幕張の海で光り輝く! 次代の本塁打王は千葉ロッテマリーンズ育成3位・髙野光海(独立・富山TB)だ
■ドラフト指名にビックリ
「第3巡選択希望選手 千葉ロッテ 髙野光海 外野手 富山GRNサンダーバーズ」―。
「いや、もう固まりましたよ」。その瞬間を振り返り、髙野選手は笑う。まさかの指名だった。ドラフト会議の前も最中も、隣に座る先輩とふざけて笑い合っていた。自分が指名されるとは、露ほども思っていなかったからだ。
高校時代に右肩を痛め、治ってはいるが今季は大事をとって守備には就かず(1試合のみ左翼で出場)、ほぼ指名打者での出場だった。つまり自信のある強肩をアピールできていなかったのだ。
だから調査書は届いていたとはいえ、今年は経験の年で来年が本当の勝負…どこかそんな気持ちがあった。
しかしドラフトは縁とタイミングだ。秘めたポテンシャルが高く評価されたのだろう。マリーンズから育成3位での指名に、髙野選手の野球人生は大きく動いた。まず、「見たこともない数」のLINEとSNSのDMに驚愕させられた。
■初めてのプロのシーズン
今季は常に試合に出続け、欠場したのは1試合のみだ。「年上の人が多いし、最初は球もめっちゃ速っと思った」と言いつつも慣れない中でもなんとか対応し、開幕3戦目(5月5日)には第1号を放って、いきなりその飛距離を披露した。
「あれはたまたま真ん中に、バットを出したところに来て、衝突したみたいな感じでしたね。自分でも早くに出たなと思いましたけど、2本目が出るまでに3ヶ月かかって…」。
その後、第2号をマークしたのは8月6日だった。
ターム1(15試合)は最終的に打率.246だったが、途中3割を超えることもあり、順調に進むかと思われた。だがターム2(15試合)では.154まで落ち込んだ。1試合を除いて毎試合で三振を記録。複数三振も多く、ときに4三振という日もあった。
「やばかったっすよ。なんかね、どう振っていいかわからなくて…。迷ってたのかなぁ。ちょっと振り回しすぎやなというのはあった。でも、当てにいくのも違うなっていうので、どうしようって思っていたのはあります」。
ちょっとした迷路に迷い込んでいたのか。しかし、それでも自身の魅力を見失うことだけはしたくなかった。
吉岡雄二監督からは「(バットとボールが)当たるところだけ集中して」と言われ、「タイミングと当たるところ」を念頭に置き、とにかく練習に没頭した。夏場の暑さで体重がやや減ったことも影響していたのかもしれない。意識的に練習量、バットを振る量を増やした。
■どん底からの脱却
そんな状態でも使われていることに、多少の気まずさを感じていた。
「こんなんで試合に出るのはおかしいなって、いつ代打が出るかなって思っていた。ありがたいけど、出られてない先輩もいるのに、三振ばっかりする19歳の自分がこんなに出てていいのかなというのも思っていました」。
だが先輩たちは、いっさい不満を口にしなかった。それどころか「おまえは三振していいから。振っとったらいい。とりあえず振ることが大事や」と奮起させてくれた。
「振ろう。とにかく振ろう」。高校時代からそうだが、練習はひとりでやるのがモットーで、ひとり集中してやる。「自分の野球やから、自分で考える」と、己の力で現状打破すべく試行錯誤した。
8月も半ばに入ったころだ。「当たったらヒット(ホームラン)、当たらなかったら三振」と、自分の中にどこか割り切りのようなものが生まれていた。先輩からの助言もあり、しっかり振ることを大事にした結果で、それが自身のスタイルとして確立しつつあった。
「ターム2の最後(8月19日)、3安打したんですよね。5の3で打点もついて…」。幼馴染みとその親御さんが応援に来てくれた試合だ。3安打したあとに2三振するという、象徴的な試合となった。
そして底を打った打撃は、その後は上昇へと向かう。
上向きはじめると、ターム3(10試合)では8試合で安打、そのうち4試合でマルチ打。ホームランも3本放って通算5本で、最年少ながらリーグトップタイに輝いた。
「もう何があったんやっていうくらい打ってますよね(笑)」と、打率.324、出塁率.375、長打率.622、OPS.997とターム3では自己最高成績を収めた。
三振数はリーグトップではあるが、そこはたいして気に留めない。アウトの種類の一つであるだけだ。ターム3ではアウトの8割近くを三振が占め、また、総三振のうち空振りが89%、見逃しが11%だった。これはしっかり振っているがゆえで、自分なりに納得の数字である。
■パワーの源は3合のご飯?
好調の要因を考えるに、食事の量が無縁ではないと自己分析する。「ターム3のころ、めっちゃ食べるようになったんです」と、自炊で1食に3合のご飯を食べていたという。
「炊いたら器に全部入れるんすよ。100均で買ったどんぶりみたいな器。入れたらもう食べなあかん。食べないといけない状況を作る、みたいな」。
炊きたてが食べたいから、冷凍などしない。よって、完食する。もちろんおかずもともに食べるのだが、そこまで栄養学を習得しているわけではないので、とにかく量を多く食べてパワーを生み出していた。
すると、練習でも「センターに放り込めるようになってきた」と、それまでの引っ張り専門からセンター方向に飛ばせるようになり、パワーアップを実感した。
「強く振るっていうのを意識してやってて、なんかすんげぇ飛ぶようになったなって思いはじめたのが8月の終わりごろですね」。
ちょうどご飯を2合から3合に増やしたあたりで、試合での結果もリンクする。ターム3の3本塁打のうち2本はセンター方向で、いずれも中堅122mの広い球場だっただけに自信になった。
■創意工夫を繰り返した
シーズンを通して、自分なりにいろいろ試した。序盤は初球からどんどん振っていっていたが、途中からファーストストライクを見送るようになった。
「いろいろ試してたんです。相手バッテリーも『こいつ、初球から打つな』ってなったらボールから入るんじゃないかと思って、わざと見逃してたときもあります。でも、ストライクだともったいないなと思って、やっぱり初球から打ちにいったり。振りにいって見逃すっていうこともしました。でも最後のほうは、やっぱ(初球は)振ろうと思って」。
野球はバッテリー主導で、バッターはそれに対応しなければならない。相手の心理も読みながら打席で試行錯誤し、次に生かす。初めてのプロのシーズンだったが、髙野選手の中で密かにさまざまなトライをし、変遷をたどりながら最終的に結果に結びつけていったのだ。
自分なりの創意工夫は確実に肥やしとなっている。
■池田高校に残した「ヒカル伝説」
髙野選手の野球人生がスタートしたのは幼稚園の年長だった。野球をしていた7歳上、3歳上の兄たちについていき、当たり前のように始めた。小学2年でチームに入り、3年からはキャッチャーをした。ピッチャーをやりたかったが、光海少年の速球を捕れる捕手がいなかったのだ。
とにかくバットを離さない子だった。熱があってもバットを振り、試験期間中にも父・哲也さんにバッティングセンターに連れていってもらい、母・亜貴さんから一緒に怒られた。
中学のチームも自分の意志で決め、高校は「小学校5、6年くらいから県外に出るって決めてました。甲子園に出るためには、大阪や兵庫じゃ…」と親元から離れて徳島県の池田高校に進んだ。
捕手として1年生ながら試合にも出たが、その秋からは外野手に転向した。もともと自分も外野をするつもりだった。
校庭での打撃練習では10m以上あるフェンスを越し、外の道路やその向こうのダムにまで打球を飛ばした。「30年近く監督をしていて、彼ほどの長打力は見たことがない」と井上力監督も舌を巻く飛距離だ。
道路を走るトラックに当て、運転手が怒鳴り込んできたこともあった。しかし、秋の大会の試合前練習だと知ると、運転手は「じゃあ、頑張ってこい!」と激励してくれ、その試合で髙野選手が4打数4安打でホームランも放ったと聞くと、さらに喜んでくれた。
「池田ってアットホームというか、温かい人が多いんです」と、“第2の故郷”に大きく育ててもらった。
あまりにも飛びすぎるからと、髙野選手だけ木のバットを使用していた。「チームでコンポジっていう硬いバットを使ってたんですけど、それじゃ打った感じがしなくておもしろくないから、木で打ってました」。
木のバットで打っても、その飛距離は人並外れていた。芯でとらえられている証しだ。早くから木のバットに慣れていたことも、今思えばよかった。
■家族への感謝
高校入学当初は「卒業してすぐプロに」とは思っていなかったが、レベルアップしていくとともに真剣にプロを考えるようになった。高校2年のころだ。やがてスカウトも見にきてくれ、ドラフト前には3球団から調査書が届いた。
だが指名はなく、父から「お前はプロにかかるレベルじゃない」と言われ、自分でもそれは納得だった。独立リーグ行きを決めたが、「富山で(野球を)辞めるきっかけを作ってこい」と送り出され、母も「ただ野球してるところを見に行きたい」と、両親とも独立リーグに行けば簡単にNPBに入れるという甘い考えはいっさい持っていなかった。
両親はいつもそうだ。ただ盲目的に溺愛するのではなく、常に冷静で客観的な意見をくれる。髙野選手にとって、もっとも信頼できるアドバイザーである。今季も関西から足繫く北陸に通ってくれた。
「親がいてくれるから野球ができるというのは、ずっと思っている。昔は反抗したりもあったけど、本当に感謝しています」。
まめに連絡もとるし、いろんな話をする。両親のありがたみは年々深まるばかりだ。
また、2人の兄への感謝も尽きない。長男の克海さん、次男の洋夢さんも応援してくれている。高校生のころは克海さんがグラブを、洋夢さんがAirPodsをプレゼントしてくれた。
洋夢さんとは最近、1年ぶりに会い「すげぇな」と讃えられたが、「昔はよくけんかもしました。パシらされたし。コンビニ行ってこいとか、メシ作れとか。うざいなと思いながらやったけど(笑)」と思い出し、笑みがこぼれる。
末っ子の活躍は、今後も髙野家の話題の中心になるだろう。
■吉岡雄二監督への思い
初めて会ったとき、そのガタイの大きさに驚いた。現役時代は知らなくて当然だが、テレビ番組の「リアル野球BAN」は大好きでよく見ていたから「すげえ人」という印象があり、その人のもとでやるんだと興奮した。
ずっと付きっきりだった。高校時代に肩を痛めたこともあり、キャッチボールや遠投の相手は常に吉岡監督がしてくれた。打撃も熱心に指導してくれ、その穏やかな口調で話もよくしてもらった。
「吉岡さんは僕の擬音語も理解してくれるんです(笑)。『どういうイメージ?』って訊かれて、『こう来て、グッてやって、スッて足上げて、グーッてためて、バーンって感じです』って言ったら、笑いながら『おうおう、そうかそうか』って(笑)」。
野球人同士、しっかりと伝わるようだ。嬉しかったし、安心できた。
「本当に富山に行ってよかった。吉岡さんのもとでやれてよかった」。
器の大きな指揮官から得たことは数知れず、言葉にも表しきれない。富山もまた、髙野選手にとってのたいせつな“故郷”となった。
■長打力と強肩、勝負強さを武器に支配下へ
「親父は『3年の間にクビになるか、野球でメシ食えるようになるか、どっちかやぞ。これもまた辞めるきっかけやな』って言ってます。お母さんは『あんた、ほんまにプロになったん?』って、まだ信じてないです(笑)」。
家族を早く安心させたい。そのためにも目指すのはまず支配下登録で、その期限は毎年7月31日だ。「来年のそこまでに支配下にならないと始まらない。そこがまず目標です」。気合いを込める。
育成選手であってもファームの試合には出られる。つまり支配下になるということは、チームに「1軍の戦力として必要」と思われなければならないわけだ。
「当たったら飛ぶ、長いのが打てる。それと肩もしっかり見せて、打って守ってをちゃんとやる。ちゃんとやるっていうのが一番基本かな。そこはしっかりやっていこうと思っています」。
長打力と強肩、加えてグランドチャンピオンシップで見せたような「ここ一番」での勝負強さもある。それらを引っさげて下剋上を誓う。
「光る海」と書いて「ひかる」。「海を渡って光り輝くように」との思いで名づけられたが、生まれたときからマリーンズに入ることを暗示されていたかのようだ。
髙野光海が海を望むZOZOマリンスタジアムで大暴れする日が、今から待ちどおしい。
【髙野光海(こうの ひかる)】
2004年6月17日生/兵庫県
右投右打/187cm・90kg
池田高校―富山GRNサンダーバーズ(日本海リーグ)
【髙野光海*今季成績】
39試合 打数146 安打34 二塁打7 三塁打0 本塁打5 打点22
四球10 死球8 三振62 併殺打5 盗塁0
打率.233 出塁率.317 長打率.384 OPS.701
*タイトル…最多本塁打
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富山GRNサンダーバーズ