「反男」は面倒臭い。男はもう「不在・不要」ということで。映画『母性』(少しネタバレ)
映画『母性』(原題:La Maternal)が面白いのは、望まない妊娠をした女性(というか少女)の怒りが、男へ向かわないことだ。奴らに期待してもしょうがない――女たちの物語の底には男への深い絶望や諦めが流れているようにみえる。
※この評には少しネタバレがあります。見てから読むことをおススメします。
男にはわからないことがある。
例えば妊娠と出産だ。知識として知ることはできるが、体験して感じることはできない。
「子育てを女だけがする」というのは明らかに不公平だ。男も分担すべきだ。
同様に、「妊娠と出産を女だけがする」というのも明らかに不公平なのだが、男に肩代わりさせるわけにもいかない。
この件に関しては、どんな平等社会になっても男は当事者にはなれない。男ができるのはサポートだけだ。
■どんなマッチョも女から生まれた
日本では「鼻からスイカを出す痛さ」にたとえられ、スペインでは「骨を4本折るのに等しい」とされる出産の痛みは、この映画『母性』の登場人物によって「この世にある最悪の痛さ」と表現される。
男であることで、この痛みを経験しなくて済む。
結局、より勇敢なのは、それでも産む女なのか、それとも、痛い思いをしないで済んだ、とホッと胸を撫で下ろす私たち男なのか?
どんな男性優位主義のマッチョも、女が痛い思いをしたから、この世にいることは否定できない。
我われに未知の、「男なら死ぬ」(と私は言われた)と言われているほどの痛みを自然に受け入れているだけで、彼女たちは尊敬に値する、と思うがどうか。
男は女のことをわからないだけでなく、多分、女に「敵わない」部分がある。根源的に。
■産む決意をした時に男を捨てた
『母性』で妊娠し出産するのは少女たちである。主人公は14歳。仲間たちは少し年上だが、それでもみんな十代だろう。
望まない妊娠には、必ずもう1人責任者がいるのだが、そっちは出て来ない。逃げたのだろう。
男たちが不在のまま、物語は続く。望まない妊娠をし、出産を決意した少女たちが集まるサポートセンターが舞台になっている。
面白いのは、彼女たちが男たちへの恨み言をほとんど口にしないことだ。
そこからは、妊娠という「過去」よりも、大事なのは出産と子育てという「未来」という割り切りが、明確にみえる。一人で産むことを決めた時に、過去も、男も、捨てたのだろう。
少女たちがやらなくてはいけないことはたくさんある。どうしようもない男たちにこだわり続けられるほど暇ではないのだ。
■素っ気ない題名に込められたもの
少女の望まない妊娠、という出発点で男たちへ批判が向かない映画は珍しい。というか、「反男」を通り越して、「男は要りません」という結論に達しているようにみえる。
産む決断をした強い女たちは、弱いゆえに卑怯な男たちを切り捨てている。
「母は強し」とおだてて寄って来る男たちを甘やかすつもりも、もうない。もう存在しないし、それでも構わない、という境地である。
よって、恨み言も反撃もない。期待していないし、諦めているし、どうせ男にはわからないことだから。
『母性』という、遊びのない、男を寄せ付けない、本質をズバリ射抜いたタイトルが、女たちの決意表明にみえる。
※写真提供はサン・セバスティアン映画祭