《2023ドラフト候補》最速157キロ!独立リーグのオオタニサーンこと大谷輝龍(日本海・富山)
■目指すは160キロ
まさに「彗星のごとく現れた」という表現がピッタリだ。
日本海リーグ・ターム2の初戦(6月25日・ボールパーク高岡)に初登板するや、いきなりスコアボードに「150km/h」という数字を表示させた富山GRNサンダーバーズの大谷輝龍(ひかる)投手。背番号は17。「富山のオオタニサーン」だ。
その後、7月23日の阪神タイガース戦(鳴尾浜球場)で156キロ、8月27日(金沢市民野球場)の公式戦で157キロと、それまでの自己最速153キロを更新し続けた。
今や高校生でも150キロ超えの投手も珍しくない時代となったが、それでも150キロ台後半となると球界を見渡してもそうはいない。ましてや独立リーグ界では突出した存在だ。
「160キロを目指しています!」
大谷投手はさらなる高い目標を口にする。
■高校3年で147キロ
日本海リーグでのルーキーイヤーとなった今季、12試合(11回1/3)に投げて防御率3.18、奪三振率12.71を記録している大谷投手は、高校を卒業後、社会人2チームを経て富山に入団した変わり種だ。では、これまでを振り返ろう。(数字は9月14日現在)
友だちに誘われて野球を始めたのは小学1年のとき。ピッチャー未経験の大谷投手を「ピッチャーとして」見初めてくれたのが、小松大谷高校の野球部部長だった。
「石川県の中学校のチームがいっぱい集まる大会に、3年生のときに出たんです。球速や遠投、足の速さを測ったりして、それを競う大会でした」。
その“球速部門”で128キロを出し、惜しくも速球王の称号に輝くことはできなかったものの、僅差で2位という素晴らしい成績を残した。それを見にきていた部長に投手の資質を見込まれて入学し、高校1年冬から本格的にピッチャーになった。
「もともとずっと憧れはあった。ただ、コントロールが悪かったんで、小、中ではピッチャーをさせてもらえなくて」。
高校で多少の改善はあったが「それでもやっぱり荒れ球のピッチャーでした」と振り返る。しかし3年時には147キロまで出るようになり、速さはピカイチだった。
■自分のピッチングを見失った
「できれば高校からすぐにプロに行きたかったけど、実力がなかった」。何球団かのスカウトは見にきてくれたものの、調査書をもらうまでには至らなかった。
そこで、高校の監督の紹介でいくつかの社会人チームに練習体験に行き、声がかかったのがJFE東日本だった。
1年目はトレーニングや投げ込みなど育成期間に充てられ、1度きりだが150キロも計測した。いよいよ2年目、試合に出られるようになったが、結果は思わしくなかった。
「いろいろ悩んで考えすぎたっていうのもあって、フォームをいじっていたら自分のフォームがわからなくなって…違う方向にいってしまった。それで球速も全然出なくなって、コントロールがいいわけでもないので『試合じゃ使えない』って、2年目が終わって戦力外という形になりました」。
140キロを切ることはなかったものの、常時142~3キロ、最速でも145キロまでしか出なくなった。なにより“自分のピッチング”を見失ってしまっていた。
野球を辞めて社員として残って働くこともできたが、まだまだ野球を続けたかった。「プロに手が届きそうなところで低迷しちゃったんで、またそこまで戻りたいなっていう思いもありました」と、中途半端なままでは終わりたくなかった。
そしてやはり一番の理由は、プロ野球選手になるという夢を捨てきれなかった。
■一番投げやすいフォームを求めて
高校の監督に連絡すると、伏木海陸運送を紹介してもらえた。新天地で出直しを誓った大谷投手には、入社前にやるべきことがあった。自分のフォームを取り戻すことだ。冬の間の練習で「一番投げやすいフォーム」を探し続けた。
「軸があるんですよね。足を上げたときの軸、足を着いたときの軸。そういう軸と、一番投げやすいところを見つける練習をずっとして、おなじことを徹底して繰り返していたら土台が作れました」。
来る日も来る日も自分と向き合い、コツコツと模索し続けた。いろいろな選手のフォームも見たが、「イメージがわきやすい」とよく見ていたのは東北楽天ゴールデンイーグルスの岸孝之投手の動画だったという。
そうして取り組んでいるうちに、自分のフォームを確立することができた。
■野球に専念したい
伏木海陸運送に入ってからは球速も戻り、ちょくちょく150キロは出ていた。いかんせんチームがスピードガンを所有していなかったため、球速表示される球場でしか確認できなかったのだが…。
「ちゃんと活躍したって感じじゃないけど、ちょっとずつ成長できました。試合にも出してもらえるようにはなったんですけど…」。
依然、コントロールには不安があり、「監督からしたら、いつ荒れるかわからない“博打”みたいな感じのピッチャーだったんで(笑)。公式戦にはなかなか出られませんでした」と、プロのスカウトの目に触れるチャンスは多くはなかった。
2年が経過するころ、大谷投手は決意した。やはり当初の目標であったプロを目指すには、このままではいけない、と。
「伏木海陸は仕事もけっこうしなきゃいけなくて、仕事と練習が半分半分って感じで、練習だけに徹底できるわけじゃなかった。だから、もうちょっと練習時間が欲しいなと思って…」。
もっと野球に専念できる場所を、練習に没頭できる時間をと求め、もともと興味があった独立リーグに目を向けた。そして、縁あって富山に入団が決まった。
■開幕に出遅れた
ところが開幕直前に首を痛め、ターム1は1試合も登板することができなかった。
「朝起きたら首が痛くて、寝違いかなって思いながらそのままキャッチボールしてて、遠投を始めようとしたら逆のほうが痛くなってきて…。その痛みがけっこうひどくて、しかも長く続いてしまった」。
やっと投げられるようになっても、また一から作り上げねばならず、結局、デビューはターム2に持ち越されてしまった。「もう、うずうずしていましたね、投げたくて(笑)」と、そのころの心情を振り返る。
社会人で4年経過しての独立入りだ。年齢的にも時間はない。「早く出たい、早く出たいって、焦りもありました」という焦燥感を察した吉岡雄二監督からは、「焦るな。ゆっくり作れ」と制され、逸る気持ちを抑えた。
■デビュー戦は・・・
そして、いよいよターム2の初戦、8―5の3点リードの九回に初登板した。
「何も考えずに、思いきってまっすぐを投げ込もうと思っていきました」。
先頭にいきなり死球を与え、次打者への初球もすっぽ抜けた。ボークも取られ、どうなるかと危ぶまれたが、1死二塁から2死三塁になっても慌てなかった。ボール3から落ち着いてカウントを整え、デビュー戦を無失点で終えた。
150キロという球速表示に、ファンのどよめきが響き渡っていた。
■虎戦士相手に156キロが出た
そこからは順調に登板を重ねた。そして先述した7月のタイガース戦では「いつも以上に集中できて、勝手に(球速が)上がった」と、自己最速の156キロをマークした。
鳴尾浜球場のスタンドは大いに沸いたが、実はこのときのスカウト評はそう高くはなかった。“数字”は出ていても、球の質や変化球の精度に疑問符が付き、及第点は与えられなかった。対戦したタイガースの選手たちの感想も芳しいものではなかった。
■自己最速の157キロ
しかし、だ。その後の成長が非常に目覚ましかった。
「最初から比べると、自分でもよくなってるなというのは感じています。フォームも間違いなくよくなっていて、それに比例してスピードも出て、コントロールもよくなって、変化球もまとまるようになって…いろいろと、どんどんよくなっています」。
その要因を「力が逃げなくなった」と自己分析する。無駄が減り、バッター方向にまっすぐ力が推進している。
ここに至るまで、さまざまなトレーニングに汗を流した。いいと思ったものは積極的に取り入れ、その効果を実感している。
「パワーポジションを作るトレーニングを徹底してやっていて、うまくなってきています。それを体が覚えるようになったら、フォームも勝手によくなってきました」。
体の開きが抑えられ、膝が折れることもない。力が外に逃げず、キャッチャー方向にうまく力が出せるような下半身の使い方になってきた。それによって、みるみる球威も安定感も増している。
150キロを切ることはほぼなく、自己最速も157キロに塗り替えた。
■変化球の精度が上がり、狙って三振が取れる
変化球に関しても「スライダーもカウント球として使えて、決め球でフォークがやっと使えるようになってきたんで、ピッチングとしてもよくなってきてるかなって思います」と自信を深めている。明らかに投球の幅が広がり、狙って三振も取れている。
自身の登板3試合目以降は全試合で三振を取り、高い奪三振率を誇っているが、大谷投手にとって三振には、こんな思いがある。
「試合展開で僅差のときとか、中継ぎ(投手)が流れを作るってなったら三振が欲しい。三振で流れを作って攻撃にもっていきたいというのは、常に考えている」。
だから極力、三振は狙っていると明かす。
■体のケアもしっかりと
プレーだけでなく、体のケアにも腐心する。二度とケガで離脱することのないよう、「疲れをためないようにストレッチや睡眠は大事にしています。それとアップとダウンはしっかりやるように」と基本的なことを徹底している。
また、休日にはサウナでリフレッシュすることもある。
■球界を代表するリリーバー、クローザーに
日本海リーグは毎試合、YouTubeで配信されていることもあり、大谷投手の注目度も日に日に上がっている。視察に足を運ぶスカウトの数も増えているし、自身の周りでも「スピードがめちゃくちゃ上がったね」「プロに行けそう?」などと騒がしくなってきた。
「できるだけ考えないようにしていますね。変に意識しすぎると、力みになってしまうので。まぁ、いつもどおりっていう感じで投げています」。
平常心を保って、マウンドに上がる。
「タイプ的にこうなりたいという選手は山崎颯一郎さん(オリックス・バファローズ)とか、大勢さん(読売ジャイアンツ)。自分のスタイルとしては、目標とする一番いい選手だと思う」。
自身の適性も“後ろ”にあると見ており、目指すのは球界を代表するリリーバーであり、クローザーだ。
そこに到達するにはまず、最初の“関門”であるドラフトを突破せねばならない。
今年のNPBドラフト会議は10月26日。“富山のオオタニサーン”こと大谷輝龍は胸を高鳴らせ、その日を今から心待ちにしている。
(表記のない写真の提供は富山GRNサンダーバーズ)
【大谷輝龍(おおたに ひかる)】
2000年7月11日/石川県
180cm・82kg/右・右
小松大谷高校―JFE東日本―伏木海陸運送
最速157キロ
スライダー、フォーク
【大谷輝龍*今季成績】
12試合 11回1/3
被安打10 奪三振16 与四球2 与死球3
失点4(自責4) 防御率3.18 奪三振率12.71
(9月14日現在)