稲田防衛大臣に対する「クーデター」が歴史の分水嶺を感じさせる
フーテン老人世直し録(315)
文月某日
去年の8月3日に安倍総理は「未来チャレンジ内閣」と銘打つ内閣改造を行った。メディアはそれを「安定最優先の組閣」と評価し、安倍総理が「任期中の憲法改正」と「長期政権」を目指す布石になるだろうと書いた。
その時、フーテンは「不安定の種を播いた人事」として「不安定の種は近い将来花開く可能性がある」とブログに書いた(2016年8月4日)。フーテンが不安定の種と見たのは二階幹事長と稲田防衛大臣の起用である。
それまでの第二次安倍政権は旧民主党政権を反面教師に「挙党体制」を意識し、思想信条の異なる谷垣禎一氏を幹事長に、「ポスト安倍」を狙う石破茂氏と岸田文雄氏を閣内に取り込み、それなりの「挙党体制」を築いた。
ところが谷垣氏が怪我をしたことで人事構想が狂い安倍総理は二階氏を幹事長に選んだ。フーテンの見るところ二階氏は中曽根政権時代の金丸幹事長である。金丸氏は中曽根総理に「行き過ぎれば差し違える」と言い放った。味方にもなるが敵にもなる存在である。
そしてそれ以上に懸念したのが稲田朋美氏の防衛大臣起用だった。安倍総理はこれも旧民主党政権を反面教師に米国に徹底してすり寄り、靖国参拝を自粛し、70年談話も慰安婦問題も、さらには憲法解釈の変更もすべて米国の言いなりになった。
そのことが右派勢力から反発されぬよう右派政治家を後継者に育てる姿勢を見せる必要があった。将来の総理候補は米国の覚えが良くなければならない。日米同盟の一翼を担う防衛大臣にさせることが総理候補の資格になると考えたのだろうが、それが逆効果となり不安定要因になるとフーテンは思ったのである。
案の定、例年8月15日に靖国参拝を行ってきた稲田大臣の行動は中国、韓国だけでなく米国からも注目された。安倍総理は稲田大臣に海外出張をさせて靖国参拝を見送らせる。それが本人には不満だった。年を越さぬうちに稲田氏は一人で靖国参拝を行い、防衛大臣にふさわしくない行動を自らの意思で示すことになる。
そして年が明けると南スーダンに派遣された陸上自衛隊の日報問題や「森友問題」で致命的なミスを連発する。右派勢力が将来の総理に担ぎ上げようとした政治家の資質がどれほどのものか。またそのような人物に国家の外交・安全保障を託した安倍総理の資質がいかなるものかを端的に物語る事例となった。
しかしこの人事が不安定要因になることを1年前から予見していたフーテンにとって、稲田防衛大臣や任命権者安倍総理の資質を問題にするより、考えさせられるのは日報問題を巡る一連の動きによって、自衛隊の中から文民のトップである大臣に対する一種の「クーデター」が起きている事実である。
フーテンはそれが2年前の憲法解釈の変更による集団的自衛権行使容認と無縁ではないことを感じる。個別的自衛権によって国家と国民を守ることに命を懸けることは納得できる。しかし集団的自衛権によって他国において他国の人間を守ることに命を懸けられるか。
その現実に悩みながら現場で活動する隊員の意識と、それを押し付ける上層部との間にギャップがある中で、ファッションにばかり気を使う防衛大臣の登場は極めて象徴的な出来事だった。
この記事は有料です。
「田中良紹のフーテン老人世直し録」のバックナンバーをお申し込みください。
「田中良紹のフーテン老人世直し録」のバックナンバー 2017年7月
税込550円(記事5本)
※すでに購入済みの方はログインしてください。