「イスラーム国」の2024年の回顧と2025年の展望
中東では、2023年以来のイスラエルによるガザ地区や隣接諸国での破壊と殺戮が続く一方、「抵抗の枢軸」陣営がこれに完敗して半ば瓦解するという大きな変動があった。この変動には、イスラーム過激派も大いに関係しているが、みんな大好き(?)「イスラーム国」にとって、2024年はやや活動が持ち直した年だったといえる。ただ、同派が毎週律義に発行し続けた週刊誌をぼんやり眺め続けていると、同派の活動や関心事項の傾向に重大な変化が生じたことも見えてきた。
読者諸賢にとっては周知のことだろうが、「イスラーム国」はパレスチナやエルサレムで「占領者」や「シオニスト」と闘うことをイスラーム統治の樹立を妨げるいんちき行為とみなし、そうした闘いよりも世界中のどこかの田舎で背教者や異教徒を殺すことの方を評価する。「イスラーム国」には世界は信仰者と不信仰者の2種類しかいない白黒にしか見えていないので、「不信仰者を殺す」に該当する行為ならば世界のどこで何をしようとも立派なジハードになり、わざわざより強力な敵であるアメリカやイスラエルと干戈を交えることになるパレスチナやエルサレムにまつわる闘争なんかに関わる必要はない。こうして、同派は広報場裏で「ユダヤ殺し」を扇動して「ユダヤに対するジハード」をするふりをしつつも、実際の行動では2024年1月4日のイランでの攻撃、同3月22日のモスクワ郊外のコンサート会場襲撃のような、アメリカ・イスラエルの敵に対する攻撃を熱心に行った。5月19日にアフガニスタンのバーミヤンで外国人観光客が殺傷された事件も競合するターリバーンに対する嫌がらせとしての性質が強く、当時盛んに喧伝された「ホラサーン州」の国際的脅威なるものは2024年を通じてたいした話題にならなかった。こうした流れを受け、「イスラーム国」は9月26日付の機関誌の論説で、「アッラーのご叡慮により、ムジャーヒドゥーンがエルサレムに到達し、ユダヤとの真正な戦線を開くのは、スンナ派の裏切り者と不信仰ラーフィダが一体となっている無明の党派を根絶した後」と宣言してパレスチナやガザで殺戮にさらされるムスリム同胞への支援を彼岸化するとともに、イスラエルに加勢するかの如く「抵抗の枢軸」陣営への攻撃を優先すると宣言した。その結果、たとえ「イスラーム国」の扇動に応じたと称するものであっても、イスラエル権益を含む西洋諸国の権益に対する攻撃は「イスラーム国」にとって組織の方針とは異なる迷惑行為となった。6月23日にロシアのダゲスタン共和国でキリスト教やユダヤ教の宗教施設が襲撃された事件でみんなが待望した(?)「犯行声明」が出なかったのも、スイスやセルビアやドイツで「イスラーム国」に忠誠表明をした者が引き起こした通り魔的襲撃事件に対し「イスラーム国」が正式な「犯行声明」を出さず、広報上とても冷淡に扱ったのも、「イスラーム国」とその仲間たちが闘うのは「宗教・宗派的憎悪や確信」が理由なのではなく、個人や組織の成功や存続という俗世的で打算的な理由に基づいて「イスラエルに味方した方が得」と考えていることの証左だ。このような「イスラーム国」の活動の変化は、アメリカ、イスラエル、西洋諸国にとって害にならない、あるいは政策上役に立つならば、「テロ組織」でも攻撃や取り締まりを受けないのみならず、活動を黙認、放任、奨励されるという、「テロとの戦い」の恣意的運用(=破綻)と軌を一にしたものだ。これを、「イスラーム国」の2024年の回顧と2025年の展望のための重要な注目点の第一として挙げておこう。
重要な注目点第二は、「イスラーム国」が機関誌上で使用する語彙や地名の傾向にも大きな変化が生じたことだ。この変化も、第一の注目点と連動していると考えることができそうだ。「イスラーム国」の機関誌は、たまに教理教学上の論考や殉教者の伝記が掲載されることがあるが、冒頭の論説で時事問題・宗教的扇動や激励があるのを除けば大抵は戦果発表だ。となると、機関誌の記事で使用頻度が高い語彙や地名は、それだけ「イスラーム国」が攻撃・脅迫・罵倒する頻度が高い個人や集団、同派の戦果が多い地域と言える。従来、「イスラーム国」の攻撃対象として言及される頻度が最も高かったのは、本来は同派の者たちと同じスンナ派のムスリムだが同派に従わない者たちを意味する「背教者」だった。この傾向は、この世にイスラーム過激派が現れた当初からずっと言われ続けてきた、「イスラーム過激派のテロ行為の最大の標的・被害者はムスリム」という観察結果を裏付けるものだった。ところが、同派の機関誌で使用される語彙や地名をごく粗雑に集計した結果、2024年は「背教者」1316回に対し、「キリスト教徒」1375回となった。「イスラーム国」は、同派がキリスト教徒の国・陣営とみなす相手の軍に対しては「十字軍」という表現を用いるので、機関誌中で「キリスト教徒」を呼ばれる人々は兵士や軍人や官憲ではなく、キリスト教徒の非戦闘員・民間人と思われる。「民兵」(1247回)も非常に使用頻度が高い語彙だが、これはイスラーム過激派討伐を含む世界中の紛争で非国家主体を起用するという世界的傾向を反映したもので、シリア北東部でアメリカ軍の現地提携勢力として活動するクルド民族主義勢力を指す「PKK」(2023年351回→2024年674回)への言及の頻度の増加分が2024年の「民兵」の使用頻度にも反映された。クルド民族主義勢力には、欧米諸国出身者を含む「イスラーム国」の構成員・家族を令状も裁判もなしに超法規的に収監するという大切な仕事があるので、囚人奪還闘争を続けないと支持者やファン離れを招きかねない「イスラーム国」にとっては重要な攻撃対象だ。また、クルド民族主義勢力が「イスラーム国」に攻撃され続ける限りアメリカ軍はシリア領に違法に設置している諸拠点を維持・拡大できるので、「イスラーム国」と「PKK」がシリア人民にとってどんなに有害無益でも、この両者が消えてなくなるということはなさそうだ。一方、長年「イスラーム国」の仇敵と考えられてきた「ラーフィダ(=シーア派)」の使用頻度は545回にとどまり、最盛期の8分の1程度に低下した。これは、「抵抗の枢軸」陣営への攻撃を優先するとの主張の半面、イラクでの日常的な戦果発信ができなくなっていることを反映している。
地名の使用頻度では、2020年頃からのアフリカ諸国での活動活発化傾向が続いている。「イスラーム国」の伝統的な活動地域だった「シャーム」(253回)、「イラク」(131回)に対し、コンゴ(518回)、マリ(170回)、モザンビーク(455回)、ニジェール(349回)、ナイジェリア(933回)の使用頻度の方がはるかに高い。アフリカ諸国では現地の正規軍よりも「民兵」や「キリスト教徒」が攻撃対象になることが多い。「西アフリカ州」のように、ある程度の領域を占拠してそこから資源を調達していると思われる地域があることにも注意が必要だ。また、ここで挙がった諸国の一部は、欧米諸国と関係が悪く、軍事的にロシア(やワグネル)に頼りがちな国であることも2025年を展望する上で重要な材料だろう。欧米諸国にとって、このような国で「イスラーム国」が活発化するのは「どーでもいい」どころか「喜ぶべき」ことなのだ。ちなみに、外国人観光客の襲撃や閣僚の暗殺などの人目を引く戦果を上げた「ホラサーン州」の使用頻度は93回にとどまり、同州で「イスラーム国」が日常的な戦果を発信しているわけではない。
過去の経験則に鑑みると、イスラーム過激派の活動は彼らに対応する政府・治安機関・報道機関・研究機関が費やす資源の量と質と相関しつつ、5年くらいの周期で衰退と発展を繰り返している。2025年は次のピークと目されることから、2024年の「イスラーム国」の持ち直しも経験則から見ると予想の範囲内だ。問題は、イスラーム過激派の活動の谷を極力長く、深くし、山を極力低く、短くすることなのだ。しかし、現在のイスラーム過激派諸派の活動は、諸派が欧米諸国(特にアメリカとイスラエル)の外交・安全保障政策を邪魔しなければ特定の領域での権力奪取を「許される」という、イスラーム過激派馴致の歴史的実験の中にある。この実験に組み込まれたイスラーム過激派への評価の基準は国際的な安全保障なので、イスラーム過激派支配下の住民をいくら虐待しようとも、住民には国際的な助けの手はほとんど差し伸べられないことになるだろう。ターリバーンやシャーム解放機構(旧称:ヌスラ戦線・シリアのアル=カーイダ)が、「近隣諸国の脅威とならない」旨「国際社会」に誓約しつつ、自派の権力奪取への承認を求めているのはこの実験の一場面だ。この両派は、単なる競合相手としてだけでなく、「国際的承認」を得るための条件として「イスラーム国」と熱心に闘うことになるだろう。従って、「イスラーム国」の2025年は、1.欧米諸国に「家畜化」されたイスラーム過激派諸派との抗争、2.欧米諸国の敵に対する攻撃激化と領域の奪取、3.「イスラーム国」自体の「家畜化」などなど、どのような方向に進むかは考えどころではあるものの、戦闘の頻度や強度が上がる1年になりそうだ。「テロとの戦い」の破綻の最終局面としてのイスラーム過激派馴致の実験を眺めることしかできない筆者としては、実験の過程で邦人や邦人権益に被害が及ばないよう祈るしかない。