菅総理が自分の足元を制圧できない非力さを満天下にさらした横浜市長選
フーテン老人世直し録(602)
葉月某日
横浜市長選で野党が推した山中竹春氏は、菅総理が全面支援した小此木八郎氏に18万票の差をつけて大勝した。横浜市議時代に「影の市長」とまで言われ実力を誇った菅総理が、今や足元の横浜市を制圧できない政治家になったことが満天下にさらされた。
投票が締め切られると同時に「当確」を打ったNHKのニュースで、支援者の万歳に応える山中氏の横に立っていたのは、菅総理を秘書時代から面倒を見た「ハマのドン」こと藤木幸夫氏だ。藤木氏は「菅総理も今日あたり辞めるんじゃないの? 電話かかってきたら『総理やめろ』と言う」と言って野党支援者を喜ばせた。
一方、現職閣僚の座を捨てて市長選に立候補した小此木氏は、落選が判明した時点で菅総理に「ありがとうございました」と連絡し、「ご苦労様でした」と返事があったことを記者団に明かし、「もう選挙には出ない」と政界引退を表明した。
翌朝、菅総理は記者団の質問に「大変残念な結果になった。コロナ感染など様々な問題についての市民の判断を謙虚に受け止める」とだけ述べ、「自民党総裁選に出馬するか」の質問には「考えに変わりはない」と答えた。
「政治の世界には『まさか』という坂がある」と言ったのは小泉純一郎元総理だが、小此木八郎氏の落選は「まさか」という坂だった。三代にわたる政治家一家に終止符を打たせたのは、菅総理が官房長官時代に先頭に立って主導したカジノ誘致である。
それに「ハマのドン」藤木幸夫氏が反対し、菅氏との間に亀裂が生まれた。自民党内の市長候補選定が難航すると、横浜に強い地盤を持つ小此木氏が現職閣僚を辞めて出馬を表明し、「カジノ誘致中止」を掲げた。ところが藤木氏は野党候補の山中氏を支援し、カジノ誘致を主導した菅総理は「誘致中止」の小此木氏を支援するという一般には何が何やらわからない選挙構図になった。
ところがカジノ問題が争点と思われた選挙は「デルタ株の猛威」に直撃される。カジノより目の前の感染者数に横浜市民の目が向けられ、「唯一のコロナ専門家」を掲げた山中氏に無党派層の支持が流れた。一方で政府のコロナ対策に対する不満が噴出し、菅総理の支援が小此木氏には不利に働く結果になった。
藤木氏の言葉の端々に表れるのは菅総理に対する敵愾心である。一方で決して小此木氏に批判の矛先が向けられてはいない。それどころか現職閣僚を辞めて出馬したことを「見事だ」と称賛し、8月3日に海外特派員協会で行われた会見では「八郎が当選する」と断言、「俺が八郎の名付け親だ」と秘話を明かした。
ところが菅総理が小此木氏支援を表明すると、藤木氏の言動は次第に過激になる。山中氏の応援に駆けつけて「菅政権はもうすぐ終わる」と発言し、「市長選挙が終わったら自民党議員をすべて落選させる運動を始める」という。
何がそれほどまでに菅総理に対する敵愾心をつのらせたのか。小此木家と藤木家と菅総理の関係を整理してみなければならない。
小此木家と藤木家は昭和の初めから横浜で特別な関係を築いてきた。小此木八郎氏の祖父歌治は材木商として財を成し、昭和初期から横浜市会議員となり、同時に港湾荷役の元締めである藤木組(現在の藤木企業)との関係を強めた。戦後初の総選挙では衆議院議員になった。
その息子の彦三郎に藤木組の創業者藤木幸太郎は大番頭の娘を嫁がせた。その三男が八郎氏で、彦三郎も衆議院議員になったから、小此木家は三代にわたる政治家一家である。落選を受けて八郎氏が政界引退を表明したことは、小此木家にとって一族の歴史を変える出来事だ。
藤木幸太郎の息子の幸夫氏は神戸の港湾荷役の元締め山口組の田岡一雄と並び称せられ、「西の田岡、東の藤木」と言われた。その小此木家に彦三郎の秘書として入ってきたのが秋田生まれの菅義偉だ。
八郎氏が10歳の頃から2人の関係は始まり、彦三郎が急死した後の後継者として長男ではなく三男の八郎氏を推したのは市会議員になった菅氏だ。八郎氏は菅氏より先に1993年の選挙で衆議院議員に当選する。
次の96年選挙で菅氏も国政に出るが、2人の軌跡で目を引くのは、年齢が上だったせいからか、後から衆議院議員になった菅氏が2006年に初入閣を果たし、小此木氏が初入閣するのは第二次安倍政権で菅官房長官の推薦で国家公安委員長に就任した2017年と遅れたことだ。
また2012年の総裁選で菅氏は安倍晋三を担ぎ、政権交代を成し遂げるとその功績で官房長官に上り詰め、辣腕を振るうようになるが、一方の小此木氏は自民党幹事長に就任した石破茂氏の下で筆頭副幹事長を務め、石破氏と親しい関係にあった。
その菅官房長官が総理の座を狙い出すのは、おそらく官房長官に就任した時だと思う。そもそも世襲議員の多い自民党で「世襲反対」を公言していた菅氏が、世襲議員に代わって総理になる野心を抱くのは不思議でない。菅氏には世襲議員を踏み台にしてのし上がろうとするたたき上げの臭いがある。
そのためには自分の考えと違っても安倍総理がやりたいことをやれるように下働きをする。そして生まれ育ちの良い人間にはできないダーティワークも厭わずやる必要もある。そうやって総理になる時を狙っていたとフーテンは想像する。
そのチャンスとなる仕事がカジノ誘致と東京五輪招致だった。いずれも「貿易立国」に代わる「観光立国」のために企画され、菅官房長官は日本国民の「食い扶持」を作るためだと割り切ったと思う。
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