「EV対応」よりも「脱・自動車社会」をどう作るかが本当の課題だろう
このところ、トヨタ自動車の社長交代、日産自動車と仏ルノーの資本提携の見直し、米テスラの値下げなど、自動車産業のニュースが多い。中でも話題の中心は、とどまることを知らないEV(電気自動車)化への日本メーカーの対応である。GDP(国内総生産)の屋台骨としての自動車産業には頑張ってもらうべきだが、今回はまちづくりと車の関係を考えたい。まちづくりと自動車の関係の中心に来る課題は、都市生活の「脱自動車」である。つまりEV化ではない。
〇脱自動車社会とは?
筆者は都市の姿を決めるのは「財政」「魅力」「自動車政策」の3要素だと思う。財政と魅力は産業立地や人口、交通の利便性(ひいては港があるか、交通の要衝かなど)や歴史、文化、公園などの自然の美しさで決まる。長年の蓄積によるもので、人為的にあまり動かせない。しかし「自動車政策」は都市によってかなり違う。そしてそれが街の性格を大きく規定する。
例えば車を主軸において発展したのは米国ロサンゼルス、日本だと新潟市や宇都宮市だろう。立派な道路が走るが、鉄道や人が歩く商店街などはあまり目につかない。逆に、米国サンフランシスコや京都市などは街の構造を車を中心とするものに変えなかった。そのため中心部に工業は育たなかったが、観光地や商業地として発展し、さらに車を排除した昔ながらの界隈(かいわい)性が都市の魅力を醸し出している。
〇中心部の駐車場化は自傷行為
戦後日本の多くの都市は、米国の後を追って全国でモータリゼーションを推し進めた。戦後の日米関係も手伝って、日本にとっては自動車産業の勃興と対米輸出は重要な国策の一つとなった。そのため多くの都市は路面電車をやめてマイカーを優先し、まちづくりも車を前提に郊外に拡張していく米国型を採用してきた(例外は熊本、長崎、広島、松山など西日本のいくつかの都市)。
だが、マイカーが浸透すると、人々は街の中心部よりも周辺部に住むようになる。また郊外に大型ショッピングモールができて、昔ながらの商店街はつぶれる。この連鎖によって、街の空洞化が進んだ。
一方、中心部にもマイカーで人が来るようになり、駐車場が必要となる。そこでつぶれた商店街は駐車場となる。当初は駐車場で収益をあげられるが、あちこちが駐車場化すると儲けは薄くなる。こうして駐車場が次第に増殖していく。これはまるでサンゴを食べつくすオニヒトデのようだ。増殖する駐車場が街のポテンシャルを食いつくしてしまう。残った商店や飲食店を駐車場が圧迫し、街自体の駐車場化が進むと、究極的には「駐車をする目的がなくなる」。つまり「駐車場化」は街にとって、ほとんど自傷行為に近い現象なのだ。
車は個人にとっては便利だが、都市を空洞化させる麻薬のようなものだ。ヨーロッパはこの問題に気づき、1970年代前後から現在にかけて「脱自動車化」を進めてきた。日本も今後は高齢化で、免許を持たない人や運転できなくなる人が増える。必然的に車を街から排除し、公共交通や自転車に置き換えて、歩いて回る楽しい街を目指すことになろう。おりしもポストコロナ、リモートワークの時代であり、「脱自動車」は今後の我が国の都市計画の柱とならざるをえなくるだろう。
〇財政にも脱自動車が必要
次に「財政」である。「脱自動車化」をめざすとなると、代替の交通機関としてトラム(路面電車)やバスなどが必要になる。もちろん投資と運営の費用が必要となる。しかし公共交通は利用者からの運賃収益だけでは成り立ちにくい。しかも日本の税財政の構造が車社会を後押しする。ガソリン税が道路建設費に充てられ、車が走れば走るほど、道路が郊外に延び、街の中心部の濃度が薄まるメカニズムがビルトインされている。
ドイツの都市には「シュタットベルケ」という組織があり、ここが都市の発電から送電まで担い、その収益を都市内のトラムの開発、運営などに充てる。「脱自動車」はこうした地域内での資金循環の仕組みとともに進める必要があろう。
〇脱自動車で都市の魅力も高まる
3つめは「魅力」だ。都市は利便性だけでは発展しない。魅力的な街を作らないと移住者は増えない。
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