【膣と直腸が貫通!直腸膣瘻闘病記⑥】ほじられた瘻孔に肛門科主治医激怒!急遽の転院へ
私は長男を出産したときに直腸膣瘻(ちょくちょうちつろう:rectovaginal fistula)という、出産にともなう後遺症を患いました。
現代では、母子共に安全に生まれてくるのが当たり前になりつつあります。
しかし、実際には命の生まれ出る瞬間に必ずしも五体満足で経過するわけではありません。
また、子どもが無事でも、母体がダメージを受けてしまうこともあるでしょう。
私もその一人。出産直後にはなんともなくても、出産して数日たった後に「直腸膣瘻(ちょくちょうちつろう:rectovaginal fistula)」が発覚しました。
今回は第6話。
前回は患部の安静を指示されたにも関わらず産婦人科の医師に無理やり綿棒を瘻孔に綿棒を突っ込まれ、出産よりも痛い拷問のような苦痛を受けました。
今回は、その後の瘻孔の惨劇を目の当たりにした肛門科の主治医が激怒して、急遽肛門科へ転院になったお話です。
月曜日の肛門科受診肛門科主治医の驚き
翌月曜日、私は再び肛門科を受診しました。
相変わらず痛みがすさまじく、自分一人では歩けないくらいだったので、この日は義理の母親が一緒に付き添って受診をしてくれました。
まずは外来での診察です。医師の指示に基づき、外来のベッドでうつぶせになり瘻孔の部分を診察します。
前回の受診から日が経っていないにもかかわらず、瘻孔の状態が悪化していることに主治医は驚きを隠せないようでした。
主治医は、その変化に驚きを隠せない様子でした。
「ちょ、ちょっと…かなり状態が悪化しているんだけれども…どうしたの?どんな風に過ごしていたの??普通に過ごしているだけでも、ここまで短期間で悪化するのは考えにくいんだけど…」
何が起こったのか、その原因は何なのか…、患者側に要因があるとは考えにくいという印象が言葉がなくても見て取れました。
Y医師の行動を告白
病状が悪化したことにショックを受けながらも、私は、自分自身は安静に過ごしていたこと(動く気力もなかったこと)Y医師に瘻孔をほじられたことを思い切って申告しました。
すると、主治医の表情はみるみる変わり、怒りを抑えているのが見て取れました。私から実情を聞いた主治医は、すぐに産婦人科に電話をかけるよう指示していました。
私自身は内診台にあげられていて、下半身の部分はカーテンで仕切られていたので、聞こえてくる声から状況を判断するしかありませんでした。実際のところ、正確には何をされていたのかわからなかったのです。
なので主治医は、その時にされた処置の真相を確認することにしたようです。
どうやら、Y医師に瘻孔をほじられた時に私の付き添いをしていた看護師から実情を聞き出したようでした。
主治医の激怒と配慮
主治医は「何もするな」と指示していたにもかかわらず、Y医師が手を出したことに対して激怒しました。
そしてどうやら、産婦人科の主治医は安静を指示していたのにも関わらず、主治医が休みだったのをいいことにY医師がでしゃばってきたことの結果だということも分かったのです。
私の痛みや苦しみの訴えも無視された結果に、主治医の怒りが伝わってきました。「このまま産婦人科に戻らせたくない」とはっきりと意思表示をしてくれて、私もその思いに随分救われたのを覚えています。
産婦人科の主治医と電話で相談して、主治医は私をそのまま肛門科に転院させることに決めました。
産婦人科スタッフの心遣い
私が残してきた荷物は、産婦人科の師長やスタッフがその日の夕方に運んできてくれました。
産婦人科のスタッフは私の状態を心配し、荷物を持ってきてくれたのです。そんな優しさに少しほっとしましたが、同時に複雑な思いも抱えていました。
また、子どもと会えずに転院してしまったことは気がかりでした。
その気持ちを産婦人科のスタッフが汲んでくれて、LINE電話で会わせてくれました。
そのスタッフの気遣いは、私にとって大きな救いでした。電話越しに子どもの声を聞くことで、少しだけ心が軽くなりました。
病院側の真摯な姿勢とY医師へ怨み
産婦人科での主治医やスタッフは、Y医師の暴挙が止められなかったことで、「自分たちができることはやろう」という真摯な姿勢を実感しました。
ただし、残念ながら謝罪はありませんでした。医療界の実情として、立場上の謝罪ができないという実情も理解していたので、仕方がないかなと思っていました。そこに怒りを感じるほどのエネルギーは、その時の私にはもはや無かったのです。
しかし、産婦人科の主治医やスタッフには私の痛みや苦しみを理解しようとする気持ちがあるのは感じました。
しかしながら、当のY医師からは謝罪はおろかねぎらいの言葉や意思表示も全くありませんでした。私はただただ、Y医師の好奇心を満たすためのモルモットだったのでしょう。
とにかくY医師がいる環境から早い段階で離れられたのはせめてもの救いでした。
この後、私はY医師のことを怨みながら闘病生活を開始するのでした。
第7話に続く