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80年代USパワー・ポップ&ニュー・ウェイヴ復権。ノヴォ・コンボが新作アルバムを発表【前編】

山崎智之音楽ライター
Novo Combo / courtesy WildRoots Records

ノヴォ・コンボが復活、ニュー・アルバム『45 West 55th』を発表。世界のパワー・ポップ・ファンを驚喜させている。

1980年代初頭に名うてのセッション・ミュージシャン達が集結。「Up Periscope」「Tattoo」などのキャッチーなメロディのポップ/ロックとニュー・ウェイヴ・サウンドで全米規模での人気を博しながら、2枚のアルバムを出して解散している。それから一部のコアなパワー・ポップ・ファン層の話題に上るのみだった彼らだが、なんと42年ぶりのアルバムがリリースされることになったのだ。

インタビューに応じてくれたのはマイケル・シュリーヴ(ドラムス)とピート・ヒューレット(ギター、ヴォーカル)。サンタナの一員として伝説の“ウッドストック・フェスティバル”でプレイしたマイケル、ビリー・ジョエルのバックで東京ドームのステージに上がったこともあるピートがノヴォ・コンボの活動、そしてその豊潤なキャリアにおける秘話を明かしてくれた。

全2回のインタビュー、まずは前編をお届けする。

Novo Combo『45 West 55th』(WildRoots Records/現在発売中)
Novo Combo『45 West 55th』(WildRoots Records/現在発売中)

<1980年代当時のオリジナル・デモの空気を捉えようとした>

●『45 West 55th』には新曲や過去の曲のリメイクが収録されていますが、どのような性質のアルバムなのですか?

マイケル:うん、まさに“新曲や過去の曲のリメイク”だよ(笑)。多くの曲は1980年代初め、ファースト・アルバム『ウィ・ニード・ラヴ Novo Combo』(1980)の前後にニューヨーク・シティで書いたもので、数曲は新たにレコーディングした。新規に録ったのは「Everything It Takes To Be Happy」「What’s Been Happening To You」「Another Slow Fade」それとザ・ビートルズのカヴァー「アンド・アイ・ラヴ・ハー」だったと思う。それからジャック(グリフィス/ギター)が書いた「Don’tThrow Your Love Away」、スティーヴン(ディーズ/ヴォーカル、ベース)が書いた「It’s Only Temporary」も当時の未発表曲だよ。

ピート:「What’s Been Happening With You?や「Everything It Takes To Be Happy」は1980年代に書いた曲だった。当時のデモを元にして、新しいアレンジを加えたんだ。

●『45 West 55th』を作ることになった経緯を教えて下さい。

マイケル:元々はスティーヴンのアイディアだったんだ。ホール&オーツのドラマーだったエディ・ザインが亡くなって(2018年)、彼とデモを録ったことがあるスティーヴンは懐かしくて自宅のテープのライブラリを探してみた。そのときノヴォ・コンボの未発表テープも見つかったんだ。それを私たちにも送ってくれて、何か一緒にやろうということになった。アルバムの作業が本格化したのは、コロナ禍がきっかけだった。ツアーに出られないからみんな、私も倉庫にあるテープの整理をしていたんだ。

●新録パートを入れるのでなく、当時のデモをそのままアルバム化することは考えませんでしたか?

マイケル:デモはマルチトラックではなく2チャンネルだったし、リリース出来るようなものではなかったんだ。だからデモのアレンジを生かしながら、新規にレコーディングする必要があった。ただ「Everything It Takes To Be Happy」は当時の2トラック・デモにハーモニー・ヴォーカルをオーヴァーダブしたり、当時のトラックも使っているよ。

ピート:Dropboxをフルに活用して、リモートでトラックをやり取りしたんだ。正直、今になってノヴォ・コンボでまるっきり新しいことをやろうとは考えなかった。それよりも1980年代当時のオリジナル・デモの空気を捉えようとした。「Don’t Do That」はファースト・アルバム『ウィ・ニード・ラヴ』にも収録されているけど、今回のベースになっているのはその前、レコード契約を獲得するために録ったデモのテイクなんだ。

●「City Bound Train」「Sorry For The Delay」「Axis」「Hard To Say Goodbye」など既発曲の別ヴァージョンもありますが、「Tattoo」「Up Periscope」などのヒット曲のデモは残っていませんでしたか?

ピート:スティーヴンが発見したテープにはそれらの曲が入っていなかったんだ。私たちも好きな曲だし、ニュー・ヴァージョンをレコーディングしてももちろん良いんだけど、既にあるものだけでアルバム1枚を作るのに十分だったよ。

マイケル:スティーヴンがデモを掘り起こしてきたとき、すごく音も演奏も良くてみんな驚いたんだ。「Don’t Throw Your Love Away」とか、すごく良い曲だと思ったよ。

●アルバム・タイトルの『45 West 55th』の西55丁目45番地には1980年代当時、レコーディング・スタジオがあったのですか?

マイケル:いや、西55丁目45番地にあったのは私のアパートだった。5番街と6番街のあいだで、ノヴォ・コンボの“本部”だったんだ。若い頃、10年ぐらい住んでいたよ。スティーヴンと初めて会ったのもここだった。当時は1階に中華料理店とスイス料理店があったんだ。一度、私たちが部屋にいるとき1階部分が火事になって、屋上づたいに隣のビルに移って逃げたことがあるよ。幸いボヤで済んだけどね。

Novo Combo / courtesy WildRoots Records
Novo Combo / courtesy WildRoots Records

<ニュー・ウェイヴ扱いされた曲でも、ジューシーでグルーヴがあった>

●ノヴォ・コンボの結成について教えて下さい。その音楽性はどのようにして定まったのですか?

マイケル:1980年、私は新しいバンドを結成しようとしていた。メンバー探しや音楽性を確立させることが出来なくて、ビル・オーコインに相談したんだ。KISSのマネージャーだった人だよ。ヴォーカル入りのバンドをやりたいと言ったら彼はスティーヴンを紹介してくれた。で、彼を西55丁目45番地のアパートに招いた。呼び鈴が鳴ったんで扉を開けたら彼がいて、火の付いていない葉巻を加えてキザな奴だと思ったのを覚えているよ(笑)。彼は野心に満ちたミュージシャンで、ぜひ一緒にやろうということになった。新しいバンドのメンバーを探しまわって、フロリダまで行ってオーディションをしたんだ。

ジャック(グリフィス/ギター)を見つけたのはそのときだった筈だ。とても個性的なギターのアプローチをしていると思った。それで最後にピートが加わったんだ。

ピート:1979年だったかな、私はカーリー・サイモンのバックを務めていて、ニューヨークの“トラックスNYC”ってクラブに誰かのライヴを見に行ったんだ。そのときのドラマーがマイケルだった。それから3週間ぐらいして、彼が新バンドに向けてのオーディションを行うと聞いた。ちょうどその頃、カーリーのバンドでの活動が一段落したんで、“SIRスタジオ”まで行ったんだ。200人ぐらい候補がいる中で自分が選ばれたから、むしろ驚いたよ。

マイケル:そうしてバンドのメンバーが揃って、リハーサルを始めたんだ。曲のアイディアを投げつけあって、音楽性を確立させていった。ピートとジャックという2人のギタリストがどんなケミストリーを生み出すかも興味深かったね。

●ノヴォ・コンボはデビュー当時からザ・ポリスと比較されていましたが、どう感じましたか?

ピート:ザ・ポリスは好きだったし、特に似ていると思わなかったから、気にしなかった。ただスティーヴンが彼らを絶賛していたのを覚えているよ。ジャックは決してアンディ・サマーズを意識していなかったと思うけど、メロディを軸にコード進行やフレーズを組み立てていくスタイルには、通じるものがあった。

●「Sorry For The Delay」には確かに「孤独のメッセージ」と通じるものがありますね。

マイケル:当時ザ・ポリスはすごく人気があったんだ。そのせいで私もスチュワート・コープランドと比較されたりしたものだよ。私は彼らが出てくるずっと前、1960年代からサンタナでやってきたのにね(苦笑)。「Hard To Say Goodbye」が「ロクサーヌ」に似ていると言われたりもしたけど、ああいうビートは「ブラック・マジック・ウーマン」の頃からやっていたんだ。

ピート:うん、「Hard To Say Goodbye」は私が書いたけど、頭の中でイメージしていたのは初期のフリートウッド・マックだったんだ。ピーター・グリーンがいて、「ブラック・マジック・ウーマン」「オー・ウェル」を出した頃だよ。それに加えて私はザ・ビートルズやスティーヴィ・ワンダーなどから影響を受けてきた。ザ・ポリスはとても良いバンドだと思ったけど、彼らのような曲を書こうとしたことはなかったな。

マイケル:サンタナ時代に「ブラック・マジック・ウーマン」をやることを提案したのは私だったんだ。サンタナのシンガーだったグレッグ・ローリーと同居していたけど、彼のヴォーカルと相性が良いと思った。サウンドチェックで試してみて、何度かトライして私たちなりのアレンジを創り上げることが出来たんだ。その頃フリートウッド・マックはよく西海岸をツアーして、サンフランシスコの“フィルモア”でショーをやった後、ピーター・グリーンはミル・ヴァレーにある私の家に泊まったりしたよ。ただ、あるときから彼は僧衣みたいな服を着たり、財産を寄付したりして、性格も変わってしまった。素晴らしい才能を持ったアーティストだったし、残念だったよ。それからずっと後、“ロックンロール・ホール・オブ・フェイム”殿堂入り式典で再会できて嬉しかったね(1998年)。

●ノヴォ・コンボとザ・ポリスは、どちらも他のニュー・ウェイヴ/パンク・バンドより年齢層が高く、演奏技術を持ち備えていることが共通していました。スチュワート・コープランドは初期のザ・ポリスについて“偽パンク・偽アマチュア”だったと笑っていましたが、あなた達にもそんな意識がありましたか?

マイケル:うーん、そういう考え方はしなかった。曲そのものにウェイトを置いていたことは確かだけど、テクニックを隠そうとしたり、わざとヘタに演奏したりはしなかったよ(苦笑)。「Everything It Takes」のようにニュー・ウェイヴ扱いされた曲でも、ジューシーでグルーヴがあった。当時エルヴィス・コステロとかはテンポが速すぎると考えていたんだ。

後編記事ではノヴォ・コンボが活躍した1980年代初頭のニューヨークの音楽シーン、そしてザ・ローリング・ストーンズ、サンタナ、ゲイリー・ムーア、ウォーレン・クロマティとの交流について語ってもらおう。


【レーベル公式サイト】

WildRoots Records

https://www.wildrootsrecords.com/

【Bandcampサイト】

https://michaelshrieve.bandcamp.com/album/novo-combo


音楽ライター

1970年、東京生まれの音楽ライター。ベルギー、オランダ、チェコスロバキア(当時)、イギリスで育つ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後、一般企業勤務を経て、1994年に音楽ライターに。ミュージシャンを中心に1,300以上のインタビューを行い、雑誌や書籍、CDライナーノーツなどで執筆活動を行う。『ロックで学ぶ世界史』『ダークサイド・オブ・ロック』『激重轟音メタル・ディスク・ガイド』『ロック・ムービー・クロニクル』などを総監修・執筆。実用英検1級、TOEIC945点取得。

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