Yahoo!ニュース

見たらますます少子化しそう。ホラー映画『ザ・ボーン・ウーマン』

木村浩嗣在スペイン・ジャーナリスト
妊娠で体形が変わることも主人公には嫌悪や恐怖になっていく

出産は痛いもので、「骨が砕けて体が二つに引き裂かれる思い」であるらしい。だが「それでも産む甲斐がある」

主人公は年配の女性たちにそう励まされる。

これ、励ましているのか、怖がらせているのかわからない。当事者ではない男の側からすると、恐怖の方が増す。産めないから甲斐も得られないわけだが、「男で良かった」と胸を撫で下ろす瞬間である。

『ザ・ボーン・ウーマン』の1シーン
『ザ・ボーン・ウーマン』の1シーン

■妊婦を襲うのは悪魔ではなく「自分」

妊娠と出産をテーマにしたホラーはいくつもあるが、この作品には過去作とは違うところがある。

それが妊婦の敵が妊婦本人になっている点だ。

名作『ローズマリーの赤ちゃん』は、邪悪な存在が妊婦を襲う、というお話だった。つまり、「妊婦VS悪」の構図だった。

だが、この『ザ・ボーン・ウーマン』の敵は妊娠した本人である。「妊婦VS彼女自身の拒絶と恐怖」という構図である。

主人公が幸せだったのは妊娠の前まで。妊娠後は仕事を辞めなくてはいけないし、食欲がなくなるし、眠れなくなるし、好きなタバコも吸えなくなるし、ワインも飲めなくなるし、夫にも女性としての魅力を感じてもらえなくなる。

損なことばかりである。

骨をイメージした『ザ・ボーン・ウーマン』の1シーン
骨をイメージした『ザ・ボーン・ウーマン』の1シーン

一方、夫は満面の笑顔で、子供の誕生を楽しみにしている。横で幸せそうにグーグーいびきをかいている。損はなくて得だけ。男は体調不良の当事者にはなれない。できるのは、せいぜい妻に優しくするくらいだ。

次は出産。

痛がるのは女だけである。

『ザ・ボーン・ウーマン』は直訳すると、骨の女。出産の痛みにたとえているのだろう、骨折の描写が何度も出てくる。痛いぞ、痛いぞ、と怖がらせてくれる。トラウマ的な映像もあって、これ、妊娠中の女性は見ない方がいいかもしれない。

■妊娠と出産だけが女の幸せではない

作品のメッセージは、“妊娠と出産だけが女の幸せではない”だろう。

それはまったくその通り。女性だから誰もが母になれるとか、母になりたいとか、母に向いている、というわけではないのだろう。男だって全員が父になれる、なりたい、向いているわけではないのと同じだ。

骨と子宮。ダイレクトに言いたいことが伝わってくるポスター
骨と子宮。ダイレクトに言いたいことが伝わってくるポスター

主人公は妊娠の辛さと出産の痛さに翻弄されるわけだが、それは生き方を間違った彼女への「罰」のようにも見える。

自分が本当にやりたかったことを諦めて、「絵に描いたような幸せモデル=結婚と妊娠と出産」にしがみついてみたら、それは聞いていたような幸せな経験などではなく、辛くて痛いだけだった……。

『ザ・ボーン・ウーマン』の1シーン
『ザ・ボーン・ウーマン』の1シーン

監督は女性である。

主人公という反面教師を通じて、“女よ、妊娠と出産にこだわるな、もっと自由に生きよ”と応援しているようにも、“子供を持つのは凄く大変だから、覚悟して持ちなさい”と戒めているようにも解釈できる。

いずれにせよ、これを見たらますます少子化が進みそうだ。

※写真提供はシッチェス・ファンタスティック映画祭

※同じく妊娠と出産をフェミニズム視点で描きながら、主張は正反対の映画『母性』については下のリンクから

「反男」は面倒臭い。男はもう「不在・不要」ということで。映画『母性』(少しネタバレ)

ミシェル・ガルサ監督
ミシェル・ガルサ監督

在スペイン・ジャーナリスト

編集者、コピーライターを経て94年からスペインへ。98年、99年と同国サッカー連盟のコーチライセンスを取得し少年チームを指導。2006年に帰国し『footballista フットボリスタ』編集長に就任。08年からスペイン・セビージャに拠点を移し特派員兼編集長に。15年7月編集長を辞しスペインサッカーを追いつつ、セビージャ市王者となった少年チームを率いる。サラマンカ大学映像コミュニケーション学部に聴講生として5年間在籍。趣味は映画(スペイン映画数百本鑑賞済み)、踊り(セビジャーナス)、おしゃべり、料理を通して人と深くつき合うこと。スペインのシッチェス映画祭とサン・セバスティアン映画祭を毎年取材

木村浩嗣の最近の記事