「うやむやにされる」分岐点を迎えたロヒンギャ危機ー「虐殺」兵士への処分とロヒンギャ集落の「抹消」
約70万人が国外に逃れたロヒンギャ危機をめぐり、国際的に批判が噴出するなか、ミャンマー政府・軍は基本的には従来の「彼らはバングラデシュからの不法移民であり、その帰国を促しているだけ」と自らを正当化し続けています。
その一方で、ミャンマーでは、ロヒンギャ危機をうやむやにしようとする動きが加速しています。この数日で相次いで明らかになった、ロヒンギャ殺害に加担した10名の兵士に対する処分の見通しと、ロヒンギャの暮らしていた集落がブルドーザーで抹消されつつあることは、その表れといえます。
「虐殺」兵士に対する「法的措置」
ミャンマー政府のスポークスマンは2月11日、ラカイン州北部のイン・ディン村で2017年9月に無抵抗のロヒンギャ10人を殺害した嫌疑で、10名の兵士に「法に基づく措置をとる」と発表しました。
この事件は2月9日にロイター通信が発表した調査報道で報じられ、各国で大きく取り上げられてきました。しかし、政府スポークスマンは「10名の兵士に関する調査は以前から行われてきたもので、その法的措置はロイターの報道を受けたものでない」と強調。ミャンマーの自浄能力をアピールしました。
とはいえ、ミャンマー政府・軍の発表を鵜呑みにすることもできません。ロイターは問題の調査報道を発表した翌10日、調査の過程でミャンマー人記者2名が逮捕され、14年の懲役刑を受けたことを発表しています。
さらに、これまでに数多くの虐殺や集団レイプなど「人道に対する罪」が報告されていますが、ミャンマー政府・軍は組織的・計画的な関与を否定しています。そのため、今回の「法的措置」で兵士10人の罪状が明らかになったとしても、それが「末端兵士の勝手な行動」と位置づけられた場合、「トカゲのしっぽ切り」で終わりかねません。
これに鑑みれば、欧米諸国や在外ミャンマー人の間から「独立した調査」を求める声があがっていることは、不思議ではありません。
ロヒンギャ集落の「抹消」
これに続いて2月12日、AFP通信はラカイン州の航空写真を公開。写真からは、ロヒンギャの集落がブルドーザーでさら地にされていたことが確認されます。
これに関して、ミャンマー保健省のウィン・ミャット・アイ大臣はAFPに「彼らが戻ってくることに備えて新たな住環境を整えるため」と説明しています。
国際的な批判を受けて、ミャンマー政府は2017年11月に最も多くの難民が逃れている隣国バングラデシュとの間で、ロヒンギャの帰還に合意。2018年1月22日、バングラデシュ政府は「準備不足」を理由に計画の実施が遅れることを発表していますが、少なくとも現状において「ロヒンギャ帰還」の方針に変更はありません。
しかし、ロヒンギャが暮らしていた住宅や土地の所有権、使用権が彼らにあるとすれば、政府・軍による造成はいわば「勝手に」行われていることになります。
のみならず、以前から指摘されているように、ミャンマー政府はロヒンギャの帰還に合意しながらも、彼らを未だに「国民」とみなしていません。そのため、ミャンマー政府・軍によって整備されている区画が、帰国後に「不法移民に対する温情」という名目のもとでロヒンギャを隔離する事実上の強制収容所になる懸念すらあります。
したがって、ブルドーザーによる区画整備が「ロヒンギャ居住の歴史的痕跡すら抹消しようとするもの」という批判は故のないことではないのです。
後ろ盾としての中国
立て続けに表面化した新たな出来事への対応からは、ミャンマー政府・軍が国際的な批判を受けて「問題は確かにあるが対応できている」とロヒンギャ危機を矮小化する姿勢がうかがえます。言い換えると、ミャンマーは国際的な批判を全面的に無視・拒絶するよりむしろ、問題をうやむやにすることに重点を移し始めたといえます。
この背景としては、中国の影響があげられます。これまた以前から指摘されているように、欧米諸国やイスラーム諸国からロヒンギャ危機への批判が噴出するなか、ミャンマーを擁護し続けてきたのは、主に中国でした。
ミャンマーの軍事政権時代(1988-2010年)、欧米諸国はこれに経済制裁を敷き、その間に同国の天然資源開発などに急速に進出したのが中国でした。さらに現在では、「一帯一路」構想を掲げる中国にとって、ミャンマーはインド洋に抜けるための重要なルートにもなっています。
その中国は、従来「内政不干渉」を盾に、国連安保理などの場で開発途上国に対する先進国の「介入」に抵抗し、それによって開発途上国の支持を集めてきました。ロヒンギャ危機の場合も、中国はやはり「内政不干渉」を強調して、国際的な圧力からミャンマーをかばってきました。最近ではロシアからSu-30戦闘機を購入する計画を発表するなど、ミャンマーも「スポンサー」の多角化を模索していますが、それでも2016年段階で輸出入額の約30パーセント(IMF, Direction of Trade Statistics)を占める中国が未だに大きな影響力をもつことは確かです。
「悪役になりたくない」中国
ただし、中国にも少しずつ「海外からの評判」への意識は生まれており、「いかに悪役にならないか」は中国外交の重要な一つのテーマとなっています。
この背景のもと、中国は単純な「内政不干渉」から「基本的には(たとえ国内で深刻な人権侵害を行っているとしても)相手国政府の立場を支持しながらも、その国における大きなトラブルの解消のために(反政府的な人々は無視して、主に相手国政府に)協力する」という方針に転じてきたといえます。このパターンは、全面的な内戦に直面するアフリカの南スーダンなどでもみられるものです。
ロヒンギャ問題に目を向けると、中国は2017年11月、停戦の実現やバングラデシュにいる難民の帰還をミャンマー政府に呼びかけました。中国にとってミャンマーは「一帯一路」における重要なパートナーですが、バングラデシュも同様です。
その意味で、基本的には「内政不干渉」を掲げるとしても、大規模な混乱が周辺国にまで及ぶ状況が、中国の方針に微妙な変更を生んだことは不思議ではありません。最大の後ろ盾である中国のシフトチェンジは、ミャンマー政府・軍にも、国際的な批判に全面的に対抗することをあきらめさせる一因になったといえるでしょう。
問題の矮小化がもたらすもの
ミャンマー政府・軍は、国際的な批判や中国のシフトを受けて、いわば「しぶしぶ」ロヒンギャ危機に対応してきました。その意味で、結果的にロヒンギャ危機は中国の存在感を浮き彫りにしたといえます。
ただし、それはミャンマーが国際的な批判に形式的に最低限の反応をすれば、中国がそれ以上の要求をすることを想定しにくいことも意味します。その意味で、ミャンマー政府・軍がロヒンギャ問題の根本的な解決よりむしろ、自らの責任をできるだけ小さくすることや、国内の反イスラーム感情を満足させることに重点を置きがちであることは、不思議でありません。ロイターの詳しい報告が出た直後に10名の兵士のみに「法的な措置」をとることも、ロヒンギャ集落を跡形もなく消し去ったことも、この文脈から理解できます。
こうしてみたとき、ミャンマー政府・軍がこれまでより姿勢をやや軟化させたとしても、それがロヒンギャ危機の解決を約束するものとは限らないといえます。むしろ、問題が矮小化されるなか、ロヒンギャ危機は「うやむやにされる」分岐点を迎えつつあるといえるでしょう。