元阪神タイガースのトラヴィス投手 OBC高島で新しくスタートします!
元阪神タイガースの野原祐也監督が指揮を執る、社会人野球チーム・OBC高島は『全日本クラブ野球選手権大会』の東近畿2次予選で惜しくも敗退。就任1年目の全国大会出場はなりませんでした。7月2日に行われた試合結果はこちらからご覧いただけます。→<クラブ選手権出場を逃がすも、元阪神・野原祐也監督が率いるOBC高島の今後に期待>
とはいえシーズンはまだ続き、公式戦も予定されています。そこで力をつけて来年こそは!と、みんな既に気持ちを切り替えていることでしょう。東近畿予選後の初試合となった、びわこ成蹊スポーツ大学とのオープン戦にお邪魔してきました。もしかしたら、少しご無沙汰の“もと小虎”が登板するかも?と思ったもので。でも残念ながら、それはもう少し先になるようです。
沖縄→横浜→西宮→高島
昨年まで阪神タイガースに在籍したトラヴィス投手のこと、小虎ファンの方なら覚えていらっしゃいますよね?本名は佐村トラヴィス幹久、23歳です。沖縄・浦添商業からドラフト6位で横浜(1年目以降はDeNA)に入団しましたが、翌年オフから育成契約となり2014年秋に戦力外。そのあと阪神に育成選手として入り、「初めて故障なく1年を過ごせた」と手応えを感じていたのを覚えています。2016年にはウエスタン開幕戦で登板して好スタートを切ったものの、公式戦はこの1試合のみで、10月1日に戦力外を通告されました。
そんなトラヴィス投手の記事、結構書いていたのでズラリと並べさせていただきます。よかったらご覧ください。
★<BCリーグ訪問記・阪神から派遣中のトラヴィス投手、もと阪神の西村憲投手>
★<3ヶ月の“留学”で得たものを生かし、宮崎で投げまくる!トラヴィス投手>
★<第1次戦力外通告は9人 筒井、小嶋、坂、柴田、鶴、二神、岩本、一二三、トラヴィス>
★<阪神甲子園球場に響く大歓声に感謝!最後の“タテジマ”で臨んだ合同トライアウト>
合同トライアウトが終わり、沖縄の実家へ帰っていたトラヴィス投手。進路については「まだ決まっていなくて…」という返事で、気にはなっていたんです。するとゴールデンウィークの最中に、OBC高島の試合を見に行かれていた方から「トラヴィス投手がいますよ」と連絡が!いや~ビックリしました。人と人の縁って不思議なものですね。
それから2ヶ月くらい経ってのご報告となったのは、社会人野球の連盟に登録されるのが7月以降だったからです。5月から公式戦やオープン戦にも帯動していたし、5月23日には阪神ファームとの練習試合で鳴尾浜にも来ていたので、ファンの皆様はもうご存じだったと思います。でも規定により正式登録が7月だったため書けなかったのです。すみません。お待たせしました!
トラヴィス投手、背番号は14番
沖縄に帰ってからどうしていたの?「1月は、ソフトバンクの大隣さん、東浜さん、島袋さん(沖縄出身)、それと飯田さんも一緒に自主トレをさせていただいていました。でも2月はキャンプに入ってしまうので、あとは全部自分で。ランニングをしたり、ジムに行ったり、ピッチングは、といってもネットスローくらいですけど。とにかく、ひとりでできる範囲のことをやっていました。周りに野球できる人がいなくて」。キャッチボールもままならなかったということですね。
それで、OBC高島へ来ることになったのは?「野原祐也監督から連絡をいただきました」。接点は、トラヴィス投手がルートインBCリーグの福井ミラクルエレファンツに派遣されていた2015年7月から9月の間です。「対戦もしたし、阪神タイガースの先輩なので挨拶に行って話をしたこともあったからだと思います」。まさに縁でしょう。この時の3か月間がなかったら、もしかすると野原監督の頭に彼の名前が浮かばなかったかもしれません。
「3月くらいにお話をいただいて、いろいろ考えて、家族とも相談をしました」。ご家族としては、いったん地元へ帰ってきたから余計に手離したくなかったかも。「そうですね、それはあったかな。高校も寮で、ずっといなかったし」。それでも本人の気持ちを優先して下さり、トラヴィス投手は熟考したと言います。
「かなり考えて、考えて結論を出しました。返事をしたのは1ヶ月後くらいです。ただ、戦力外を言われてからもずっと考えていたんです。なのでトータルすると半年くらい」。その半年間、考えていた中に「野球をやめる」という選択肢はなかったみたいですよ。どうすれば続けられるか、どこへいけばいいかってことでしょうね。トレーニングもずっと続けていました。
実は話をもらったあと一度、野原監督から呼んでもらって滋賀県高島市へ見学に行ったそうです。チームの練習や寮だけでなく「勤める会社も見せていただいた」とのこと。2月はまだどっさり積もっていたけど、もう雪はなかった?「はい、僕が行った3月は大丈夫でした(笑)」。実際に寮の設備や室内練習場、職場も見られて安心したと思います。まあ横浜や阪神も初めての場所だったとはいえ、会社に勤めることが初体験ですもんね。
「環境バッチリですね!」
お世話になることを決めて返事をし、4月末に入寮。OBC高島の選手は地元企業などのご協力により、みんな高島市内の会社などで仕事をしていますが、トラヴィス投手の勤務先も寮のすぐそばにある食品関係の会社だそうです。まだ2ヶ月ちょっとだけど慣れたかどうか聞いたら「業務の作業ももう全部覚えました。手が動いていない時がないくらい」という返事。それはトレーニングになるのでは?動体視力も養えたりするかも。「そうですね。握力も鍛えられる」とニッコリ。
社会人野球も、会社勤めも初めてのこと。トラヴィス投手は「仕事をして練習をして、今まで知らなかった、いい経験になっていると思います」と言っていました。それにクラブチームといっても、立派な寮(大家友和ゼネラルマネージャーにちなみ『大家寮』という名前)があり、高島市内の今津スタジアムが本拠地。同じ滋賀県のカナフレックスのように球場を持たない企業チームのあることを考えれば、恵まれた環境です。
「寮のすぐ隣に室内練習場があって、その横にプルペンもある。環境バッチリですね!」とトラヴィス投手も喜んでいます。そのあと「実は熊が出るらしいですよ。今津グラウンドとかも」と教えてくれました。ほんとですかね?また善人のトラちゃんだけに、担がれているのではないかと勘ぐってしまいましたよ。もうすっかり馴染んだみたいで安心ですけど。
そういえば、ニックネームは?「今のところトラヴィスと呼ばれています」。あら、普通。阪神時代は山のようにあったよね?『トラビッシュ』とか『ブリビス』とか。「はい、タイガースの時は300個くらいありました(笑)」。300はすごい。ほんの一部ですが、こちらの記事でも書いていますのでご確認ください。。→<福井の皆様、股下1メートルのトラヴィスをよろしくお願いします!>
もうすっかりチームの一員に
7月5日からは公式戦の登板が可能になったトラヴィス投手。その前も、オープン戦など非公式戦で投げることは可能だったのですが、やはりブランクがあったため時間をかけています。「ネットピッチングしかしていなくて、今は可動域を広げるためのトレーニング中です。遠投もできなかった分、まだMAXで腕を振れていないので。大きく体を使いながら腕を振ることをやっています。そうやって回転を確かめられる。ネットピッチングではわからないから、できていると勘違いしてしまう部分もあるんです」
現在の状況は「ブルペンでのピッチングも始めましたが、間隔を空けながら真っすぐのみ。キャッチャーを座らせてのピッチングは2週間くらい前から始めたところ」だそうです。周囲の方々の気持ちを感じるのか「焦らないといけないのかもしれないですけど…」と言っていました。でも「しっかり準備して、投げられるようにしたい」と。楽しみに待っています。
野原祐也監督は「(沖縄にいたトラヴィスに)僕が声をかけました。頑張ってほしいなと思って。自分のやりたいことを、納得するようにやってくれればと思いますね」と話しています。もう馴染んだみたいで、と言うと「そうですね。あんまりしゃべらない子なので心配しましたが、溶け込めているようでよかったです」と、お兄さんのような笑顔でした。
佐竹誠人主将に聞くと「もう結構いじられていますよ」とのこと。やっぱり。
一緒に途中入団した、同い年の那須翔投手はトラヴィス投手について「メチャクチャいい人です!」と感想を述べてくれました。「同じ頃に入ったし、職場も同じなので、一緒にいることは多い」とか。とにかく、いい人だと繰り返し「一番の印象はやさしいこと。ほんとにやさしい!」と絶賛です。そして「おもしろいことも言ってくれますよ。たまにボケてくれて」という追加コメントも。それはね、鍛えられたんですよ。阪神時代の2年目で。
頼もしい打者が戻ってきました
では最後に週末のオープン戦結果を書いておきます。7月8日はびわこ成蹊スポーツ大学との対戦が、滋賀県大津市の同大学グラウンドで行われました。8回にタイムリー2本と押し出し四球2つで逆転したものの、9回に追いつかれて引き分け。また7月9日は社会人企業チームのニチダイと、こちらも先方のグラウンドで戦いました。4回までに7対0と大量リードし、追い上げられでも引き離そうと追加点を挙げたのですが、8回に7失点で逆転負けしています。
【8日】
びわこ成蹊スポーツ大学-OBC高島
高島 000 000 040 = 4
びわ 100 010 002 = 4
【9日】
ニチダイ-OBC高島
高島 030 400 130 = 11
ニチ 000 002 57X = 14
ここで、骨折から復帰した松浪遼選手(登録は捕手ながら、どこでも守れる選手)のことを少しご紹介します。もと阪神の阪口哲也選手(パナソニック)と同じ貝塚リトルでプレーしていた、1つ後輩です。5月11日に行われた都市対抗野球の京滋奈1次予選の1週間前、オープン戦で右手有鉤骨を骨折。それから2ヶ月、8日のびわこ成蹊スポーツ大学戦で試合に出場しました。
「ピッチャーの球を見ること自体が初めてだった」と松浪選手。終盤に入ってから素振りを始め、8回にはヘルメットをかぶって準備万端だったのですが代打ではなく、試合後に「不満な様子がありあり出ていた」と野原監督もチームメイトもが笑う、代走での出場です。「そんなことないですよ!」と必死で否定していましたね。
結果的には打者一巡攻撃で打席が回ってきたものの、見逃し三振に倒れ「やっぱりバッティングは難しいですね」と苦笑い。9回はファーストの守備にもついて、1日で全部こなしちゃいました。「ティーバッティングは既にやっているけど、前から来るボールを打ち始めたのが4、5日前」だそうです。打つことや走ること、捕球も問題ありませんが「投げるのはまだ時間かかる」と言います。
先日のクラブ選手権・東近畿2次予選もベンチで、またグラウンドに出て一生懸命チームを支えていました。「ケガをした自分が悪いんですけど…あの日も見ていて、悔しいより情けない気持ちだった」と無念の表情。「何もできないまま終わって、情けなくて。生まれて初めて野球で泣きました。今まで勝っても負けても泣いたことないのに」
特にあの日は、足を痙攣させながら踏ん張る選手たちを目の当たりにしたこともあるでしょうね。来年の全国大会へ向けて、このあとの公式戦で貢献してください。「はい。1日でも早く治して、DHででも出られたら」と気持ちを切り替えた松浪選手でした。なお復帰初打席は三振だったけれど、きょう9日のニチダイ戦は代打で中前打を放っています。