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ローレンス・アーチャー、伝説のハード・ロック・バンド:グランド・スラムで復活【前編】

山崎智之音楽ライター
Laurence Archer / photo Mark Rutherford

グランド・スラムの最新セカンド・アルバム『ウィール・オブ・フォーチュン〜運命のダーツ〜』と2019年に発表されたデビュー作の新装盤『ヒット・ザ・グラウンド〜リヴィジテッド』が2024年6月、日本で同時発売された。

シン・リジィの解散後、フィル・ライノットが1984年に始動させたのがグランド・スラムだった。彼らの音楽は高く評価されたものの、レコード契約を獲得することなく解散。フィルは1986年1月4日に亡くなっている。だが、バンドはギタリストのローレンス・アーチャーを中心に再始動。2枚のアルバムを発表するに至ったのだ。

40年の歳月を経て、新世紀のグランド・スラムが出陣する。現在スペイン在住のローレンスに、“古くて新しいバンド”の過去と現在、そして向かっていく未来について話してもらった。

“生”の対話を可能な限り忠実に再現するべく、話題が時系列順になっていないが、ローレンスのトークをご堪能いただきたい。

Grand Slam『Wheel Of Fortune ウィール・オブ・フォーチュン~運命のダーツ~』(Rubicon Music/現在発売中)
Grand Slam『Wheel Of Fortune ウィール・オブ・フォーチュン~運命のダーツ~』(Rubicon Music/現在発売中)

<グランド・スラムの新しい扉を開くスタイル>

●スペインにはいつから住んでいるのですか?

8年ぐらい前に家を買って、3年前から定住しているんだ。温暖で住みやすく、とても良い所だよ。ロンドンのように何でも駆け足ではない。最近(2024年4月26日)亡くなったロビン・ジョージもスペインに住んでいたんだ。お互いの家に行き来するような関係ではなかったけど、友人だったし、ジェイムズ・ホルクワース・コンスピラシーの「The Battle Of Faughart」という曲で共演しているんだ。ちょくちょく連絡を取っていたから、亡くなったと聞いたときは悲しかったね。

(ロビン・ジョージへのインタビューはこちら→https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/d4bad775ed2c989b44b9c389d185d62011e7a8e6

●スペインではLAエクスペリエンスというバンドでも活動しているそうですが、どんなバンドですか?

スペイン人と地元在住のイギリス人の友人たちとやっているカヴァー・バンドなんだ。グランド・スラムがオフのとき、あちこちのクラブでライヴをやっているんだよ。ハード・ロックの名曲を中心にプレイしている。UFOやディープ・パープル、ゲイリー・ムーア、シン・リジィ、ジェフ・ベック、サンタナ...ゲイリーの曲は「ウォーキング・バイ・マイセルフ」「パリの散歩道」「スティル・ゴット・ザ・ブルース」「バック・オン・ザ・ストリーツ」などがレパートリーで、日によって異なった曲をプレイしているよ。あとホワイトスネイクの「フール・フォー・ユア・ラヴィング」とか、UFOで俺がプレイしたアルバム『暴発寸前!! High Stakes And Dangerous Men』(1992)から「シーズ・ゴーン」「バック・ドア・マン」とかね。

●私が初めてグランド・スラムの音楽を聴いたのは1984年、イギリスのBBCラジオで放送されたライヴを録音したテープでした。

ずっと俺たちの音楽を聴き続けてくれて本当に嬉しい。世界中のファンのみんなには本当に感謝しているよ。当時グランド・スラムはレコードを出さなかったし、君が聴いたのはブートレグだけど、俺が『ヒット・ザ・グラウンド』を出そうと思い立ったのは、それらの非公式音源が出回っていることも理由のひとつだったんだ。フィル・ライノットと俺がレコーディングしたデモはいずれも未完成で、世に出せるようなものではなかったけど、フィルが亡くなった後にスタジオから持ち去られて、グランド・スラム名義のアルバムとして発売されてしまった。もしフィルが生きていたら、決して許さなかっただろう。だから俺は、それらの曲が本来聴かれるべき形でレコーディングしたんだ。

●しばしば“2枚目のアルバムは難しい”と言われますが、『ウィール・オブ・フォーチュン〜運命のダーツ〜』はどうでしたか?逆に、ファースト『ヒット・ザ・グラウンド』の時点ではグランド・スラムとして作品を発表することはリスクを伴いましたが、今回はバンドが受け入れられたという安心感もあったのでは?

そうだね。フィルがいないシン・リジィに批判があるのと同じで、「お前らは偽物だ。グランド・スラムを名乗るんじゃない」とバッシングされないか心配もあった。でもたくさんのファンが好意的に反応してくれて、そういう意味では2枚目は気が楽だったよ。ファーストでは新曲とフィルと書いた昔の曲の割合が50:50だったんだ。でも『ウィール・オブ・フォーチュン〜運命のダーツ〜』は新曲が中心だ。俺が曲作りとプロダクションをコントロールしているし、自分にとって重要なステップだと考えているよ。どの曲もファーストよりも確信に満ちているし、仕上がりにはとてもハッピーだ。

●“グランド・スラムの新曲を書く”ことはどの程度意識しましたか?

実はあまり意識しなかったんだ。俺の曲の書き方は1984年と変わらないからね。UFOやシン・リジィ、AC/DCから影響を受けて、彼らの曲に合わせてギターを練習してきたんだ。ギターを弾きたいと最初に思ったのはエリック・クラプトンを聴いたときだけど、それからジェフ・ベックやゲイリー・ムーアに傾倒した。ただ、俺はいわゆるギター・ヒーローを目指したことはなくて、いつだってまず第一にソングライターだったんだ。常に自分なりのメッセージを伝えようとしてきた。1980年代初め、スタンピードでもそうだったし、だから初期のグランド・スラムでフィルと強固な繋がりを持つことが出来たんだ。彼と俺のあいだには、ソングライターとしてお互いに対する敬意があった。それは今のグランド・スラムでの俺とマイク(ダイヤー)の関係に近いものがある。彼は素晴らしいシンガーでソングライターで、シン・リジィのライヴを経験してプロを志したんだ。

●『ウィール・オブ・フォーチュン〜運命のダーツ〜』ではどんなアプローチを志しましたか?

自分の音楽性の多彩な面を表現することを心がけたんだ。「スピットファイア」や「スタークロスド・ラヴァーズ」みたいなロッキンな曲は長年書いてきたし、「パイレート・ソング」や「ウィール・オブ・フォーチュン」は新しい扉を開くスタイルの曲だ。今のバンドには昔のグランド・スラムと異なる個性がある。マイクのヴォーカル、ロッキー(ニュートン)のベース、ベンジー(リード)のドラムスには独自の化学方程式がある。これは過去に便乗する懐古プロジェクトではなく、200%のエネルギーで前進していくバンドなんだ。グランド・スラムと名乗ることで、俺たちが昔の曲をプレイするノスタルジア・バンドだと誤解される可能性があることは認識している。もしかして将来的にバンド名を短縮して“ザ・スラム”とかにしても良いかもね(笑)。もちろんグランド・スラムを名乗る以上、「ナインティーン」や「ミリタリー・マン」、「デディケイション」、「シスターズ・オブ・マーシー」などの1980年代の曲はライヴでプレイする。今回のアルバムでやった1980年代の曲は「カム・トゥゲザー(イン・ハーレム)」だけなんだ。この曲はライヴでプレイしていたけど、やり残した気分があった。それを完成させたのがこのヴァージョンだよ。

●あと当時の曲でスタジオ・レコーディングしていないのは「Breakdown」や「Gay Boys」、「Here We Go」などでしょうか?

「Here We Go」はシン・リジィの「ベイビー・ドライヴズ・ミー・クレイジー」みたいな、サッカー場の応援歌っぽい曲なんだ。だからあまりスタジオ・アルバム向きではないかも知れない。「Gay Boys」は時代にそぐわないし、それに逆らってやるほどの曲ではないと思った。

●「キャント・ゲッタウェイ」はどうでしょうか?

「キャント・ゲッタウェイ」はフィルと出会う前に俺が書いた曲だったんだ。当時やっていたスタンピード向けだったわけではなく、デモではウェイステッドのフィン・ミューアが歌っていた。フィルが気に入って、グランド・スラムでデモを録ることになって、アメリカでヒューイ・ルイスをプロデューサーに迎えてレコーディングしたこともある。初期デモを“ゲフィン・レコーズ”のA&Rのゲイリー・ガーシュが気に入ってくれたんだ。後にニルヴァーナと契約した人だよ。ただ、元々スティーヴ・ペリーみたいなシンガーが歌うことを前提にして書いた曲だったから、フィルは「良い曲だけど俺には歌えない」と言っていた。だからどちらかというと“グランド・スラムの曲”というより、俺の曲というイメージが強いね。今でもファンからよくリクエストされるし、もしかしたら将来的にリメイクするかも知れない。

●「キャント・ゲッタウェイ」はソロ・アルバム『L.A.』(1986)であなたが自分で歌っていますが、スティーヴ・ペリーらしく歌えたと思いますか?

いや、全然(苦笑)。あのアルバムを作ったときは本格的にリード・ヴォーカルを取ったことがなかったし、スケジュールがハードで、すべてのパートを3日でレコーディングしなければならなかったんだ。ドラマーのザック・スターキーがプロフェッショナルで、作業がスムーズだったけど、ヴォーカルは1日で録ったものだった。『L.A.』には良い曲がいくつもあったんだ。「ホェン・ユー・ワー・ヤング」は今でも気に入っていて、最近もL.A.エクスペリエンスのライヴでプレイした。お客さんは誰も知らなかったと思うけど、みんな盛り上がってくれたよ。

●『L.A.』は日本のみでリリースされた初回盤LP/CDに高額プレミアが付いていることでも有名ですね。

そうなんだよ!ネットで見たけど、10年ぐらい前にLPが3千ドルだかで売れていた。今ではブートレグが出ていたりYouTubeで聴けたりして、少し値段も落ち着いているかも知れないけど、段ボール1箱ぐらい取っておけば良かった(苦笑)。ファンがブートレグにサインを求めてくるのは心が痛むよ。聴いてもらえることは嬉しいけどね。その後、1980年代後半にロード・アイランド・レッドというバンドを組んでいたけど、当時の曲にも良いものがあるし、復活させたらきっと楽しんでもらえるよ。

Grand Slam / photo by Paul Drozdz
Grand Slam / photo by Paul Drozdz

<グランド・スラムの曲を俺なりにきちんと完成させたかった>

●『ウィール・オブ・フォーチュン』収録の「カム・トゥゲザー(イン・ハーレム)」は元々1980年代に「Harlem」として書かれその後、歌詞が異なる「If I Had A Wish」としてもデモが録られていますが、そちらでもあなたがギターを弾いていますか?

...判らない。フィルとは一時期、毎日スタジオで作業していたからね。歌詞を書き換えたり、新しいパートを書き加えたり、いろんな曲のいろんなヴァージョンがあるんだ。さまざまな実験をしてきたし、他のギタリストとも別のヴァージョンを録っているかも知れない。まあ聴いてみれば自分かどうか判るけどね。それだけフィルが何度もレコーディングしたのは、納得のいくテイクを録れなかったからだ。つまり彼が亡くなってからリリースされてきたのは、どれも未完成なんだよ。フィルの死のごたごたに便乗してスタジオから持ち去られたものだし、“公式”と呼べるようなものではない。だから俺なりにきちんと完成させたかったんだ。より良いものにしたかった。今回レコーディングした「カム・トゥゲザー(イン・ハーレム)」はよりロックなアレンジにして、コーラスを書き加えた。当時フィルはダンス・ポップにも興味を持っていたんだ。マネージメントがウルトラヴォックスやポール・ハードキャッスルと一緒で、そういう音楽が耳に入りやすい環境もあったと思う。彼は常にアンテナを張って、新しい音楽をチェックしていたよ。

●グランド・スラムの2枚のアルバムはどちらも「ゴーン・アー・ザ・デイズ」「ゼア・ゴーズ・マイ・ハート」と、シン・リジィのファンにはたまらない曲調のナンバーで始まりますが、それはどの程度意識したことですか?

俺はシン・リジィから影響を受けてきたし、それが自分の音楽に表れていることは間違いない。レコード会社もそれをプッシュしていきたいみたいなんだよ。今回のアルバムでバンドは「スピットファイア」を先行リーダー・カットにしたかったけど、彼らは「ゼア・ゴーズ・マイ・ハート」を勧めてきたしね。決して意識したわけではないけど、「ゼア・ゴーズ・マイ・ハート」のギター・ハーモニーはシン・リジィっぽい気もする。でもそれは意識してコピーしているわけではないんだ。「ゴーン・アー・ザ・デイズ」は1986年から1987年にかけて書いたものだ。モリッツというバンドにいたピーター・スキャロンとその頃に作った『L.A. Secrets』というアルバム(2019年に発掘リリース)に入っているよ。

●初期グランド・スラムのライヴ・レパートリーだった「デディケイション」はシン・リジィのコンピレーション『デディケイション〜フィルに捧ぐ』(1991)に“シン・リジィの未発表曲”として収録されましたが、どんな事情があったのですか?

「デディケイション」は元々、俺がスタンピード時代に書いた曲なんだ。フィルが気に入って、グランド・スラムのライヴでプレイするようになったけど、彼がこの曲をスタジオで歌ったのは1回だけ、俺とドラマーのロビー・ブレナンと“EMI”のスタジオに入ったときだった。そのときは5、6曲を録ったものの、フィルの体調があまり良くなかった。それで俺とロビーでバッキング・トラックを演奏して、後から俺がベースをオーヴァーダブした。フィルは3日後ぐらいにスタジオにやって来て、ヴォーカルを入れたんだ。そのずっと後、レコード会社の“フォノグラム”が「デディケイション」をシン・リジィのベスト盤の目玉として収録することにした。ミックスをやり直して、スコット・ゴーハムのギターとブライアン・ダウニーのドラムスに差し替えたけど、ベースはデモ・テイクがそのまま使われた。“フォノグラム”はフィルが弾いたと思ったのかも知れないけど、実際に弾いたのは俺だったんだ。

●『デディケイション〜フィルに捧ぐ』で「デディケイション」はフィルが単独で書いたとクレジットされていましたが、それは何故ですか?

俺の名前をクレジットすると純然たるシン・リジィの未発表曲ではないことが明らかだし、隠しておきたかったんじゃないかな。すぐにシン・リジィのマネージメント事務所に連絡を入れたよ。「デディケイション」はグランド・スラム結成以前の1982年にPRS(イギリスの音楽著作権団体)に登録していたし、彼らはしかるべき印税を支払って、再発するときなどは俺の名前をクレジットすると約束してくれた。それが守られているかは調べていないけどね。

●さらに「ミリタリー・マン」が全英チャート5位となったゲイリー・ムーアとフィルの「アウト・イン・ザ・フィールズ」のシングルB面だったり、けっこうな印税が絡んでくるのでは?

「ミリタリー・マン」も俺がPRSに登録しているけど、権利関係ではずっとゴタゴタしているんだよ。フィルと俺がアメリカで録ったデモをゲイリーが聴いて、気に入ったらしい。ゲイリーの1982年のイギリス・ツアーでスタンピードがサポートをしたんだ。そのときから友人とまではいかなくても、けっこう話す仲で、俺のギター・プレイを褒めてくれた。お互いに敬意を持っていたよ。

後編記事ではローレンスのフィル・ライノットとの出会いと別れ、UFOでの活動、イギリスのヘヴィ・メタル・ブーム(N.W.O.B.H.M.)などについてさらに掘り下げてみよう。

【アルバム紹介】
グランド・スラム
『ウィール・オブ・フォーチュン』
『ヒット・ザ・グラウンド〜リヴァイズド』
ルビコン・ミュージック
http://rubicon-music.com/

【バンド公式サイト】
https://grandslamrocks.com

音楽ライター

1970年、東京生まれの音楽ライター。ベルギー、オランダ、チェコスロバキア(当時)、イギリスで育つ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後、一般企業勤務を経て、1994年に音楽ライターに。ミュージシャンを中心に1,300以上のインタビューを行い、雑誌や書籍、CDライナーノーツなどで執筆活動を行う。『ロックで学ぶ世界史』『ダークサイド・オブ・ロック』『激重轟音メタル・ディスク・ガイド』『ロック・ムービー・クロニクル』などを総監修・執筆。実用英検1級、TOEIC945点取得。

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