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県庁とは?知事とは?--兵庫県庁のできごとを読み解くヒント

上山信一慶應大学名誉教授、経営コンサルタント
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 兵庫県庁の事件は職員の自死との関連が指摘されるところ、ご遺族や関係者の心中を察すれば決して軽々に語れるテーマではない。しかし情報公開を旨とする県庁組織での出来事なのにあまりにも謎が多い。しかも確かなファクトがない中で断定調の報道が続いた。安易な報道が混乱を助長したことも否めず謎は深まるばかりだ。

 知事は本当にあのような露骨なおねだりをしたのか?県庁幹部がなぜあのような告発文を報道機関や議員に配布したのか?実力者の副知事はなぜ早々に辞めたのか?不明なことだらけだが、知事と県庁組織の双方に課題があることは間違いない。

 筆者は過去に東京都、大阪府、愛知県の3都府県の顧問のほか岩手県、長野県、青森県、茨城県、奈良県のほか新潟市、福岡市、北九州市、広島市、大阪市、堺市等で改革アドバイザーを務め、多くの知事や市長のそばで仕事をしてきた。また国家公務員と外資系経営コンサルタントの経験があり官民の200程度の組織の内情を見てきた。兵庫県庁や知事個人との接点はないが、県庁という”業界”の特徴やそこにおける知事の特殊な位置づけはある程度、客観的に語れる。

 そうした経験に照らし、兵庫県の事件は真相不明なものの知事や関係職員の個人的性格や人間関係のみに由来するものではなく、他県にも共通する構造要因があると考える。そこで今回は「県庁外の人がいきなり知事になった場合の県庁組織の動き」という文脈から本件を読み解くポイントを整理してみたい。

1.県庁組織の特性をよく理解しよう

〇ポイント1 知事は藩主か天皇のような存在。職員は組織ぐるみで支え、敬愛する

 東京、大阪は別として、おしなべて地方の県庁は江戸時代の藩のような封建組織である。知事は藩主、絶対的権力者で職員は完全服従を当然と考える。特に幹部は自ら進んでひたすら尽くす。これは老舗オーナー会社と社員の関係にも似ているが、急に外から来た知事に対しても組織をあげて尽くすという点はユニークだ。

 霞が関は違う。官僚たちは「大臣はころころ代わる存在」「自分たちは国民のために仕事をする」と心得る。もちろん、目の前の大臣には誠意をもって仕えるが内心は是々非々で冷静に付き合う。市町村も違う。基礎自治体では目の前の住民のニーズや苦情、陳情で忙しい。仕事の内容も水道や介護など専門性が高く、現場は市民第一主義もしくはプロの矜持で仕事をする。組織全体として首長の意向をいちいち確かめる気風はない。

 ところが県庁では組織全体が知事の意向を過剰に忖度する(土木、農林、医療福祉などでは中央省庁の縦割りカウンターパートの動向も気にするが)。そして知事を敬愛し尽くす。多くは知事も職員をわが子のように愛し大事にする。もともとOBも含めた「県庁一家」といわれる封建的な土壌がある。知事はその上に乗っかって天皇のような象徴的な存在、つまり君主になる。だからこの秩序が崩れると大変だ。組織は変調をきたし、アレルギー反応のような事象があちこちで起こる。

〇ポイント2 保守的な県庁では知事よりも実力派の副知事が司令塔になる

 封建組織においては藩主(知事)に万一のことがあってはならない。汚れ仕事は3、4人いる副知事のうち筆頭の事務系副知事が全部やる。議会対策、各会派との折衝、外郭団体への天下りを含む職員全体の人事、大玉の陳情処理など、全て彼がやる。彼(女性であることはほぼ皆無)は前任の知事の時代から長く組織を仕切り、清濁併せ飲むスーパー能吏である。

 だから新任の知事は筆頭副知事を頼りに仕事を始める。しかしそれが続くと職員も議員も重要案件は知事を差し置いて筆頭副知事に相談して処理するようになる。もちろんこれはあるべき姿ではない。さらに筆頭副知事が古狸の如く旧弊の温床となっている場合がある。知事が進める改革ーーたとえば天下りの見直し、各種団体や議員に紐づく補助金を減らすーーと言った場面で筆頭副知事は現状維持や面従腹背になりがちだ。多くの場合、「知事は過去の経緯をご存じない」「知事のお立場を傷つけるリスクがある」と前置きして「自分がやる」と引き取り、結局はうやむやにする。ややこしいのは、それでいて本気で「知事を守っている」という義侠心、使命感があるということだ。要は天動説に基づく筋金入りの保守である。だから知事が言い出す抜本改革案については、知事が「あきらめる」「気が変わる」「忘れる」のを待つ。それが県庁組織の伝統と秩序を守り、また敬愛する知事のためでもあると固く信じている。よって新知事は本気で改革を進めたければ、この善良で頑固な筆頭副知事を解任して人事を刷新する、つまり泣いて馬謖を切るしかない。

〇ポイント3 知事の知らないところに伏魔殿ができる

 知事が改革初期に人事を刷新しないとどうなるか。筆頭副知事をはじめ、取り巻き幹部たちが「知事のご意向」を錦の御旗にして良かれと思って全体を仕切る構造(いわゆる伏魔殿)ができあがる。ちなみに彼らは守旧派の陰謀とか権益保持という悪意を持っていない。旧弊踏襲が県庁の権威と知事を守ることにつながると本気で信じている(そもそも先例墨守が旧弊だと考えない。組織大事であまり住民のほうを向いていないという自覚もない。それでいて知事には尽くしたいと考える屈折した心理である)。やがて議員たちも知事に相談するよりも伏魔殿の職員たちと協議して物事を決めるようになる。

 一般職員も何事についても万事、お膳立てが整ってから知事に報告をする。知事には悪い話は上げずに調整済みの事項しか報告しなくなる。こうなると知事は独自のカラーを出したり改革を進めるのは難しくなる。

 ちなみに筆者が特別顧問として参加した大阪府の橋下改革(08-11年)では明白な伏魔殿は存在しなかった。それでも知事は就任から間もないうちに改革の趣旨にふさわしくない幹部を早々に降格させ、庁内に権力の所在は知事であることと及び改革の方向性をいち早く示した。

〇ポイント4 県庁職員はおしなべてナイーブな善人たちである

 わが国の公務員の多くはきわめてまじめな善人である。世のため人のために仕事をしたいという使命感の高さは世界一だろう。汚職もめったにないし、会って話せばナイスガイ(レディ)ばかりだ。

 だが特に県庁職員は企業人のように世間に揉まれ、鍛えられていない人が多い。官尊民卑の土壌の中、県内では無条件に「えらい」ので叱られることがない。唯一、怖い存在は議員だが県議会は国会に比べると荒れない。企業人のようにお客に怒られ、数字に追いまくられるストレスも少ない。他人と仲良く仕事をこなせば年功序列で肩書は昇進していく。

 ちなみに国家公務員は国会議員に叱咤され(パワハラを含め)、常にマスコミに叩かれるリスクを背負っている。市町村職員はしばしば理不尽な住民の応対(カスハラを含め)で苦労をする。だが県庁はそれも少ない。よって良くも悪くも純粋培養で純真なまま年齢を重ねる方が多い。

 そういう平穏無事な中で、いきなりマスコミに批判されたり、外から来た知事が過去を覆す新方針を打ち出すと組織全体は大きなショックを受ける。仮定の話だがたとえば知事が「君たちは世間では当たり前のことができていない」と職員を叱責したとする。それに対しては「ものすごく失敗をしてしまった、申し訳ない」と激しく落ち込む。あるいは逆に内心、はらわたが煮えくり返る思い、といった過剰な反応が想定される。要は職員は優秀だが世知にはうといナイーブな善人ぞろいである。知事による「叱責」や「パワハラ」があったとしたらそのショックは通常の組織以上に大きいだろう。

〇ポイント5 誰もが組織の内輪の論理にまかれてしまう。

 県庁はそういう「いい人たち」集団なのだが、同調圧力も極めて強い。「昔からこうなっている」「どこの部署もそうだ」という時代遅れの慣行が残りやすい。しかも企業のような競争に晒されないため見直す動きが起こらない。25年ほど前には各県庁の食糧費や裏金、カラ出張などの問題が一斉に明るみに出て批判された。違法なことは是正されたが社会的にはおかしな旧弊がややもすると県庁一家には残りがちだ(「警察」の不祥事も同じ)。

 今回の事件では公用のPCを私物のように考え、私的な目的で使っていた。私用のUSBを差し込むといった古さや甘さ(ITセキュリティ知識の浅さも)も明るみに出た。「みんなやっている」という現実の中で不適切行為が温存されやすい。終身雇用で中途採用も少ない同質社会だ。世間の常識からずれていると誰も気が付かない。やがて「県庁の常識は世間の非常識」と言われるようになる。

 一方で稀に外部からそれを指摘されると逆に違和感を覚える人も出てくる。たとえば何かの改革案を出されても反論や論破を考えず、いきなり人格否定されたかのように受け止め不本意に思う、あるいは悩む人が出てくる。兵庫県の場合、「知事のコミュニケーションが足りない」という指摘があるが、背景にはこうした組織の特性もあるのではないか。

2.改革派の知事が改革を進めるうえで必要なこと

さて、以上のべた特性を前提に外部からきた知事が改革を進めようとする場合、留意すべきポイントを挙げてみよう

〇ポイント6 情報公開を徹底する

 改革の最大の推進力は情報公開である。大阪市の関改革(05-07年)でも大阪府市の維新改革(08年~)でも各種団体への補助金から外郭団体の赤字、職員の再就職状況まで情報公開は徹底した。すると議会で与野党から質問が出るし、マスコミ取材も始まる。いい話も悪い話もどんどん出せばニュースになる。

 すると悪いニュースに対しては庁内で必ず是正の動きが始まり、それを邪魔する勢力(守旧派議員など)も動けなくなる。兵庫県の場合はどうだったろう。ネット情報を探る限り、あまり目新しい情報公開はされていない。もしも知事が組織内部でのトップダウンを改革の主軸に考えていたとしたら既存組織にとってはかなりの消耗戦(摩擦発生)になっていた可能性がある。あるいは知事も県庁も普段から情報公開につとめていたらプレスとももっと健全な信頼関係が築けていたのではないか。

○ポイント7  助っ人に中央官僚を借りてくる

 さて知事が改革を進めたいならば先述の伏魔殿グループと決別する。そして周りに「改革チーム」を作る必要があるがメンバーはちょっと若手のプロパー職員から抜擢するのがよい。見当たらない場合はどうするか。民間人の登用は失敗することが多い。役所には企業ではあり得ないルールや慣行が多々あり、それを学んでいるうちに議会答弁でしくじって野党に足をすくわれ、労組がらみ、議会守旧派がらみの怪文書やパワハラ・セクハラ告発で力をそがれる場合が多い。

 よって中央省庁から優秀な官僚に出向してきてもらうほうがよい(中央依存の批判は知りつつ)。県庁にはもともと中央省庁からの出向者が多数いる。財政、土木、健康福祉などの枢要な部局の長や副知事になっている場合も多い。彼らの中には改革マインドがある者もいる。人を介して各省庁からそういう人材を借りてくる。出向人材がいいのは地元の既得権益と接点がない点だ。補助金を減らす、貸し借りを清算するといった既得権益はがしの仕事も難なくこなし、国にかえっていく。また県庁職員の嫉妬の対象にならないので、足を引っ張られることもない。

 兵庫県の場合、こういう外部から参加するサポーターはいたのだろうか。知事選は総務省の先輩と後輩が戦う構図だった。また知事は維新の推薦も受けてたから純粋な自民系とはいえなかった。もしかして中央省庁が自民党に過度に忖度し、知事が望んでいた人材を出し惜しみしていたとしたら残念である。

〇ポイント8 第3者や外部識者を活用する

 改革には2種類ある。単にトップが「AからBに変えろ」といえばすむものとそうでないものがある。後者は既得権益や過去からのしがらみがある案件である。これらは見直せと知事が言ったところで組織はなかなか動かない。

 こういう場合はむしろ庁外の専門家を集めて課題を現状評価してもらう。専門家の立場、あるいは住民目線で見てもらうと多くの場合、今までのやり方では立ち行かない。新たな方策を考えるべきとなる。それが出てきたらトップは現場の原案と対比し「それぞれの長所短所を考え熟慮する」といったん引き取る。そのうえで最終判断をすれば丸く収まる。

 特に医療、建築、IT、環境など技術系の課題の場合は専門家が必須だ。その他のテーマでも第3者の顧問やアドバイザーに経営の視点や住民目線での課題の整理を頼み、彼らと現場部署の間で意見を戦わせる。その上で知事は判断を下すと丸く収まる。

〇ポイント9 刺し違えて改革を成し遂げるという方法

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慶應大学名誉教授、経営コンサルタント

専門は戦略と改革。国交省(旧運輸省)、マッキンゼー(パートナー)を経て米ジョージタウン大学研究教授、慶應大学総合政策学部教授を歴任。平和堂、スターフライヤー等の社外取締役・監査役、北九州市及び京都市顧問を兼務。東京都・大阪府市・愛知県の3都府県顧問や新潟市都市政策研究所長を歴任。著書に『改革力』『大阪維新』『行政評価の時代』等。京大法、米プリンストン大学院修士卒。これまで世界119か国を旅した。大学院大学至善館特命教授。オンラインサロン「街の未来、日本の未来」主宰 https://lounge.dmm.com/detail/1745/。1957年大阪市生まれ。

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