【膣と直腸が貫通!直腸膣瘻闘病記⑤】産婦人科医に無理やり綿棒を瘻孔に突っ込む。拷問のような痛みと絶望
私は長男を出産したときに直腸膣瘻(ちょくちょうちつろう:rectovaginal fistula)という、出産にともなう後遺症を患いました。
現代では、母子共に安全に生まれてくるのが当たり前になりつつあります。
しかし、実際には命の生まれ出る瞬間に必ずしも五体満足で経過するわけではありません。
また、子どもが無事でも、母体がダメージを受けてしまうこともあるでしょう。
私もその一人。出産直後にはなんともなくても、出産して数日たった後に「直腸膣瘻(ちょくちょうちつろう:rectovaginal fistula)」が発覚しました。
今回は第5話。
前回に続き出産後3日目に直腸と膣が貫通し、肛門科を緊急受診。患部の安静を指示されたにも関わらず産婦人科の医師に無理やり綿棒を瘻孔に綿棒を突っ込まれ、出産よりも痛い拷問のような苦痛を受けたお話です。
瘻孔が発見された日は産後3日目。土曜日に肛門科を緊急受診
産後3日目の土曜日に瘻孔が発覚しましたが、緊急性が高いとのことで主治医の指示に基づいて肛門科を緊急受診することになりました。
痛みが一層ひどくなり、私は動けなくなってしまいました。ベッドからも立ち上がれず、1人で歩くのも困難だったため看護師長が付き添い、私の状態を心配しながらタクシーで病院へと向かいました。
肛門科に到着し、医師の診察を受けたところ、やはり病状は芳しくなく、すぐに産婦人科から肛門科への転院が必要との診断が下されました。
しかし、病院内の空きベッドがなく、すぐに転院することはできなかったのです。
肛門科側は月曜日までに入院ベッドを確保できるよう調整することとなり、この日は仕方なく、産婦人科へ戻ることに。
肛門科の医師からは「何もせず安静にして過ごすように」との指示を受けました。
どちらにしても痛みは日に日に鋭くなっていき、歩くたびに感じる苦痛に打ちのめされつつあったので、安静の指示は体の平穏にはつながりました。
しかし一方で、安静に過ごしていると考える時間が長くなり、ますます心の中に深い絶望をもたらしました。「今後どうなるのだろう…」「生まれたばかりの赤ちゃんはどうなるのだろう…」と不安ばかりがよぎります。
テキトーがモットーのY医師の到来。無理な診察と患部の安静を無視したY医師の好奇心
産後4日目の翌日曜日、私は一日中気持ちが沈み、痛みと不安に苛まれていました。助産師さんが手厚い看護をしてくれたおかげで、何とか安静に過ごすことができましたが、心の中では「この状況がいつまで続くのか」との不安が渦巻いていました。
そんな中、出産前40週の適当な診察をしたY医師が再び訪れました。(第1話参照:【膣と直腸が貫通!直腸膣瘻闘病記①】産後後遺症が2カ月で完治した話)
出産2日前の検診で適当にエコー検査をして胎児の予測体重を計測し600gもずれた結果を出してきたY医師は、なんと副院長だったのです。
運悪くこの日は私の主治医がお休みでした。
Y医師は「直腸膣瘻を見たい」とのことで、もともと診察の予定はなかったのですが、スタッフに促され急遽診察台に横たわることになりました。
診察台に寝かされ、カーテンを閉じて内診台が上がります。
早々にクスコを挿入し、膣の中を観察し始めました。
「わー!ほんとだ!穴が開いているよ!」
「へ~!結構ひどいね!」
こそこそと話している様子でしたが、どのようなつもりなのか私の病状に対して感嘆の声をあげていました。その後、Y医師は…
「便がつまっていて、汚いね~!良し!掃除してあげよう!」
「綿棒とって」
とスタッフにつたえている様子がわかりました。
スタッフはすかさず
「先生、でも先方(肛門科)の主治医から創部は安静にとの指示でしたが…」
と訴えていましたが…
「いーのいーの!大丈夫!汚い方がいやでしょ!!ははは!」
そう言いながらY医師は無理やり瘻孔に綿棒を突き刺し、ありえないくらいの痛みを伴う洗浄を始めました。今までの人生で体験したことのないような激しい痛みが走り、まるで傷ついた肉をぐりぐりといじられているような感覚でした。
痛みのあまり、私は「やめて!やめて!!」と大泣きしましたが、Y医師はまるで直腸膣瘻の物珍しさを楽しんでいるかのように、診察を続けました。その痛みは出産よりもはるかに強烈で、体力を消耗し、心が折れていくのがわかりました。
もう起き上がれない…体力も気力も尽きた産婦人科での最後の夜
拷問のような痛みに耐え続け、泣き叫び続けた結果、体力が尽き、子どもの世話も続けるのが難しくなりました。
翌日からは肛門科への転院も決まっていたので、子どもと過ごせる最後の夜でしたが、とてもじゃないけれども体力や気力がなかったのです。
- 興味本位の対象にされた悔しさ
- 恥ずかしいところを無理やり見せられつづけた屈辱
- 人体実験に合ったような怒り
いろいろな感情が入り混じりベッドの中でも泣き続けました。
最後の夜なのに子どものお世話をすることもできす、助産師さんにお任せすることにしたのです。助産師さんは優しく対応してくれましたが、私の心の中には深い虚脱感と絶望感が残りました。
月曜日の再受診と担当医の激怒
翌月曜日、再び肛門科を受診しました。
担当医は診察した後になぜこんなに私の私の瘻孔が悪化しているのか驚いていました。この日は付き添いは身内だったので、自分で日曜日の出来事を担当医に伝えました。
ありえない事態が起きていたことを知り、担当医は激怒したのです。
そんなことが起こる病院には任せられないと、担当医はそのまま無理やりにでもいいから戻らずに入院しなさいと言ってくれました。
むざむざとY医師の診察を受けてしまった自分のわきの甘さも実感しながら、瘻孔の状況の厳しさに対しても一つの痛みとして私に突き刺さったのです。