【膣と直腸が貫通!直腸膣瘻闘病記⑩】絶対安静と絶食の闘病生活
私は長男を出産したときに直腸膣瘻(ちょくちょうちつろう:rectovaginal fistula)という、出産にともなう後遺症を患いました。
現代では、母子共に安全に生まれてくるのが当たり前になりつつあります。
しかし、実際には命の生まれ出る瞬間に必ずしも五体満足で経過するわけではありません。
また、子どもが無事でも、母体がダメージを受けてしまうこともあるでしょう。
私もその一人。出産直後にはなんともなくても、出産して数日たった後に「直腸膣瘻(ちょくちょうちつろう:rectovaginal fistula)」が発覚しました。
今回は第10話。
前回は、緊急で行われた瘻孔閉鎖術が無事に終了しました。
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/4ff9365485bd94a555d9ab63e1c6921d9a18cf00
今回は、手術後に始まる絶対安静と絶食指示の治療が始まります。
床上安静の闘病生活...お風呂にも入れない...
床上安静の指示で始まった闘病生活は、思った以上に厳しいものでした。ベッド上でころころ転がることでしか動けない日々が続き、自由に体を動かせないことにストレスを感じていました。
普段自由に動けていた一般の成人女性でしたので、安静にしていることが、これほどまでに苦痛だとは思いませんでした。
体を起こすことで腹圧がかかり、手術で半ば無理やり閉鎖した瘻孔が腹圧により再開通してしまうことが懸念されるため、上半身を起こすこともNGとされたのです。
絶食生活と点滴栄養
また、食事をとることで同じ意味で直腸内の内圧が高まることで瘻孔の再開通が懸念されました。つまり、食べ物を食べると便が作られ、排泄されるために直腸へと運ばれます。
飲水は許可されているものの、今までにない長期間の絶食指示に対する不安がさらに気持ちを重くしました。
感染防止と抗生剤の投与
緊急手術であったこと、Y医師に瘻孔をほじられたことなどから、感染症を引き起こす危険性もありました。感染が起きてしまったら、ストマなしでの瘻孔閉鎖は絶望的だろうともいわれました。
感染防止のために抗生剤が投与されましたが、これに伴い母乳をあげることができないという現実に直面しました。
母親としての自分が、子どもと引き離されていることも苦痛でしたが、母乳もあげられない事実に直面し、心に暗い影を落としました。
痛みからの解放と不自由さ、ほんの少しの癒しの時間
幸い、硬膜外チュービングを使用していたため、痛みからは解放されていました。しかし、絶対安静のためおむつを着用し、おしっこの管をつけて過ごしている状況でした。
自分がこんな状態になっていることが信じられず、心の中でさまざまな感情が交錯していました。
そんな中でも、毎日のおっぱいマッサージがちょっとした癒しの時間となりました。母乳をあげられない現実を抱えつつも、その時間だけは少し気持ちがリフレッシュする瞬間でした。
一日の中で心が癒される時間はたった数十分..だったのです。
次回は、動けないことでどんどん心が荒み、うつ傾向になってしまうお話です。
11話に続く
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