャンブルや借金の問題の背景には色んな問題があるんだけれども、こういう人達は起きてる現象面だけしか見えていない。ギャンブル依存の問題には支援者だとか家族の認知の問題もあって、全部が見える人と、起きている現象しか見えない人がいる。そして、起きている現象しか見えない人に、いくら人間関係だとか金銭管理の話をしても全く通じないのが難しいところです。

「その4」につづく

国際カジノ研究所・所長

日本で数少ないカジノの専門研究者。ネバダ大学ラスベガス校ホテル経営学部卒(カジノ経営学専攻)。米国大手カジノ事業者グループでの内部監査職を経て、帰国。2004年、エンタテインメントビジネス総合研究所へ入社し、翌2005年には早稲田大学アミューズメント総合研究所へ一部出向。2011年に国際カジノ研究所を設立し、所長へ就任。9月26日に新刊「日本版カジノのすべて」を発売。

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