9月入学でますます加速する教育現場のブラック化!子ども・若者にいま政治家が果たすべき責任とは
降ってわいたような9月入学論が、波紋と議論を読んでいます。
乳幼児の保護者を中心に9月入学反対の声も多くなっています。
拙速な9月入学の検討は待ったほうがよい、もっと別の課題が多いという指摘は、有識者や学校現場からも多数声があがっており、署名活動も展開されはじめました。#9月入学本当に今ですか?(5/22追記)
私自身は9月には感染が収束し全員が学校に行けるという想定自体が、楽観的すぎると考えています。
感染症の専門家の判断を経ない無責任な提案は、文部科学省や知事ご自身が率いられる都道府県庁組織、教育や子どもにかかわるあらゆる現場の混乱を拡大させるばかりです。
また子ども・若者の学びとケアの保障について置き去りにしている限り、全国知事会の全国提言は、無責任であるばかりか有害だとすら考えています。
私の基本的な考え方については、こちらの記事もご参照ください。
「学びの不安・心の不安は置き去りに?:一斉休校後の迷走の中で取り残される子ども・若者たちへの支援策」(Yahoo!個人・記事)
「(コロナと学び)休校中に大切なこと、識者に聞く 末冨芳さん」(朝日新聞4月20日記事)
萩生田光一文部科学大臣も「莫大(ばくだい)な事務作業」を懸念し、「社会全体に影響を及ぼす」と述べ、慎重に検討する姿勢を示しています河北新報4月29日記事)。
欧米で主流の秋入学に合わせるべきだという意見についても、「社会全体で同じカレンダーを共有してくれないと、文科省だけで解決する話ではない」という萩生田大臣の指摘はもっともなものです。
学校現場だけでなく、企業の採用活動や人材確保を含め、国民経済全体にマイナスの影響を及ぼしかねないのが9月入学という政策だというのが私の考えです。
この記事は、特定の政党会派に向けたものではありませんが、2つの意図をもって書かれています。
1つ目、子ども・若者や教育政策に対する政治家の安直な思考は、問題が大きすぎることを自覚していただきたい、ということ。
2つ目、いま政治家として果たすべき責任は、9月入学ではなく、子ども・若者に対するケアと学びの保障である、という提言です。
9月入学論の根本にある政治家の安直な発想
子ども・若者の学びも人生も実験台ではない
知事会の9月入学の提案は、これまでの教育政策に関する政治家の態度をシンボリックに表現しています。
つまり教育現場の専門家や感染症の専門家の意見を無視し、学校現場の厳しい実態を考慮しない安直なアイディアをためらいなく教育にぶつけてくるとともに、子ども・若者を実験台にしてもかまわない、という子ども若者の尊厳や権利を軽視する思考を無意識の前提としてもってしまっている、という日本の多くの政治家の実態です。
子ども・若者の権利や声を尊重せず、教育現場の予算や教職員定数を削りながら、データやエビデンスにもとづかない思いつき政策にふりまわされ、コロナ前から小中高等学校や大学教育の現場は疲弊しきっています。
新型コロナウィルスという未曽有の災害に際しても、子ども・若者のケアを大切にしたり、5月からの学びをオンライン学習の導入で保障しようと必死の教育委員会や学校の努力も無視して、あまりにも簡単に「これを機会に9月入学を」と、と言い出す知事のもとで、果たして良いケアや学びが子ども・若者に行われるでしょうか?
5月からの学びの再開を目指している多くの教職員や自治体職員が、やる気をそがれていることは、想像にかたくありません。
そもそも9月入学にするということは、9月まで子ども・若者は学ばなくてよいという状況を作り出してしまうことになりますが、それで大丈夫なのでしょうか?
今回もまた政治家の安直な思考が、現場を苦しめ、新型コロナウィルス対策の長期化の中で、子ども・若者に必要なケアの保障と学びの保障が、ますます置き去りにされることを、深く心配しています。
9月入学でますます加速する教育現場のブラック化
すでに9月入学が危険であることについては、Yahoo!オーサーの中では、妹尾昌俊さんが記事にしてくださっています。
9月入学にせずとも、様々な対処ができることについても述べてくださっています。
「9月入学・新学期は進めるべきではない ― 子どもたちと社会への影響を重く見るべき4つの理由」
「休校が長引くことへの対策、政策を比較 ― 夏休み短縮・土曜授業、9月新学期、学習内容削減」
9月入学を求める高校生たちの声にも寄り添う姿勢、9月入学の社会全体への影響が深刻すぎることも含め、的確な論点の整理に、同意します。
立教大学の中原淳教授も「緊急事態下での「9月入学制度」の導入には「反対」です!:「学びをとめないこと」に焦点をしぼって、やり切ることの大切さ」を発信くださっています。(4月30日追記)
また文部科学省出身の地方公務員の方も9月入学の問題点を指摘してくださっています。
以下、その9月入学の問題点の指摘に対し、私のコメントを加える形で、乱暴な9月入学への移行が、教育現場のブラック化を加速させる危険な政策アイディアであることを指摘します。
◆9月入学では学習格差の是正にはつながりません
→(以下、末冨コメント)
その通りです、9月入学は新たに膨大な手続きを必要とし、学校の教職員や教職員は授業に専念するどころではなくなります。
また入学年齢を遅らせることにメリットはあるのでしょうか?イギリスでは5歳から義務教育が開始しますが、日本では4月-8月生まれの子どもたちは、7歳すぎても義務教育がスタートせず、幼稚園や保育園に8月までいることになります。また小学校1年生の間に8歳になる子どもたちも出てきます。
※義務教育の開始年齢については、こちらの文部科学省リンクを参照。アメリカ以外に7歳就学の先進国はありません。
9月入学にする場合、もっとも重要な論点は就学年齢であり、なし崩し的に9月入学にしてしまうと「先進国でもっとも義務教育の開始が遅い国」になりますが、それは学力政策的にもまずいのではないですか?
知事のみなさんはそれで大丈夫なのでしょうか?
また技術的課題として9月入学の場合、移行年度に半年分の児童生徒が増えるので、新1年生が小中高ともに激増することになり、教職員の確保や教室配置などにおいて、現場の混乱が加速します。
9月入学になった場合、4月入学を前提として作られている現行の学習指導要領の改訂(最低でも見直し)の必要性が生じます。
とくに小学生においては、半年入学時期をずらすことによる発達段階と修得すべき知識との関係がかなり変化します。
現行学習指導要領と、教科書で対応すればいい、というのは暴論です。
心理学や子どもの発達に詳しい専門家であれば、ご理解いただけると思います。
学習格差の是正策については私自身の考えを後述します。
◆9月入学はコロナ復興の財源を膨大に無駄使いします
→(以下、末冨コメント)
4月入学から9月入学、学校関係のシステム改修だけでなく、かなりの制度やシステムの変更を伴います。
文部科学省のリソースを膨大に要することについては妹尾昌俊さんの記事にも詳しいのでここでは省略します。
文部科学省以外にも、中央地方、そして何よりも学校現場にもたらす人員や予算へのダメージが大きすぎます。
学校に限定しても、たとえば、残念ながら中止になってしまった高校総体の時期、高校野球など夏のイベントが「高校生の学年末」、となりますがそれで大丈夫でしょうか?
進学希望者の場合には、スポーツで活躍する高校2年生の夏の大会、で引退という流れが一般的になっていくのでしょうか?選手としての成長を考えたとき、なんとも残念な気持ちになられる若者や関係者も多いはずです。
大会や行事の時期をずらすこともありえますが、学校の教員含め、関係者はその業務に忙殺されることになります。
そこまでして、いま9月入学をすることに意味があるのでしょうか?
手続き面もそうですが、4月入学を前提として培われてきた、日本の学校活動の蓄積、学校文化や子ども・若者の文化が、コロナのせいでなしくずしに喪失されていくことを想像すると、個人的には悲しい思いがします。
◆9月入学の議論自体は重要です
→(以下、末冨コメント)
私も同じ立場です。
4月生まれを7歳半で入学させるなし崩しの9月入学より、5歳段階から義務教育を開始するかどうかを検討したり、あるいは高校・大学教育をグローバル化するために入学時期だけではなく、学びのイノベーションにどのように取り組むかを話し合うのは「平時の」議論としては大事なことです。
しかし、なぜいま、膨大なリソースを無駄遣いしてまで、9月入学にするのか、絶対に9月入学でなくてはならないデータやエビデンスはあるのでしょうか?
政治家の責任は、政策判断の根拠を示すことですが、知事会はそのデータやエビデンスを示すことができるのでしょうか?
9月入学は格差解消にはなりません
子ども・若者への投資拡充と教職員の重点的拡充以外に解決策はない
9月入学で、学習の格差が解消する、という知事会の主張は、あまりにも浅はかすぎます。
私自身も、研究者としても内閣府の子供の貧困対策に関する有識者会議委員としても、長年この問題にかかわってきましたが、学びの格差の規定要因は、家庭の困難さであることは、公知といえるレベルの基本セオリーです。
松岡亮二さんの著作でも日本は「凡庸な格差社会」であり、家庭の経済状況や親学歴が子どものテストスコアや意識に影響していることを指摘なさっています。
いまこの瞬間にも、家が安心できる環境ではない子・食事すら満足に食べられない子どもと、オンライン学習ができるデジタル環境がある子・安心して家にいられたり家族が学習のサポートをしてくれる子、との格差は確実にひらいています。
この問題は9月入学などの小手先の対応では改善できる問題ではありません。
さきほど引用した公務員の方は
と心配しておられますが、コロナが大規模災害であることを考えれば、コロナ後の学校再開で必要なのは、低所得世帯や外国につながる世帯、地域経済全体が落ち込んでおり家庭環境の悪化が懸念される地域に、重点的に教職員を配置していくこと、が必要になります。
また教員だけでなく、スクールソーシャルワーカーやスクールカウンセラーの専門職も配置拡充していく必要性は、いますぐ、といっても差し支えありません。
東日本震災はじめ過去の災害の経験からは、家庭の低所得化や不安定化を支えないと、子どもが安心して学べる環境は成立せず、学校再開後不登校、ときには暴力行為も激増していく、という予測を我々が持つ必要があることをあきらかにしています。
東日本震災の後に不登校が増加した要因として家庭の貧困があったついては、被災地支援に取り組まれてきた公益社団法人チャンス・フォー・チルドレンさんがおまとめくださっています。
逆に厳しい地域や学校現場に手厚く教員や専門職を配置することで、コロナで厳しい状況の中でも、子ども・若者たちを支え、学びに集中できる環境を作り、学びの格差を縮減していくことが可能になります。
すでに文部科学省は「学校・子供応援サポーター人材バンク」を発足させ、学びの格差を改善する支援に乗り出しています。
学校再開後の運用、となっていますが、オンライン学習環境の整備により、休校中でも個別の支援が可能になるはずです。
全国知事会は9月まで子ども・若者への学びの保障を放置するつもりなのでしょうか?
政治家の果たすべき責任
現場の声を聞き、子ども・若者に寄り添い迅速な学び・ケアの保障を
最後に、いまこの新型コロナウィルスの災害状況にあって、政治家の果たすべき責任とは何か、私の考えを示しておきます。
(1) 災害対策として優先されるのは、ケアの保障と学びの保障であって無責任な9月入学論ではありません
子ども・若者は2月からの一斉休校の中で、学びの場も、友達や教員との関係も奪われ、もっともストレスが長期化していることを念頭に置いてください。
いま必要なのは、子ども・若者たちが学びやつながりを奪われたことに対するケアの保障をし、心の安全を回復させたうえで、学びを保障することです。
オンライン授業を垂れ流しにしたり、山ほどの宿題を出すのではなく、学びに向かう意欲や気持ちを高めるためにオンラインホームルームや、学びのつまづきに寄り添えるような双方向的なコミュニケーションを大切にする環境を、教育現場に保障してあげてください。
教員とスクールソーシャルワーカーやスクールカウンセラーが連携して、子どもや家庭にオンラインや電話での柔軟なアプローチや支援ができるように、各自治体で配置拡充や規則改正を行ってください。
また夏休みをなくす、などこわい言葉で子どもをおどかすのをやめてください。
(2) 現場の声を聞き、子ども・若者の不安やストレスに寄り添ってください
政治家のみなさん、とくに全国の首長のみなさん、政治家のリーダーシップとは乱暴な思いつきを子ども・若者や教育現場に押し付けることでしょうか?
9月入学を考える前に、まず校長会や教育委員会だけでなく、学校現場を担う中堅若手の教職員を含め、現場の声を聞いてください。
また子ども・若者の心に寄り添ってください。
ノルウェーの首相はコロナに際して、子ども記者会見を行いました。
またノルウェーのホイエ保健・ケアサービス大臣はコロナでストレスを抱える若者に「ありがとう」というメッセージも発しています。
鐙麻樹「コロナ疲労を我慢する若者へ『ありがとう」政治家の言葉が反響を呼ぶ」
その言葉を引用しましょう。
コロナは大人の本性をあらわにしていく試金石でもあります。
9月入学はけっこうですが、そこに子ども・若者に寄り添う姿勢を見せない政治家を子ども・若者たちはどう思うのでしょうか?
知事のみなさん、政治家のみなさん、あなたは一斉休校以降の子ども・若者こそもっとも誠実に感染拡大を防いできた世代であることを理解していますか?
その心に多くのストレスや不安をため込んだままであることに寄り添っていますか?
子ども・若者に「ありがとう」の言葉を言いましたか?
知事として何を言うにしても、子ども・若者の不安に寄り添い、現場や専門家の声を謙虚に聞くことが最優先ではありませんか?
私は、知事を含め日本の政治家のみなさんが子ども・若者の不安に寄り添える政治家として、いまこそ成長するチャンスでもあると考えています。
知事のみなさん、政治家のみなさんご自身が、子ども・若者の範たるべく、柔軟に良い方向に成長いただくことを期待しています。