アメリカ同時多発テロから19年 世界貿易センタービル「偽の柱」採用案の衝撃
アメリカ同時多発テロから19年が経ちました。
航空機に激突されて崩壊した世界貿易センタービル(以下、WTC)の外壁を覚えていますか? 青空に向かって伸びて行くような、たくさんの細く長い柱で構成されていました。
筆者は、拙著『9.11の標的をつくった男 天才と差別ー建築家ミノル・ヤマサキの生涯』で、WTCをデザインした日系2世の建築家ミノル・ヤマサキの人物評伝の執筆にあたり、多くの関係者に話を伺いましたが、今回は、WTCのデザインの大きな特徴と言える柱の秘密についてお話ししたいと思います。
多数の柱と極小な窓幅にしたワケ
WTCの外壁には、ピンストライプのような細い柱が多数採用されていました。そのため、柱と柱の間の窓ガラスの幅は極めて狭い56センチしかありませんでした。
多数の柱を採用したのは、ヤマサキが、太陽光が柱にあたることで生み出される光と影で、ビルの垂直線を強調したいと考えていたからです。
また、極めて狭い窓幅にしたのは、ヤマサキが高所恐怖症だったからだとよく指摘されていますが、ヤマサキの長男のキムさんも、WTCの構造設計に携わったレスリー・ロバートソン氏もそれを否定しています。著名人には俗説がつきものですが、“ヤマサキ高所恐怖症説”も俗説だったようです。
むしろ、ヤマサキは、高層ビルで働く人々の気持ちを考えていました。窓幅が広いと、オフォスで働く人々が窓のそばに立った時、高さから恐怖を感じるのではないか。人々は景色ばかり眺めて、仕事に集中できなくなるのではないか。そんなふうに考えたのです。
“偽の柱”という驚愕の提案
しかし、たくさんの細い柱の採用は、WTCを運営していたニューヨーク港湾局側の頭を痛めました。コストがかかるからです。港湾局側は柱の数を削って、コスト削減したいと考えていたのです。柱に使用されるアルミニウムやスティールが高額だったからです。一方、柱と柱の間に採用する窓ガラスのコストはあまりかかりませんでした。
しかし、ヤマサキとしては“デザインの命”と考えていた柱の数だけは削りたくありませんでした。
コスト削減のために柱の数を削りたい港湾局と削りたくないヤマサキの間で起きた攻防。どう解決したらいいのか? 当時、ヤマサキの事務所でWTCのプロジェクトに携わったキップ・セロータ氏によると、港湾局側は解決すべく驚くべき提案を行ったといいます。それは、
「建物の上層部に、1本置きに、スティールの量が少ない柱を使ってはどうか」。
その柱は“偽の柱”と呼ばれました。
“偽の柱”採用案に、ヤマサキはすぐさま反対しました。ビルから構造的安定感や統合性が失われるという理由からです。
港湾局側はヤマサキの反対を受け入れましたが、もし、ヤマサキがコスト削減のためのその提案に賛成し、1本置きに“偽の柱”が採用されていたとしたら、航空機が激突した時、どうなっていたでしょう?
そんな質問に、セロータ氏はこう答えました。
「WTCは航空機に激突された後、1時間近くも建ち続けることができましたが、“偽の柱”が採用されていたとしたなら、そこまで長く建ち続けることはできなかったかもしれません」
WTCの外壁を構成していた柱の数は、1つの壁面につき59本。その1本1本はスティールの量が減らされることのなかった、構造的安定感のある柱だったのです。航空機激突後、北棟は102分間、南棟は56分間、建ち続けることができました。
おじぎをするように自滅
しかも、WTCは横に倒れて周囲のビル群に被害を広げることなく、その場で、下に向かって真っ直ぐ崩れ落ちて行きました。そんな壊れ方について、ヤマサキの事務所で働いていた上西昇氏が口にした言葉が今も忘れられません。
「WTCは外に向けて爆発するのではなく、内に向けておじぎでもするように崩れて行きました。それは不幸中の幸いでした。もし横に倒れていたとしたら、もっと大きな被害が出ていたことでしょう。自滅して行くようなWTCの最期を見て、とても泣けて来ました」
人々の脳裏に刻みつけられたWTCが崩れ落ちる姿。
あの日から19年。同じ悲劇が繰り返されないことを祈りたいと思います。
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