日本プロ野球入団を阻む“田澤ルール”──注視される独占禁止法上の問題
海外流出防止のための“田澤ルール”
7月13日、メジャーリーグで活躍した田澤純一投手が、独立リーグ・埼玉武蔵ヒートベアーズに入団したことが発表された。入団先が独立リーグであることには理由がある。日本のプロ野球(NPB)には、彼を阻む“田澤ルール”があるからだ。
これは、日本のドラフトを拒否して海外の球団と契約した選手は、退団後も一定期間(社会人・大卒なら2年間、高卒なら3年間)はNPBのチームと契約できないルールだ。2008年、田澤選手がメジャーリーグに挑戦したとき、NPB(日本プロ野球機構)12球団が申し合わせた。目的は、有力なアマチュア選手の海外流出を防止することにある。今回の件は、12年前のこのルールがいよいよ発動した結果だ。
一方、プロ野球選手会はかねてから“田澤ルール”に反対している。現在も選手会のホームページでは明確に反対が表明されている。
この声明で注目すべきは、「独占禁止法上明らかに違法」という部分だ。
独禁法は、ざっくり言ってしまえば事業者同士の競争を健全化するための法律だ。たとえば談合のように事前の取り決めをして競争が働かなくなれば、各事業者の力が衰えて経済が不活性化する。競争は資本主義社会においては(程度はあるが)必要不可欠なもので、それもあって「競争法」とも呼ばれる。
では、この“田澤ルール”は独禁法上の問題はないのか。
公取委の移籍制限の監視
一昨年、公正取引委員会はフリーランスにも独占禁止法を適用する方向に舵を切った。約1000万人もいるとされる個人事業者の労働(事業)を保護する法律がなかったからだ。
フリーランスのなかでも注目されたのが、芸能人とスポーツ選手だった。芸能界ではプロダクションを移籍した芸能人が圧力をかけられる事態がよく見られ、スポーツ界にもプロアマ問わず移籍制限(移籍後の活動制限)が多くあった。ともに引き抜きを防止するためだった。
しかし、独禁法の適用によって両業界には変化が訪れた。
なかでも大きな話題となったのは、芸能界における元SMAPの新しい地図の3人(稲垣吾郎・草なぎ剛・香取慎吾)のケースだ。旧所属プロダクションのジャニーズ事務所が、公取委から「(独禁法)違反につながるおそれがある行為がみられた」として「注意」されたのは、昨年7月のことだ(詳しくは「ジャニーズに対する公取委の注意、その背景とこれまでの文脈とは」2019年7月18日)。
スポーツ界にも変化が訪れた。ラグビーやバレーボール、バドミントン、陸上などで、従来の移籍制限が撤廃された。昨年には公正取引委員会も正式に声明を出し、どのようなケースが問題となるか明示している。
先にあげたラグビーなどの各競技団体が移籍制限を廃止したのも、こうした公取委の「期待」(実質的には監視だが)に沿うものだ。しかし、“田澤ルール”は実例が生じなかったために放置されたままになっており、それが今回の独立リーグ移籍によってにわかに問題化したのである。
明文化されていない“田澤ルール”
田澤選手以外にもメジャーリーグでのデビューを経て、NPBのチームに入団するケースが過去に2例ある。
最初はマック鈴木投手だ。高校中退後に渡米しメジャーリーグで活躍した鈴木選手は、2003年にオリックスに入団した。もうひとりが多田野数人投手だ。彼も大学卒業後にメジャーリーグでデビューし、2008年に日本ハムに入った。
彼らは、ともにドラフト会議で指名されて入団した。それは、日本人であり、かつ日本の学校の出身者だったからだ。NPBでドラフト指名の対象となるのは、日本国籍者か、日本の中学・高校・大学に一定期間在籍した外国人選手とされている(日本プロ野球機構「新人選手選択会議規約」)。
形式的には、田澤選手はこのふたりに続くケースだと言える。彼がNPBのチームに所属するためには、現行のルールではドラフト指名される必要がある。よって、すでにシーズンが始まったNPBへの加入は不可能だ。
加えて、“田澤ルール”がある。鈴木・多田野選手のときは大きな問題にはならなかったにもかかわらずこのルールが生まれたのは、彼が非常に有力なアマチュア選手だったことに起因する。NPBは、選手の海外流出を怖れたのである。
ただし、そもそもこの“田澤ルール”は、プロ野球協約に明文化されている規約ではない。実態としては、あくまでもNPB12球団の“申し合わせ”、つまり「口約束」だ。
この「口約束」が今後も機能するならば、社会人チーム出身の田澤選手のNPB入りは2022年のシーズンまで制限される可能性がある。今年34歳の田澤選手は、36歳になる年までNPBでは活躍できないことになる。アスリート生命を考えれば、致命的とも言える期間だ。
大谷選手を説得した日本ハムの説明
ここで思い出すのは、現在メジャーリーグで活躍する大谷翔平選手のエピソードだ。大谷選手は当初メジャー志望だったが、日本ハムが強行指名し、時間をかけて説得し入団契約に結びつけた。
このとき日本ハム球団が大谷選手を説得する際に用いたのは、日本の野球界の分析だ。実際の入団交渉で用いられた資料「大谷翔平君 夢への道しるべ」(2012年)では、日本の野球界の国際水準における位置づけや、他のスポーツとの比較などが簡潔に説明されている。契約交渉における資料であることを踏まえても、その内容は当時もいまも納得できるものだ。
なかでもポイントとなるのは、NPBとメジャーリーグの比較だ。この資料では、実力(競技力)的にはわずかに劣るが、育成環境ははるかに上回ると説明されている。WBCにおける侍ジャパンの成績や、マイナーリーグの過酷な状況を踏まえると、これは十分に妥当な評価だろう。
またそれを裏付けるかのように、昨年メジャーリーグのドラフト1巡目指名を蹴ったカーター・スチュワート・ジュニアが、ソフトバンクホークスに入団した。育成環境や契約面において、ソフトバンクの条件が良かったからだと言われている。また、元広島のコルビー・ルイス投手や元巨人のマイルズ・マイコラス投手のように、日本での成長を機にアメリカで大活躍する選手も見られるようになった。これらを踏まえても、2012年当時の日本ハム球団の説明は全般的に説得力がある。
しかし、もしそうだとしたら、日本ハムのその認識は12球団で定めた“田澤ルール”と齟齬をきたすことになる。NPBのレベルが十分に高く、育成力がメジャー以上であり、場合によっては契約条件も良いならば、アマチュア選手が最初からメジャーを目指す可能性は低いからだ。田澤選手はかなりのレアケースだということだ。
巨人を経てFAでメジャーリーグに行って活躍した上原浩治さんも、以下のように述べている。
新たな受け入れ体制の確立を
新人選手の海外流出を怖れるNPBにとって、メジャーで成功した田澤純一選手の存在は非常に厄介な存在に映るのかもしれない。ただし、前述したようにNPBのレベルはけっして低くなく、育成力ではメジャーを凌ぐと考えられる。もはやアマチュア選手の海外流出を懸念する必要はなく、もっと自信を持てばいいのである。国際的な競争力でも十分有利な立場だからだ。
いま考えなければならないのは、田澤選手に限らず海外でデビューして戻ってくる選手の受け入れ方法だろう。“田澤ルール”は問題外だが、ドラフト会議を待たなければならないのは、期間的にもかなり厳しい。来シーズンまではNPBでは活躍できないからだ。
提案としては、一定年齢(25歳、30歳以上など)を超えた選手はドラフト会議をスキップできる案(社会人チームの強い反発が予想されるが)や、あるいは当該シーズンだけ外国人枠での扱いにする案(これも不当な参入障壁にもなるが)などが思いつく。
以上はほんの一例だが、こうしたことをしっかりNPBが議論し受け入れ体制を整えていく必要があるだろう。
※選手の移籍制限においては、NPBのドラフト指名自体が独禁法に違反すると考える向きもある。この点についても、この資料では以下のように説明がされている。
3 他方,スポーツ事業分野において移籍制限ルールを設ける目的には,主に以下の2点があるとされている。
(1) 選手の育成費用の回収可能性を確保することにより,選手育成インセンティブを向上させること
(2) チームの戦力を均衡させることにより,競技(スポーツリーグ,競技会等)としての魅力を維持・向上させること
この点,スポーツ統括団体が(又はチームが共同して)定める移籍制限ルールは,上記(1)又は(2)の面で競争を促進する効果を有する場合もあり得る。このため,独占禁止法上,移籍制限ルールについては,前記2記載の弊害が生じるからといって直ちに違反と判断されるのではなく,それによって達成しようとする目的が競争を促進する観点からみても合理的か,その目的を達成するための手段として相当かという観点から,様々な要素を総合的に考慮し,移籍制限ルールの合理性・必要性が個別に判断されることとなる。
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