「日本海のオオタニサーン」から「幕張のオオタニサーン」 ロッテ2位の大谷輝龍は三振で流れを引き寄せる
「日本海のオオタニサーン」こと大谷輝龍(おおたに ひかる)投手が千葉ロッテマリーンズからドラフト2位指名を受けた。富山GRNサンダーバーズの球団史上、最高位である。
和田康士朗選手(2017年、育成1位)、速水将大選手(2021年、育成2位)に続いて3人目の雷鳥戦士が幕張に飛び立つ。
■ドラフト会議の日のハプニング
本人も予想だにしなかった2位指名だ。「正直、めちゃくちゃビックリして。僕自身も下位指名か、悪かったら育成くらいの感覚でいたんで…」と思わぬ高評価に、まずは驚きのほうが先に訪れた。
その“運命の瞬間”、あるハプニングに見舞われていた。ほかの候補選手や関係者らと指名を待っていたとき、見ていた地上波の中継番組が、2位指名の途中からCMやニュースに切り替わったのだ。慌ててスタッフがネット配信に切り替えようとしたが手間取り、ようやくつながった途端、目に飛び込んできたのが「大谷輝龍」の文字だった。
「なんか僕の中で時が止まって、『あれ?』みたいな感じで…何かの間違いかと思いました(笑)」。
名前もコールされた後だったので、あの「第2巡選択希望選手、大谷輝龍」は聞けず、すぐには実感が湧かなかった。会場も「ワーッ」と沸くより、「え?」「え?」という空気が充満していた。
本指名が終わったころ、ようやくじわじわと喜びが押し寄せ、吉岡雄二監督たちと握手をしながらそれを噛みしめた。
■かねてから惹かれていた吉井理人監督
ドラフト会議から3日後の10月29日に指名あいさつを受け、11月10日に仮契約を結んだ。
今、改めて吉井理人監督のもとでプレーできることに笑みがこぼれる。実は吉井監督のコーチ時代から関心をもって記事などを読みあさり、その考え方に感銘を受け、トレーニング法や指導法などに共感していたのだ。
「本当にすごい人だなって思っていたら監督になられて、日本代表のコーチにも…。前から、僕もロッテでできたら成長できるんじゃないかなって思ってたんですよ、実は」。
かつて大谷家の家族間の会話でも「吉井さん、いいよね」と、その名前が上ることもあったほどだ。もちろん、どのチームに指名されても嬉しかったが、念願がかなって喜びが倍増した。野球の神様の差配に感謝せずにいられない。
さらにはチームメイトに佐々木朗希投手もいる。「近くで見て学べるし、いろいろ聞いたりもできる」と楽しみにしている。
目指す160キロまで、あと一歩というところまできた。ただ、「160」という数字だけを出したいわけではない。「160キロを1回出して、あとは150ちょっとっていうよりは、160キロ近い球を平均して投げ続けたい」と、求めているのはアベレージだ。
それだけに、安定して160キロ前後の球を投げる秘訣を、佐々木投手の間近でしっかり盗むつもりでいる。
■独立リーグの利点を享受して成長
球速が上がり、変化球のキレやコントロールもよくなった。右肩上がりに成長した大谷投手だが、シーズンを通して『これ』という転機はとくになかったと振り返る。
「ずっとフォームを試していて、最初は全然身についてなかったけど、試合に出るようになってちょっとずつフォームが慣れていった。それに伴ってまっすぐもどんどん速くなって、コントロールもついてきたし、変化球もよくなっていった感じ。だから、試合に出るごとに感覚を掴んでいった感じでしたね」。
実戦経験の中でフォームが確立し、抑えた成功体験が次の登板につながり、好循環していった。また、トレーニングや練習に割ける時間も多くあった。社会人時代は朝も早く残業もあり、自分の時間も持ちづらかったが「睡眠もしっかりとれるようになった」と、すべての時間を野球のために使えた。
さらに、シーズン中のNPB球団との試合も大谷投手にとっては大きかった。「打たれたりもしたけど、まっすぐで空振りやファウルが取れて、NPBでも通用するんじゃないかって自信になりました」と好影響を与えた。
もちろん、すべては本人の努力があってこそだが、こういった独立リーグならではの利点が、大谷投手の眠っていた力を目覚めさせることに奏功したのだ。
■グランドチャンピオンシップで自己最速159キロ
心身ともにシーズン中にどんどん進化し、その集大成を見せたのが独立リーグ日本一を決めるグランドチャンピオンシップ(9月29日 坊っちゃんスタジアム)だった。
大勢のNPBスカウトが目を光らせる中、徳島インディゴソックスを相手に1回を3奪三振(1死球)で自己最速の159キロを計測した。
これまでの人生で一番の大舞台であったろうに、大谷投手は普段と変わりなく臨んだ。
「マウンドに立ったら力が入るだろうと思ったので、いつもどおりにやろうということしか考えてなかったですね。普通に初球からちゃんとストライクが入ったので、いつもどおりのピッチングはできたかなって思います」。
なんという泰然自若っぷりだ。涼しい顔をしているのが頼もしい。
しかし、球場もいつもとは違うしスカウトの数もシーズン最多で、応援団の声援も一段と大きい。アドレナリンの量はやはり違ったのだろう。159キロが出たのも、そこに起因する。
「どの球が159出たのか、投げてるときはわからなかったです。でも、球は走ってるなって感じはしました」。
この大会で、スカウト評はより跳ね上がった。技術的な力量に加え、大一番で最大のパフォーマンスが発揮できる強心臓は、NPBの大舞台で輝くであろう、と。10球団から調査書が届いた。
■いつもどおりの精神状態
そんな鋼のメンタルについて「変に意識しないっていうのが、よかったんじゃないかと思います」と、飄々と話す。
「相手のことを気にしてたら、いつも以上に緊張したかもしれないけど、そういうときこそ、いつもどおりの感覚でいこうとずっと思ってたんで」。
いやいや、そうしたくても、なかなかできないから人は悩むのだ。だが、大谷投手はセルフコントロールできる術を身につけている。
「一番は試合に慣れたこと。あとはフォームを意識しなくなったこと。バッターだけに集中して、場面を考えて試合に入っていくことができるようになったんで、余計なことを考えなくなった。ちょっとした邪念が入ってくると、余計な球を投げちゃったりする。ほんと試合に集中できるようになった」。
そして、自信がついたことも大きいという。球速、コントロール、変化球の精度…それらが礎となり、“邪念”の入る隙がなくなった。
■人と比べるのはやめた
そもそも今季を迎える前、大谷投手は大きな自己改革をしていた。独立リーグに移るにあたり、来し方を振り返ったのだ。
「これまで、なんでダメだったか考えたんです。そこで、今まで周りと比べちゃうところがよくなかったなと気づいた。人と比べて、まずその人と同じレベルにいかなきゃ試合に出られないとか考えちゃって、ちょっとずつ上がっていかなきゃいけない階段を、2段階、3段階飛ばすようになっていた。で、焦って、フォームが変になったり…」。
そう省みて、人と比べるのはやめようと決めた。
「もう自分がよければいいやくらいの感覚でやろうと、周りと比較することをやめました。だから、椎葉(剛=インディゴソックスから阪神タイガース2位指名)と並んで取り上げられることも多かったけど、全然気にしなかったです。椎葉のほうがずっといいピッチャーだと思ってたんで、僕は自分のことだけ考えようと思って」。
マイペースを貫き通すと気持ちが揺れることはなくなり、それはプレーする上でも大きなプラスになった。
■理想に掲げる大谷翔平選手
なぜこのようにマインドを転換させ、自身をコントロールできるようになったのか。そこには「“本家”オオタニサーン」の存在があるという。
「僕、人の人間性とか見るのが好きで、たとえばダルビッシュ投手とか山本由伸投手とか、『この人ならどうするんだろう』みたいなことをけっこう考えてて…。で、大谷翔平選手だったらって考えたら、『人と比べたりしないよな』って。だから、かなり影響されたんだと思います」。
面識があるわけではなく、さまざまな情報からの推測ではあるが、確信をもってそう思えた。だからこそ自身もその境地にたどり着けた。
そして、その“人間ウォッチング”によって、「選手としてじゃなく、人間として理想。ああいう人間性になれたらなと思います」と大谷翔平選手に心酔している。
「野球に対してまっすぐで、邪念とか余計なものをいっさい入れない。飲み会なんかもだいたい断るらしくて、『それで嫌われるとか考えたりしない?』って訊かれたときに、『僕は活躍してみんなに認めてもらう』って言ったそうなんです。それ聞いて、やっぱすごいなと。それくらい野球に強い思いを持ってる人って、なかなかいない。僕も、それだけまっすぐ野球のことを考えられる人になりたいって思いますね」。
自身も真摯に野球に向き合ってはきたが、NPBの世界ではさらにブレずに野球に対峙するつもりだ。
■ハングリー精神で「1年勝負」
「(NPBに)行くなら1年で。今年に懸けていた」と、勝負の年だと位置づけて独立リーグに挑んだ。給料は決して多いわけではなく、「スナック菓子とかそういう余計なものは食べなくなりましたし、外食も全然できませんでした」とハングリー精神で切り詰め、もっぱら自炊した。
しかし体を作るためには、食は重要だ。そこで応援してくれたのが親御さんだ。「タッパ―にいっぱいおかずを作って持ってきてくれるのを、冷凍してちょっとずつ食べたり、自分で肉を焼いたり。親にはかなり助けてもらいましたね、食事面は本当に」。感謝の念が尽きない。
だから、「何か欲しいものを買ってあげようか、それか家のローンを返してあげるのがいいのか。いろいろ考えています」と、しっかり恩返しするつもりでいる。
羽ばたかせてくれたサンダーバーズについても「僕を変えてくれたチームだし、その環境だった。本当に感謝しかない」と頭を下げ、吉岡監督からも「ドラフトの次の日にけっこう長く話をして、いろいろアドバイスしてもらいました。『焦りすぎるなよ』って。『周りがすごくても、それに合わせなくていい。今までどおり自分のペースでいいから』って言ってもらいました」と、ありがたい金言を授かったことを明かす。
■三振にこだわって「幕張のオオタニサーン」に
サンダーバーズでそうしてきたように、今後も自分のペースを守りながら、けれど着実に歩を進めていく。そしてこれまでどおり、三振を追求するスタイルも変えないつもりだ。
「最初はリリーフだと思うので、勝っていたら流れを崩さず3人でピシャッと抑えて、負けてたら流れを引き寄せる。負けてるときほど三振を取ったら流れをもってきやすいので、三振は大事だと思います。とくに中継ぎは」。
三振へのこだわりは、しっかり持ち続ける。
そして、そのためには自身のレベルアップが必要なこともわかっている。
「変化球の精度もまだまだだし、まっすぐも完全に狙ったところに投げられるかと言われたら、まだわからない。早くNPBの場所に慣れて、当たり前のように1軍で投げてるというような、そういう“本当のメンタル”のもっていき方ができたらなと思います」。
今まで以上にストイックに野球のことを考えていくと誓った。
十分すぎる伸びしろを携えて、「日本海のオオタニサーン」は「幕張のオオタニサーン」になる。
(写真提供はすべて富山GRNサンダーバーズ)
【大谷輝龍(おおたに ひかる)*プロフィール】
2000年7月11日/石川県
180cm・82kg/右・右
小松大谷高校―JFE東日本―伏木海陸運送
最速159キロ
スライダー、フォーク
【大谷輝龍*2023公式戦成績】
14試合 13回1/3
被安打10 奪三振20 与四球2 与死球3
失点4(自責4) 防御率2.51 奪三振率13.5