【学校の働き方改革のゆくえ】残業削減に成功している学校は何がちがうのか
どの業界よりも、学校は突出して過労死ライン超えが多い
この1、2年で、学校の先生がずいぶん忙しいということについては、だいぶ知られるようになってきた。
文部科学省が2016年に実施した「教員勤務実態調査」によると、小学校教師の約3割、中学校教師の約6割が週60時間以上勤務している。これは、月あたりに換算すると、80時間以上の残業で、いわゆる過労死ラインを超えている可能性が高い、ということになる。
ただし、このデータは自宅等での持ち帰り残業を含んでいない。持ち帰りを加えたラフな推計をすると、過労死ラインを超える人の割合は、小学校教諭の約6割、中学校教諭の75%近くに跳ね上がる。
下の図は小中学校以外については国の労働力調査をもとにしたもの。他の業界と比べても、小中学校教師の長時間労働の多さは突出している。「学校の先生よりも民間のほうがよほどタイヘンですよ」という声は保護者や地域の方からよく聞くのだが、一昔前ならまだしも、いまの現実はそうではない(※)。
(※)もちろん、個別の企業と比べると、学校よりも忙しいというところもあるだろう。だが、業界(産業分類)としてある程度のまとまりで見ると、学校の多忙は突出している。
数日前にも、学校での病気休職者が高止まりしていることについての報道があった。
これは長時間労働だけが原因ではないとはいえ、業務量が多く、なおかつ、児童生徒の怪我やケンカ、特別なケアが必要な子への対応、保護者からの相談・クレームなど、突発的な事態も日常茶飯事な学校現場は、気が張り詰めたまま仕事する。小中学校や特別支援学校では休憩もろくにとれていない。だから、ストレスは高いし、精神疾患等も多い。教師の過労自殺という例も起きている。
睡眠時間等を削って、過労死や精神疾患のリスクと隣合わせの学校も多い。悠長なことは言っていられず、一刻も早く改善しないと、子どもたちの教育にも悪影響が出る。
そこで、文部科学省は、公立学校の教師の残業時間について一定の上限目安を定める動きだ。月45時間、年間360時間までとする予定だが、前回記事で、これはムリ難題なのか、についてお話しした(残業は月45時間、年間360時間までなんて、絶対ムリか?)。
国が頑張らないといけないことも多いが、学校でできることも多い
”ブラック”な学校現場を改善していくには、もちろん、国(文科省、財務省、厚労省など)の役割も大きい。とりわけ、小学校などでは休憩もろくにとれない現実を変えていくには、もっと教職員数が必要だと思う。
だが、同時に各学校でできることも多い。
>学校がこれほど忙しいのは、文科省が仕事を増やしているからだ!
という説は、学校の先生方から度々聞くのだが、本当にそうだろうか?
学習指導要領の改訂のたびに教える内容や時数が増えていることなどは、文科省や中教審が真摯に反省して、もっと見直していくべきなのは確かだ。だが、文科省のせいとばかり言って、自分たちのことを十分に振り返らない姿勢はいかがなものか、とも思う。
データをもとにして説明しよう。以前の記事にも紹介したが、下の図は、小学校教師の1週間の時間の使い方だ。過労死ラインを超えている可能性の高い人と、そうではない人とに分けて集計してもらった。
◎参考記事:【学校の働き方改革のゆくえ】対症療法の策はいらない。抜本的な働き方改革とは!?
1日に占める割合が高い(つまり時間をかけている)もののうち、授業時間や授業準備の一部は、国の政策(指導要領など)が大きく影響している。だが、授業準備上の工夫、学校行事、採点・添削、掃除、会議、その他の業務の多くは、文科省は細かく学校に指示していないし、義務づけてもいない。(正確に言うと、そんな権限は国にはない。)学校側(校長)の裁量のほうが大きい。
たとえば、運動会をやりなさい、とか、部活動はやりなさい、とは文科省は言っていない。学校側の裁量、工夫できるところだ。つまり、世間や学校の先生たちが思っているよりも、文科省は強いわけではない。個々の学校のことは、校長のほうがよほど強い権限と裁量をもっている。
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本稿のタイトルは、「残業削減に成功している学校は何がちがうのか」。
ひとつのちがいは、学校側に工夫の余地がかなりあるということを、教職員がどこまで自覚しているかどうかだ。とりわけ、校長がそこをきちんと認識して、働き方改革や業務改善に本腰を入れているかどうかがクリティカルだ。
わたしはあるシンポジウムで申し上げたことがある。「ラスボス(※)は文科省ではない。お金のかかることは財務省を説得しないと。大きな予算をかけずにできることについては、間違いなく、校長次第だ。」
※ラスボス:ゲームなどでの最後(ラスト)に登場するボスキャラ
思い切った業務の整理、削減などを実行している例もある
実際、動き始めている学校もある。拙著『「先生が忙しすぎる」をあきらめない』や『先生がつぶれる学校、先生がいきる学校―働き方改革とモチベーション・マネジメント』でもたくさんの事例や考え方を紹介しているが、下の図は静岡県でのある公立小学校の例だ。
行事の見直しや家庭訪問の廃止などに踏み切った。夏休み中のプールも熱中症などのリスクも高くなっているし、やめて、学期中の体育の時間での練習とした。運動会の組体操は、怪我のリスクが高いうえ、練習にも多大な時間を要していたことから、ダンスなど簡易なものにした。プール掃除などは教員がやっていたが、業者委託にした。印刷やデータ入力などはスクールサポートスタッフ(SSS)という教師以外のアシスタントがかなり手伝っている。
もちろん、こうした削減や見みなおしには、功罪がある。よく出る反論や疑問としては
●教育の質が下がるのではないか。
●楽しみにしている児童生徒もいるのに、なぜ続けてくれないのだ。
という声だ。
だが、これらの業務のほとんどは、先ほども申し上げたとおり、学習指導要領などで絶対やりなさいね、とはなっていない。学校ごとにプラスアルファとしてサービス拡大してきたことだ。過労死や精神疾患のリスクを抱えてまで、そこまで幅広く、過剰にやるべきだろうか?
できっこないという思い込みを捨てよ。教育効果のあるもののなかから取捨選択する時代に。
学習指導要領でマストになっていることなら、減らすことは難しいが、そうではないことは、学校や教育委員会ごとに取捨選択していける。
「子どものためになる、教育効果がある」などと言っていては、どんどん学校や教師の仕事は増えるばかりだ。そんな欲ばりな運営をしていて、結局、健康を害したり、子どもたちに十分に精神的な余裕がなく接していては、肝心の授業や教育相談がよくならないではないか。
この学校のように、やめられるものや減らせるものは、改革・改善を実行してみる。そのうえで、功罪を反省、検証して、やはり前に戻したほうがよいものは戻してもよいし、軌道修正をかけたらよい。子どもを前にしている以上、事前に入念に検討するべきことは多いが、だからといって、やる前から、心配し過ぎる人が、教職員や教育委員会職員には多い。
たとえば、2、3年前までは、学校で夜間・早朝に留守番電話対応とすることなど、考えられなかった。2016年10月の文科省のシンポジウムで横浜市がある学校で留守番電話にしていると発表したところ、会場がどよめいた。それほど「できるわけがない」と多くの教育関係者が思い込んでいたことだ。だが、これも少し昔の話。ここ1、2年で留守番電話を導入する学校もかなり増えた。
それに、ある方法をやめても、別の方法もある。家庭訪問にかえて、面談とする。通知表の所見欄は簡素にして、面談で説明するなど。
学校というところは、慣性が支配している。伝統・先例が大好きだ。だが、これまで、やることが当たり前だった、続けることが前提だったことのなかには、見なおせるものも、減らせるものも多い。
今回の残業時間のガイドラインや学校の働き方改革の動きは、残業時間を減らすこと自体が目的ではない。教職員が健康に仕事をして、学校以外でも見聞を広め、授業等をよりよくするために残業を減らしていこうという趣旨だ。12月~2月あたりは、次年度の授業や行事などの年間計画、カリキュラムを企画していく時期でもある。
ぜひ、慣性法則でずっといくのではなく、この時期に大胆な見なおしてをかけてほしい。
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