ロシア本土も巻き込む戦争へ、新局面への予兆か。ブリャンスクのテロ事件とロシア義勇軍団
ロシア当局が初めて、国内の領土でウクライナ側と衝突があったと認めた。3月2日のことである。
2022年2月の戦争開始どころか、2014年のクリミア併合とドンバス紛争から見ても、初めてである。これが3月前半のウクライナ戦争関連で、筆者が一番気になった出来事である。
ロシア当局は3月2日、ウクライナ人民族主義者のグループである破壊工作員が、ウクライナ国境から数百メートル離れたロシア領内のブリャンスク州のリウビエチャネ村に侵入。乗用車に乗っていた民間人2人を殺害し、11歳の少年が負傷したと主張した。
プーチン大統領はテレビ演説で、「ネオナチ」と「テロリスト」が「市民に発砲」した攻撃を非難、「我々は彼らを粉砕する」と言った。
そして実際に、ウクライナに軍事的に報復した。それまでの数週間の中でウクライナへの攻撃は、最大規模のものとなった。
その上ロシアでは、テロが誇張されて恐怖を煽るように伝えられた。そのような状況で、ミハイル・デリアギン議員は「ゼレンスキーの粛清」を呼びかけ、チェチェンのカディロフ首長は、ロシア南部の戒厳令を要求した。実行犯は「ロシア義勇軍団」という、ウクライナで結成された反プーチン組織であることになっている。
あまりにも霧が深い状況となっている。単純にロシア 対 ウクライナ+西側の戦争とは言えない、複雑な現実を示すだけではない。ちょうど戦争が始まって2年目に当たる頃に起きたこの事件。もしかしたらロシア内部の大きな変化の予兆かもしれないと感じている。
激しい「報復」
ロシアがウクライナで3月9日に行った大規模なミサイルと無人機による攻撃は、激しい規模だった。
戦争が始まって1年が経ち、主要国の要人や国連の動きが盛んだったため、これらの報道は相対的に少なくなっていて、注目度が低かったかもしれないが、3月の1週目には攻撃が100回以上に及ぶ日があった。
ロシアは、ミサイルやドローンの弾幕を張り、攻撃を強化。特に3月9日にはインフラが攻撃された地域は、オデーサ、リヴィウ、ハルキウ、ヘルソンなど9つの地域と首都キーウに及んだ。少なくとも6人が死亡。ザポリージャ原発が電源を喪失、メルトダウンの恐怖が襲った。
ロシア側は、3月2日にウクライナの「破壊工作員」が自国領土に侵入したことに対する「報復」だと説明した。
3月9日だけで、ロシアは81発のミサイルを発射、10機のイラン製の自爆ドローン・シャヘドを送ってきた。ロシアの兵器の中で最も高性能な兵器の一つとされる極超音速ミサイル「キンジャル」も6発、発射された。
ウクライナ軍の発表によると、そのうち34発と4機を撃墜したが、キンジャルのミサイルは一つも撃墜できなかった。「我が国の防空網では迎撃できない」ということだ。
ロシア軍に占領された、欧州最大級の巨大なザポリージャ原発は、ロシアの攻撃を受けて電力網から遮断されたと、ウクライナの運営会社エネルゴアトムは述べた。この原子炉は停止しているが、常時冷やし続けなくてはならず、電源がないと冷却できずにメルトダウンの危険が高まる。
幸い、占領しているロシア軍は、ディーゼル発電機の起動を確認したが、ウクライナがチェルノブイリに次いでまた放射能の汚染に苦しもうと、原発に駐在する自国民のロシア兵がどうなろうと、政権はあまり気にしていないような「核」の扱いである。
ウィーンでは、国際原子力機関(IAEA)のグロッシ事務局長が警告を発した。「彼らは火遊びをしている」と。常々彼は、今まで大きな核事故に至らなかったのは運に過ぎないと言っており「この状況を放置すれば、ある日突然、我々の運が変わってしまうだろう」と述べた。
各地への激しい攻撃は、市民を困難に陥れた。
首都キーウでは、西部と南部で複数の爆撃が確認され、4割もの利用者が、寒い冬に暖房なしで過ごすことになった。
北東部のハルキウでは、テレホフ市長が、住宅のみならずエネルギーインフラが攻撃され、市内全域で電気、水道、暖房が使えないと発表。州行政の責任者であるシニェフボフ氏は、「敵は市と州に対して約15回の攻撃を行った」と述べた。
西のリヴィウでは、住宅地が爆撃され、少なくとも5人が死亡、中東部のドニプロの知事は34歳の男性が死亡したと発表した。州軍行政の責任者であるコジィツキィ氏いわく「ロケット弾が落ちたとき、彼らは家にいた。瓦礫はまだ整理されていない。さらに多くの死者が出る可能性がある」。
港街オデーサには、午前1時55分に空襲サイレンが鳴り響いた。複数のロケット弾がエネルギーインフラを直撃したと、州行政のトップであるマルチェンコ氏が発表した。住宅地も攻撃された。
このように、ほぼ全土が大変な被害にあった。
これが3月2日の「ロシア領土で2人が亡くなり1人の子供が負傷した」事件の報復である。それほど、このテロによるロシア側のショックは大きかったのだろうか。
大きな二つの疑問
この事件には、大きな疑問が二つある。
一つはロシア側の意図、そしてもう一つは誰がテロの実行犯かである。
まず、ロシア側がどんなつもりなのかについて。
ロシアでは事件の当日、まだ侵入は疑惑の段階だった時点で、ロシアのテレグラム(SNS)で、超国家主義者(超極右)や軍に近い人たちが広くコメントをしたという。テレグラムに加えて公式機関が、スクールバスへの銃撃、子供の死亡、数十人の住民の人質、発電所の爆発など、さまざまな噂を伝えたと、ロシアメディアの様子をAFPと『ル・モンド』の双方が報じている。しかし、後に否定されたというのだ。
また、ロシアの国営RIAノーボスチ通信、タス通信、インターファクスが、目撃者や治安・救助機関の情報源を引用して「ウクライナ人グループは数人を人質に取った」と報じたと、『ル・パリジャン』も報じた。
当局の反応はどうだったか。
「ロシア連邦保安庁(FSB)とロシア国防省の補助部隊は、事件のあったブリャンスク州のクリモフスク地区で、国家と国境を侵犯した武装ウクライナ民族主義者を撃破するための措置をとっている、と治安当局が述べた」と、ロシアの通信社は報道した。
事件の数時間後には、FSBは、攻撃者が「大量の爆発物」で建物を地雷化した後、ウクライナ領に戻ったと発表した。夕方にはFSBは、状況は「制御下にある」と述べ、「ウクライナの民族主義者」は自国に押し戻され、「大規模な砲撃」によって居場所を狙われたと述べた。
地元の知事からも発信があった。
事件があったブリャンスク州のボゴマズ知事は「破壊工作員が移動中の車両に発砲」した結果、「住民1人が死亡、10歳の子供が負傷した」と発信した。
さらに、ロシア国境地帯クルスクのスタロヴォイト知事は、テトキノ村へのウクライナ軍の砲撃があり、死者1人、負傷者1人を出したと報告した。砲撃により家屋3棟が損壊し、村では停電が発生したという。
このような発信により、ロシア人は、武装したウクライナ人グループがロシア内部に侵入し、本格的な攻撃やテロを始めたと信じたようだ。たとえ「噂」が後に否定されたとしても。
繰り返すが、ロシアが国内の領土でウクライナ人と「武力衝突」をしたと認めたのは、これが初めてなのだ。
結局「ウクライナ民族主義者」の攻撃は、本当のところはどの程度の規模だったのかは、不明である。
それどころか、この事件は本当に存在したのか、ロシアの自作自演という可能性はないかと、疑えないこともない。
しかし、その線はないようだ。
ブリャンスク州の2つの村、スチャニとリウビエチャネで、武力衝突が起こったことは、複数の目撃者が証言をウェブサイトに寄せており、事実のようだ。
そして、ロシア当局は、「実行犯のロシア義勇軍団」がテレグラム(SNS)に出した犯行声明と呼ぶべきものに遅れを取ったことで、彼らにソーシャルメディアを支配されてしまった。
その後の発表も矛盾が生じた。『フィナンシャル・タイムズ』は「ロシア当局は、この攻撃に対する首尾一貫した対応策を打ち出すのに苦労している」と評している。
どんなにロシア政権側が情報を制御しようと、もはやネットやソーシャルメディアへの市民の発信は防ぎきれない時代になっていると感じさせる。
となると、ロシア当局や上層部の人達の中に、ロシア側に実際に起こった武力衝突を、最大限に利用しようとし、煽った勢力があったということになるだろうか。それとも本当に恐怖にふるえた結果なのだろうか。
かつて2000年前後にチェチェン人独立派武装勢力がモスクワで起こした数々のテローーモスクワ劇場占拠事件が有名ーーを思い出した人もいるかもしれない。
事件のあった木曜日、南部全域の戒厳令を要求したカディロフ首長や、ウクライナの軍や政治指導者に直接狙いを定めた行動を呼びかけていた人達が、最も劇的な噂を流していた同じ人たちであると『ル・モンド』は報じている。
当日、プーチン大統領は、南部のスタヴロポリを訪問する予定だったが、キャンセルとなった。ただ、次の日に予定されていた国家安全保障会議の前倒しが求められたが、それは拒否されたという。同紙のヴィトキン・モスクワ特派員によれば「ウラジーミル・プーチンは、圧力を受けて行動する印象を与えることを体系的に避けて」いるという。
そしてロシアの公式発表は「NATOの兵器が発射した銃弾によって」市民に犠牲が生じたとし、西側が極右の「テロリスト」による代理戦争を行っているという主張を強めていると、『フィナンシャル・タイムズ』は述べている。
実行犯とされる「ロシア義勇軍団」とは
もう一つの疑問は、誰が行ったのか、ということだ。
3月2日に事件が起きてすぐに、「ロシア義勇軍団(英語:the Russian Volunteer Corps)」と名乗るメンバー二人が、リウビエチャネ村の郵便局の隣で、汚れていないきれいな戦闘服を着て意気揚々とポーズをとった短いビデオが、ソーシャル・メディアを支配した。「ロシア市民は、自分たちが奴隷ではないことを自覚し、立ち上がる時が来た」と述べている。
ロシア亡命メディアAgentstvoは、二人のうち一人はロシア義勇軍団の創設者、デニス・ニキーチン氏だと特定した。
ロシア義勇軍団とは、ロシアの極右ネオナチの武装集団と言われる。
創設者のデニス・ニキーチン(本名はカプースチン)は38歳。2019年に欧州連合(EU)が創設したシェンゲン圏から10年間の入国禁止処分を受けている、危険思想の持ち主とされている。
ロシアの野党メディア「ノバヤ・ガゼータ・ヨーロッパ」と、オランダに本部がある調査メディア「ベリングキャット」のマイケル・コルボーン氏は、事件が起きた当初から、この作戦はニキーチン氏によって実行されたと主張していたという。
その後、『フィナンシャル・タイムズ』のインタビューで、ニキーチン氏は答えている。
いわく、「ロシアで最も厳重に警備された国境地帯のいくつかを突破できることを証明したのだ」と。そして彼の部下が襲撃した2つの村のうちの1つで銃撃戦が発生したが「死傷者が出たことは知らなかった」と述べた。
ニキーチン氏は、2日の攻撃に参加した45人の多くは、国内に拠点を置くパルチザンの地下ネットワークの一員であると述べた。
ビデオで流れた彼ともう1人の服装は、村の目撃者の証言と一致しているとのことだが、それでもやはり彼らが実行犯という明白な証拠とは言えない。
もし彼らの主張が正しいなら、ウクライナにいるロシアのネオナチが、ロシア人に「立ち上がれ!」と鼓舞してテロを起こし、同じロシア人を殺したことになる。
ニキーチン氏は、どういう思想をもっているのだろうか。
複数言語を話す、国際的な(?)ネオナチ
ロシアで生まれた本名デニス・カプースチンは、元総合格闘家である(以下、カプースチン氏と表記する)。
反プーチンであり、「(襲撃の)主な目的はロシア人に、束縛されて生きる必要はない、他人の戦争に我慢して参加する必要はない、他人の意思を実行する必要はない、ということを思い出させることだ」、「あなた方は武器を取ることができるし、取らなければならない。私たちは、クレムリンの簒奪者たちを権力から排除しようとするすべての人を支援する」と言っている。
10代はドイツに住んでいたが、ある時点でロシアに戻った。その後2017年にウクライナに移り、同国にいる他のロシアの極右の友人たちと合流したと考えられている。
彼が有名になったのは、ドイツとロシアでの極右フーリガン運動だ。フーリガンとは、サッカー観戦で、暴力的に暴れる人たちのことだ。
さらにキーウで彼は、ロシア人、ウクライナ人、西側のネオナチのための総合格闘技(MMA)の試合を組織していた。総合格闘技とは、通常のものよりもルールの幅が広く、戦いの自由度が高いものだ。
2018年の英『ガーディアン』は、ロシアのフーリガンに関する長い記事の中で、彼が第三帝国のゲッベルスの写真を額に入れて、自室に飾っていたことなどを報じたという。
このように、カプースチン氏は、西側諸国のネオナチや白人至上主義者とつながりをもっている。この極右活動によって、彼は前述したように2019年にシェンゲン圏から10年間の入国禁止処分を受けたが、それでもヨーロッパで(圏内に行くことなく)活動を続けてきた。
「ロシア義勇軍団」は、2022年8月に結成された。武装組織であり、ウクライナに移住したロシア人のみで構成され、極右思想に共感する者がほとんどだと言われている。かつてアゾフ連隊に属していたこともあり、現在ウクライナ側で戦っているのは間違いないと言われる。
カプースチン氏がどのような「極右ネオナチ」思想なのかは、よくわからなかった。ヒントを与えてくれたのは、彼の極右友達と言われる、セルゲイ・コロツキーという人物だ。彼はベラルーシ人のネオナチである。
コロツキー氏は1974年生まれ。カプースチン氏より10歳ほど年上だ。
超国家主義組織であるロシア国民統一 (RNE) の元メンバーで、ベラルーシ支部で働いていたという。
この組織は、「ロシア人と同胞のためのロシア」という概念をもっていた。「ロシア国外に祖国を持つ」マイノリティー、特にユダヤ人や南コーカサスからの人々 (アゼリ人、ジョージア人など) の追放を含む政策を支持。ユダヤ系やロマ、イスラム教徒、少数民族を憎悪し、殺害を含む暴行を加えることもあった。2000年に解散した。西欧なら「犯罪者集団」とみなされ、存在すら許されない団体だろう。
彼は2014年、ウクライナにやってきた。ロシアがクリミア半島を併合した年である。
コロツキー氏は大変興味深い発言をしている。「RNEのベラルーシ支部は、ベラルーシ人、ウクライナ人、ロシア人を団結させ、伝統主義、保守主義などの原則に基づいて各民族グループに平等な権利を与えるなど、汎スラブ思想を持っていました。私は今でも同様の見解を持っています」。
この発言の中にある「汎スラブ思想」というのは、19世紀中頃から存在する思想。ナショナリズムと革命の機運が盛り上がる欧州で、オーストリア(ハンガリー)帝国、オスマン・トルコ帝国などに圧迫されていた欧州全体のスラブ人の連帯と統一を目標とする運動のことだ(後に汎ゲルマン主義と対立した)。
カプースチン氏も、同じような考えをもつネオナチなのだろうか。同じスラブの同胞であるウクライナ人を殺そうとするプーチンが許せないーーという立場なのか。
一方で、彼は自分のことを「ストリート ガイであり、スキンヘッドであり、頭骨を叩きのめす」人と描写している。
彼が10代の時にドイツに渡ったのは家族と一緒であり、ユダヤ人の難民の資格だったというMEDUZAの報道が真実なら、彼の背景はもっと複雑かもしれない。難民資格が認められたのなら、ドイツの、つまりEU市民のパスポートを(も)持っている可能性がある。
彼はドイツ語と英語も話せる。なんとなくであるが、彼を見ていると、思想という理屈ではなくナチスに魅せられており、国を問わず極右ネオナチに見られることのある「反・現指導者、反・現体制」であり、闘争好きという印象も受けないこともない。
2019年、ドイツの諜報機関の高官は独誌『シュピーゲル』に、カプースチン氏は「現在証明できるよりも、おそらくロシア当局に近い」と語ったというが、周りが思っているよりはロシアt当局に近いという意味のようだ。
結局、本当にロシア義勇軍団が行ったかどうかの確証はない。でも彼らが行ったと信じられて宣伝効果があったのだけは事実である。
ウクライナの反応
ウクライナ側は、関与を否定、この事件から距離を置こうと試みているという。
「ロシアのサボタージュ・グループの話は、意図的で典型的な挑発行為だ。ロシアは他国の攻撃と、戦争が始まって1年の増大する貧困を正当化するために、国民を怖がらせたいのだ」、「ロシア内のパルチザンの動きは、どんどん強く攻撃的になっていく。自分達のパルチザンを恐れるがいい」と、大統領府顧問のポドリャク氏はツイッターで反応した。
また軍情報総局のユーソフ報道官は、「ロシア連邦は、今日、多くの紛争が起きている存在」だという。ロシア義勇軍団については「彼らは武器を手に、プーチン政権とそれを支持する人々と戦っている人々である。ロシア人は目覚め始め、何かに気づき、具体的な行動を起こし始めているのかもしれない」と語っている。
この二つの発言は、パルチザン寄りの発言ではあるが、ウクライナの複雑な立場を反映しているように見える。
「サボタージュ(抗議の破壊活動)」と言っているが、普通サボタージュとは、物の破壊や妨害行為のことを意味し、殺害などという深刻なレベルを表現しない。ましてや関係ない民間人なら、なおさら。
死亡した二人がどういう人物なのか判明していないとはいえ、子供までもが負傷しているのが事実なら、これはテロと呼んでよいと思う。
それに、もしウクライナが、ロシアと決別し、独自の存在とルーツを主張し、西側世界に入りたいと望むのなら、「国民共和軍」のネオナチ思想は拒否すべき迷惑なものであるはずではないか。
でも実行犯は、思想はどうあれ反プーチンで、ウクライナを利する立場で戦っている人達である。そして同国には、ロシアとウクライナ、二つのルーツをもつ人は大勢いるのである。
しかしもっと問題なのは、カプースチン氏は、ウクライナ当局がこの作戦に署名をしたと『フィナンシャル・タイムズ』に述べたことだ。
「そう、もちろん、この作戦は合意されたもので、そうでなければ起こりえないことだ」、「私があそこ(注・おそらく森林)で夜の闇を通り抜けたことをどう想像するのだろう。地雷が敷設された橋があり、カメラがあり、熱探知ドローンがあり、隠されたオープンな観測ポイントがある」と語った。
「もし私が(ウクライナ軍の)誰とも連携していなかったとしたら・・・私たちは単に破壊されるだけだと思う」とも述べた。
真相はわからない。
同紙も「ウクライナの暗黙の支持を受けると主張する過激派によって行われたこの大胆な演出の多くの詳細は、まだ不明であり、検証もされていない」、「今回のロシア義勇軍団の攻撃は、ロシア人ゲリラがキーウの大義名分を得る用意があることを裏付けるものだったようだ」と描写している。
ウクライナ側は否定しているが、ロシア領で行われた作戦については、このような否定は常に行われているし、通常は公表されることはないので、いつものことである。
ロシアの側でも似たようなものだ。ロシア当局がウクライナの破壊工作グループに言及するのは、非常に珍しいことである。
ドゥーギン事件との類似性と、3組織の「共闘」
ロシア国内でのテロと言えば、真っ先に思いつくのは、ドゥーギン娘の暗殺事件だろう。
2022年8月20日にロシアの極右思想家アレクサンドル・ドゥーギンの娘・ダリヤ・ドゥーギナが運転する車が爆発炎上、ダリヤ氏が死亡した事件である。
これはプーチン大統領に大きく思想的影響を与えたという父親のほうを暗殺するつもりだったが、娘が死んでしまったと言われている。
ロシア当局は、ウクライナ情報機関の命を受けた元ウクライナ軍女性兵士が、男性と共犯で実行したと結論づけたのだが。
今回の事件は、様々な意味で昨年の暗殺事件を思い出させる。
実際プーチン大統領は、ブリャンスク州でのテロをダリヤ氏の殺害になぞらえ、演説用のメモの束に彼女の名前を手書きで書き込んだほどだという。
あの暗殺事件で犯行声明を出したのは「(ロシア)国民共和軍」だった。
(英語:National Republican Army)
創設者のイリヤ・ポノマリョフは、2007年から2016年までロシアの下院議員だった。
プーチン大統領率いる与党「統一ロシア」党を、「詐欺師と泥棒」と呼んで注目された。2014年3月、彼はクリミア併合に反対票を投じた、唯一の国会議員だった。
ダリヤ氏殺害の際に、ポノマリョフ氏は「国民共和軍」の犯行声明を発表した(ただし証拠は、今回の事件以上に乏しい)。
参考記事:反プーチンを掲げる露のテロル集団が登場?ダリア・ドゥーギン暗殺事件とポノマレフ元議員
「国民共和軍」は、組織というよりは、むしろ「ネットワーク」だと説明していた。カプースチン氏は、今回の事件で「国民共和軍」を「45人の多くは、国内に拠点を置くパルチザンの地下ネットワーク」と説明したが、似ている。
この二つともう一つ、「自由ロシア軍団(英語:Freedom of Russia Legion)」という有名な組織がある。
戦争が始まってすぐの2022年の3月、ロシア軍から離反した者たちと、ベラルーシ人などの志願兵によってつくられている組織である。他の二つ、特に「国民共和軍」に比べて、この組織は確実に実体がある。
これらの三つの組織は、昨年8月31日、協力宣言に調印している。調印場所にちなんで「イルピン宣言」と呼ばれる。
この三つの団体は同じ思想ではないが、「プーチンの専制政治からロシアを解放し、自国や他国の市民に対するクレムリンの治安部隊のテロを止め、ウクライナに対する侵略戦争をできるだけ早く終わらせる」という共通の課題を持つとしている。
「プーチンのファシズムに対する武力抵抗について」行動を調整し、共同の情報政策を行うことに合意し、それぞれの部隊のシンボルを保持しつつ、「共闘の象徴として、共通の白青白の旗を採用」することを決定したという。
白青白の旗は、戦争反対派のロシア人のシンボルとなりつつあるものだ。
旗を考案した人達は、ロシア国旗の赤は、今や血と暴力、ツァーリズム(ロシア皇帝絶対君主制)、軍国主義や権威主義的な強さを連想させるので、外したのだという。
各国の国家当局に対して彼らの利益を代表する政治センターを設立し、共同の情報政策を組織することに合意した。このセンターはポノマリョフ氏によって運営される予定だという。
しかし、ウクライナのメディアGORDONが手にしているリリースでは、自由ロシア軍団とロシア義勇軍団はウクライナの軍事・政治指揮下にありウクライナのために戦うが、国民共和軍はウクライナ指導部に従属せず、ロシアの軍事・政治組織であるという。
ウクライナ政府は、このことを確認していないという。そして「さまざまなイデオロギーの違い」を挙げて、カプースチン氏は、ロシア義勇軍団は自由ロシア軍団の過激派と協力していないことを明らかにしていると、MEDUZAは伝えた(2014年、ラトビアでロシア人ジャーナリストによって立ち上げられたメディア)。三者の協力体制は、複雑で難しいようだ。
あくまで筆者が英仏のメディアを見ている範囲では、カプースチン氏のロシア義勇軍団が組織的にウクライナの指揮下に入っている、とするものは見た記憶がなく、といって関連がないとは断定せず、関連があるかどうかは不明である、というものが多いと思う。
ロシア本土への攻撃
これらの動きを考えるのに、おそらく最も重要ではないかと思われる背景がある。
西側、特に日本では、ウクライナでの戦闘が主に伝えられる。そのため攻撃はもっぱらロシア軍が行い、ウクライナ軍は自国内で、領土死守、あるいは奪還のために戦っていると思われている。
しかし実際には、ウクライナ軍によるロシア本土への空からの攻撃は、増しているのだ。国境地帯では、軍事目標への砲撃が行われ、時には民間人が犠牲になることもある。ロシア領土の奥深くの目標へは、無人機攻撃が行われている。
今回の事件が起きた週の初め、2月27日から28日にかけては、無人機が複数の地域を一度に狙い、クラスノダール州トゥアプセの町の石油精製所を損傷させた。モスクワ地方では、初めてドローンが落下、サンクトペテルブルクでは、28日に数時間にわたって空域が閉鎖された。
同時に、ロシア軍作戦の後方基地となるウクライナの国境地帯では、ウクライナの大砲による爆撃がほぼ連日行われていると、『ル・モンド』は伝える。
今までにもウクライナと国境を接するベルゴロド州とクルスク州の知事は、ウクライナ軍が繰り返し、境界を越えてドローン攻撃を仕掛けてきていると非難している。
ロシアの国会議員であるアレクセイ・ジュラブリョフは国営テレビで、「これは今やロシアの領土に対する攻撃なのだということを、彼ら(ウクライナ側)は、はっきりと理解すべきだ」、「彼らはクリミアを攻撃し、そのほかにもクラスノダールやベルゴロドに対して相次いで攻撃を行ってきている。そろそろ彼らにきちんと罰を与えるべきだ」と述べたという。『ニューズウイーク』が報じた。
事件が起きた3月2日の前日には、ウクライナからロシア領内に複数の戦闘機が侵入したと伝えられていた。その詳細がわからないうちに、このテロ事件は起こったのだという。
筆者は1月に、モスクワの屋根の上に防空ミサイルシステムが設置されたことを伝えた。これは決して国民の不安を煽るためだけのものではなかったのである。
参考記事:モスクワの屋根の上に防空ミサイルシステムが設置。ウクライナの首都攻撃に備えた?
欧州側の地域に住むロシア市民は、空襲で自分の被害や死傷を恐れるレベルではないにせよ、漠然と不安だったり、怖かったりするだけの背景はあったのだ。
そこに3月2日のテロが起きたのだ。
名だたるメディアが「人質がとられた」と不安を呼び起こす報道を行い、好戦派の要人たちは、後に否定することになる恐ろしい噂を撒き散らし、戒厳令だの粛清だの、非常事態を煽るような発言を行った。
そしてプーチン大統領自ら演説で、2014年のクリミア併合とドンバス内戦の開始以来初めて、ロシア国内で空からの攻撃ではない、ウクライナとの「武力衝突」があったと認めた。
こうして、後に否定した恐ろしい「噂」に呼応するかのように激しい軍事報復を、モスクワはウクライナに対して行ったのだった。
戦争1年目、プーチン政権は、今までウクライナの「特別軍事作戦」は国民に影響を及ぼさないと、安心させようとしてきた。しかし、それは終わろうとしているのではないか。
そうなったら、ロシア国民は何を考えるだろうか。一層のウクライナへの「復讐」を誓うだろうか。それとも、ウクライナで戦争をしている場合か、自国の領土が危ないではないか、まずは国土を防衛するべきだ、と考えるだろうか。それとも戦争反対、戦争を止めろ、となるだろうか。
このような混乱は、何をもたらすのだろう。
何か劇的な、世界中を驚かせるようなよほどの転換がない限り、広大な領土をもつロシアが軍事的に負けるのは難しいだろう。ロシアはシベリアまで続いているのだ。
ウクライナに勝利と平和をもたらせるのは、日露戦争の敗北が引き金となってロシア第一革命が起こったように、ロシア国民による内部の声と混乱以外にないかもしれない。
その日を待っているのだろうか。ロシア人によるロシアでのテロの動きに真っ先に注目したのは、筆者が把握している限りでは、べリングキャットを除けば、数々の亡命ロシアメディアだった。
3月16日、ロシア最高裁は「自由ロシア軍団」を「テロ組織」に指定した。AFPが報じた。検察庁は、同組織が創設された目的は、「ロシアの憲法基盤の弱体化と、テロなどによる国内政権の転覆」にあると説明している。
ロシア国内にいる戦争推進派である超国家主義の極右勢力は、国外ロシア人の動きを上手に利用して戦争鼓舞に役立てたつもりかもしれない。しかし、それは恐ろしい間違いだったと気づく日は来るのだろうか。