<シリア>「どの家にも戦死者」母の涙 犠牲絶えぬシリア内戦(写真8枚)
◆内戦前に出会った小学生、その後、戦死
私がシリアを初めて訪れたのは今から14年前のことだ。北部のクルド人地域を回った。コバニで出会ったのがアイシェさんだった。夫はクルド政党代表のサレーハ・ムスリム氏。シリア当局に何度も逮捕されていた。彼女はシリアのクルド人の人権状況だけでなく、地元の文化や料理を教えてくれた。私は思い出にとアイシェさんの子供たちに折り鶴を作った。それを笑顔いっぱいで喜んでくれたのが当時小学生のシェルワン君だった。その後、シリアは内戦に陥る。シェルワン君はクルド・人民防衛隊(YPG)に加わり、ヌスラ戦線との戦闘で死んだ。21歳だった。
内戦は激化の一途をたどり、2014年には急速に台頭した過激派組織イスラム国(IS)がコバニに進撃。これに対しYPGが激しい攻防戦を繰り広げた。10万を超える住民が国境を接するトルコに避難した。この時、私はコバニに入って取材した。米軍主導の有志連合の戦闘機がIS拠点に空爆を続け、町は爆撃と砲撃で破壊され尽くしていた。路地の間からは数百メートル先からスナイパーが狙いを定めて銃弾を撃ち込んできた。私は防弾チョッキを身に着け、瓦礫のなかを進んだ。
「私たちが戦わなくて誰が故郷を守ってくれるのか。死ぬ覚悟はできている」。20代の女性戦闘員は銃を握りしめて決意を語った。戦いは約4か月に及び、多数の犠牲者を出しながらもクルド部隊はISを押し返し、町を死守した。
あれから4年。私は再びコバニを訪れた。まだ一部に破壊された建物が残るものの、住民の半数近くが町に戻ってきていた。小学校の教室に響く子供たちの声。人通りでにぎわう商店街。戦争と隣あわせながら、人びとの生活の息吹を感じた。
私はアイシェさんと再会した。家には戦死したシェルワン君の大きな写真が飾ってあった。お悔やみの言葉が見つからず、私は彼女の手を握りしめるのがせいいっぱいだった。「息子は特別ではありません。この町ではどの家にもひとりは戦死者を出しているのですから」。アイシェさんは言った。
2018年10月上旬、あらたにISとの戦闘で死んだ青年の葬儀があった。棺に駆け寄り、泣き崩れる母。傍らには幼い妹や弟たちがいた。亡くなった20代のマフムードさんは7人きょうだいの長男だった。小学校を出て、父親と同じ建設仕事をしていたが、ISと戦うためにYPGに入ったという。任地はデリゾール南東。ISとの最前線で、仕掛け爆弾の犠牲となった。
「3週間前、休暇で帰省した息子は妹弟たちにお菓子と、私にはお金をくれました。心配しないで、必ず戻ってくるから。それが彼の最後の言葉でした」。母ファトマさん(39歳)は、涙を浮かべてうなだれた。
コバニの戦死者墓地には数百の墓碑が並ぶ。墓石には「烈士」としてひとりひとりの肖像が埋め込まれていた。若い男女だけでなく年配の戦闘員の顔もある。たくさんの命を奪い、悲しみを生み出してきた内戦は、いまも続いている。
(※本稿は毎日新聞大阪版の連載「漆黒を照らす」2018年12月18日付記事に加筆修正したものです)