党首討論を「攻撃」ではなく「提案」に使う野党は一皮むける必要がある
フーテン老人世直し録(446)
水無月某日
1年ぶりの「党首討論」が会期末を1週間後に控えた19日に開かれた。前回の「党首討論」は昨年の6月27日で、その前は5月30日だから、昨年は通常国会で「党首討論」が2度行われたことになる。今年は1度だけで終わるのだろうか。
実は昨年の5月30日の前は1年半もの空白があった。安倍政権は「党首討論」に前向きでない。ただ「党首討論」が短時間であるために、追及から逃れる手段として「党首討論」を利用する。
昨年5月は「森友・加計疑惑」の追及から逃れるために予算委員会の開催を拒否して「党首討論」を行った。そこで安倍総理は野党党首の質問にまともに答えず、のらりくらりと答弁して時間を稼ぎ、短時間の「党首討論」を乗り切った。
その態度に立憲民主党の枝野代表が腹を立て、終了後に「党首討論の歴史的使命は終わった」と怒りをぶつける。そして枝野氏は6月の「党首討論」で安倍総理に質問せず、自分の演説に終始した。すると安倍総理が「党首討論の歴史的使命は終わった」と批判した。
与野党のリーダーが共に「党首討論の歴史的使命は終わった」と発言したことにフーテンは腹を立てた。「まともな党首討論をやらない政治家が何を言うか」と思い、「そもそも日本にまともな党首討論をやった歴史はない。党首討論の歴史的使命が終わったのではない。歴史はこれから作っていかなければならない」とブログに書いた。
「党首討論」は議会制度の先進国である英国の「プライムミニスター・クエスチョンタイム」を真似たものである。英国では毎週水曜日午後の30分間、首相に野党党首や議員が質問して討論を行う。
首相が国家をどのような方向に導こうとしているのかを国民に知らせるためである。短時間だが毎週行うところに意義があり、その時々の政治課題に首相がどのようなスタンスかが分かる。1999年に日本で「党首討論」が始まった頃は、日本でも毎週1回水曜日に行われた。
それまでの国会は、「基本的質疑」と称して総理以下全大臣を予算委員会に出席させ、2日から3日間、毎日7時間程度の「質疑」を行う。「質疑」とは野党が一方的に質問し、政府側は聞かれたことに答えるだけで「討論」はしない。
予算委員会なのに予算を巡る議論はせず、もっぱら政府側の弱点を攻撃する野党のパフォーマンスの場になった。「基本的質疑」だけをNHKがテレビ中継するので、野党議員にとっては「熟議」より「選挙」を意識した政府攻撃の場になる。
冷戦時代の社会主義対自由主義の政治は、政権交代のない万年与党と万年野党の時代でもあった。野党は政府を攻撃するだけで権力を奪わない。しかし冷戦が終わり、政権交代の政治構図を作らなければならなくなった時、与野党の党首が国家の方向を巡り、討論する場が必要になった。それが小渕政権時代に始まった「党首討論」である。
ところが野党議員は予算委員会での選挙を意識したパフォーマンスで自分を売り出したい。だから「党首討論」が始まっても予算委員会の「基本的質疑」をやめない。すると総理が「予算委員会のある週は党首討論に出ない」と言い出し、国家の方向を巡って与野党の党首が一騎打ちをする「党首討論」は次第に減っていった。
それが安倍政権では予算委員会での追及を逃れる道具に利用される。昨年は「森友・加計疑惑」の追及から逃れるために、今回は参議院選挙を前に飛び出した数々の「不都合」から逃れるために「党首討論」が利用された。
金融庁の審議会が公表した「老後2000万円問題」、防衛省が作成したイージス・アショア資料のでたらめ、トランプとの密約が懸念される日米貿易問題、そしてイラン訪問や日露、日朝交渉を巡る外交的躓き等々、安倍政権にとって選挙を不利にする状況が次々に生まれている。
中でも「年金問題」は安倍政権にとって鬼門中の鬼門である。第一次安倍政権が短命に終わった原因は「消えた年金問題」にあるからだ。その追及を逃れるため安倍政権は短時間で終了する「党首討論」でお茶を濁そうとした。
ただ今回が昨年と違うのは参議院選挙が控えていることである。のらりくらりと時間稼ぎをするわけにいかない。また安倍総理と周辺が年の初めから衆参ダブルに意欲を見せていたことから、総理が「解散」に言及するのではないかと見られ、「歴史的使命は終わった」と言われた昨年の「党首討論」より注目度ははるかに高いものになった。
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