少人数学級ありきの政策推進は危ない。根拠も中身もあいまいなまま突き進む、教育”改革”
■「今こそ少人数学級を」との声、多数
少人数学級の実現を求める声が大きくなっています。今回の新型コロナウイルスへの対策としても、1クラス最大40人の、いわば"すし詰め"状態なのは、密につながるとして「今こそ、少人数学級を」という意見は、さまざまな組織、識者、現役の先生たち等から出されています。
政府の教育再生実行会議の9月8日のワーキンググループでは、少人数によるきめ細かな指導体制を計画的に整備する方向性を打ち出しました(次の図表)。
これを受けて、文科省の審議会である中央教育審議会(中教審)では、「新型コロナウイルス対策で児童生徒間の距離を確保する観点などから、少人数学級を実現するよう求める意見が相次いだ」とのことです(9月11日時事通信など)。
結論を先に申し上げると、わたしはこの性急な動きに大きな危機感と疑問を感じています。関連記事もいくつかアップしていますが、きょうは改めて、最近の議論の何が危ないのか、解説したいと思います。
■少人数学級(or少人数指導)ありきで議論スタート?
今回の議論でもっとも気がかりなのは、少人数学級(ないし、少人数による指導)ありき(結論ありき)で議論が進んでいるように見えることです。前述の教育再生実行会議では、専門的な見地から深い議論をするために設置されたはずのワーキンググループで、わずか1回(初回)の会議のあと、少人数指導を求めるペーパーを出していますし、中教審でもどこまで多面的で慎重な議論を経ているのか、疑わしいです(議事録がまだ出ていないので断言はできませんが、比較的詳しく報道されている記事を読む限り)。少人数学級の効果等について検証した識者らからヒアリングした形跡などは、どちらの会議にもありません。
もうすぐ来年度予算編成の作業が本格化するからとか、安倍内閣から菅内閣に代わる節目なので出せる提言は出しておきたい、といった事情もあるのでしょうが、かなり乱暴で拙速な議論であると思います。大きな問題は、少なくとも2つあります。
第一に、少人数学級(あるいは少人数指導)が必要な根拠、理由があいまいなまま、「40人学級は多いよね」というイメージ先行で、議論が進もうとしているのではないでしょうか。この点、詳しくはあとで説明します。
第二に、実は、やろうとしていること、”改革”の中身がいまひとつはっきりしません(”改革”と呼ぶにふさわしいものになるかどうかは疑問なので括弧付き)。ニュースや新聞などでは「少人数学級を推進」などと書かれていますし、実際、委員のなかには、30人以下や20人以下の学級にしていくべきだと強く主張している方もいますが(教育再生実行会議でも、中教審でも)、文書としては、正確には「少人数による指導体制の整備」などと書かれています。これは30人以下などの学級規模にするということと、イコールではありません。
官僚の作文テクニックかもしれません(わたしは官僚ではないので、誤解もあるかもしれませんが)。少なくとも2通りの意味にとれる表現になっています。ひとつは少人数学級。もうひとつは、少人数による指導です。後者は、たとえば、算数(数学)は学力の差が大きいので、通常の授業は1クラス40人×1学年3クラスでやってきたけど、算数の時間だけは習熟度別に分けて、30人×4クラスでやることなど。または、教員を追加で配置して、1学級40人のままだけど、2人の先生で児童のつまずきやすいところをより丁寧にケアしていこうということ(ティームティーチング)などです。
あるいはもっと意地悪く読むならば、一人一台のコンピュータとAIドリルなどを使って、一人ひとりの子に応じた学習ができる環境のことを、「少人数による指導体制」と言っているかもしれません。この場合、教員増はなくてもいいかもしれません(後述)。
実施する範囲(教科、学年等)や少子化の程度等にもよりますが、少人数学級よりも、少人数指導のほうがコストは安く済むことも多々ありますし、すでに自治体のなかには、一部教科の習熟度別やティームティーチングなどを進めているところも多いです。
中身をはっきりさせないと、議論のしようがありませんし、同床異夢になる可能性だってあります。また、今後の予算審議次第のところもあるでしょうが、「ポストコロナも見据えた」とか「令和の新時代のスタンダード」などと大きな看板を掲げながらも、中身は、すでに行われている、少人数指導に少しプラスした程度のもので終わる可能性もあります。
■コロナ対策を理由とするのは筋が悪い
以下では、ややこしいので、おもに少人数学級について論じます。さて、1つ目の問題点として、根拠、理由が不明瞭なまま突き進もうとしている、とわたしは述べました。ここをもう少し説明します。
新型コロナを理由に「1クラス30人以下、20人以下の学級に」という意見には、わたしは賛成しかねます。というのは、3つの意味で事実に反しているからです。
第一に、少なくともいまの新型コロナの場合、1クラス40人いるからといって、感染拡大が起きているようには見えません。文科省の衛生管理マニュアル(9月3日付け)によると、6月~8月までのあいだ「学校内感染」は計180人、事例としては31件発生しています。少子化しているとはいえ、現在も全国には約3万6千校あり、約1,300万人の児童生徒がいます。そのなかで、この数字。もちろん、油断できるウイルスではないし、学校が感染予防に努めている結果でもありましょうが、40人学級だと危ないという主張には、疑問符がつきます。
第二に、仮に、それでもやはり子どもたちを危険な目にさらすわけにはいかないというのであれば、一刻も早く少人数学級に切り替える必要があるでしょうが、その予算も教室もすぐには準備できません。つまり、少人数学級という対策には、即効性は期待できないのです。
第三に、1点目、2点目にも関わりますが、仮に新型コロナが変異したり、また新しい感染症が生まれたりして、子どもたちへの感染力が強いものが現れた場合、いくら少人数学級にしていたとしても、休校や学級閉鎖になることでしょう。他の先進国は日本よりもはるかに少人数学級ですが、休校になっていました。
以上の理由から、コロナ対策目的なら、オンラインで学習できる環境を整えるなど、別の方策のほうが優先度は高いのではないかと、わたしは考えます。
■きめ細かな指導・学習ができるか?
では、「きめ細かな指導・学習ができるようになるために、少人数学級に」という理由なら、どうでしょうか。
「きめ細かな」の意味合いにもよるのですが、これも分が悪いように見えます。教育経済学者らの先行研究によれば、少人数学級が学力向上や非認知スキルに与える影響はほとんどないか、あっても小さいというものもあります。教育効果を認める先行研究もあり、錯綜ぎみのようにも見えますが、少なくとも、莫大な税金を投入するのに十二分に効果が大きいというエビデンスは少ないのが実状ということかと思います。
ただし、こうした研究にも弱点、穴もあると思います。ひとつは、多くの場合、教育効果を限られた指標とデータでしか測定できていないし、1年ないし2~3年で現れる範囲でしか評価できていません。「エビデンス」と呼ばれるものが、すべての効果や子どもたちの様子を反映できているわけではありません。
もうひとつの弱点、限界は、従前の指導方法、学習環境を前提とした検証しかできていない、という点です。今年度は、GIGAスクール構想のもと、子どもたちが一人一台端末をもつ時代にやっとこぎつけようとしています。これは、渋谷区、熊本市など一部を除いてこれまでなかったことなので、そうした環境で、少人数学級になったら効果は高いのか、低いのかはまだわかりません。
識者のなかには、一人一台端末となって、個々の子どもたちによって学習するスピードも内容も変わってくる可能性もあるので、より個々に応じた支援をしていく必要がある、だから、少人数学級が必要なのだ、という主張もあります。一方、コンピュータやAIが手助けしてくれるのだから、教員数はそれほど要らなくなるのではないか、という見方をする人もいます。いずれにしても、仮に少人数学級を推進したいのなら、その必要性と根拠をもっと明確に示してもらう必要がありますし、専門家らは、丁寧にその主張が確からしいのか、確認していく必要があると思います。
上記2点とも重なるのですが、ひとつ大きなトレンドとして、ここ10年くらいのあいだ、特別な支援を必要とする子や外国人児童生徒が急増しています。発達障害などへの理解が広がってきたことも影響しているかもしれませんが、2008年から18年の間、小中学校等で特別支援学級に通う子は約2.1倍、通常の学級に在籍しつつ、時々支援学級に通う子は2.5倍に増えています(次の図表)。グレーゾーンなどとも呼ばれますが、そうした学級に通わないが、きめ細かなケアが必要な子もたくさんいます。
最大40人一クラスであるいまの制度は、40人の児童生徒が多様化しているなか、規模が大き過ぎるのではないか、障害や外国から来たことなどによらず、インクルーシブに多様な子がともに学べる教室にしていくためには、もう少し学級規模は小さいほうがよいのではないか、という主張は大いにありえると思います。ただし、この主張の場合、いまも特別支援教育や日本語指導では支援員らが配置されている学校も多いですが、そこの拡充などで対処したらよい話であって、学級規模をいじる話ではない、という反論はありえます。
ちょっと長くなりましたが、「きめ細かな指導ができる」などと、ざっくりした表現で煙に巻いてはいけません。どういう子にとって、どういう意味で「きめ細かな指導」が必要なのか、それは少人数学級でないと実現しにくいことなのかなどを点検していく必要があるのです。
■少人数学級以外の選択肢とも比較考慮せよ
きょうは、大きな問題点として、2点、指摘しました。ひとつは必要性の根拠が不明瞭ないし不確かであること、もうひとつは、やろうとしている中身がはっきりしないことです。この2点に関連しますが、少人数学級(ないし少人数指導)以外のほかの政策選択肢とも比較して、本当に少人数学級(ないし少人数指導)が優れた政策と言えるのか、検討していく必要があります。
たとえば、次の図表のように、2つの軸で整理することができます。横軸は、学級あたりの児童生徒数を減らしていく方向性。縦軸は、それとは別の観点で、教員の負担軽減を本気で進めるなら、教員一人あたりの授業時間を減らしていくという方向性が必要です。
詳しくは、別の記事のほうで解説していますが、小学校の教員の場合、週26コマ以上入っている人は約半数で(2016年調査)、なかには、コロナ禍のなか(あるいは、うつ病などで休む人が急に出てきたりすると)、週30時間近く授業が入っているという先生もいます。かなり大勢の小学校教諭が毎日ほとんどの授業に出ずっぱりな状態で、トイレに行く暇も休憩をとる時間もないし、授業準備や事務作業にじっくり取り組む時間も非常に少ない状況です。
これは労働基準法や労働安全衛生法に照らしても非常に大きな問題ですから、わたしは、半ば労働法に違反した状態が横行している現実を改善するために、教員数は増やすという根拠、ロジックのほうが、上記の少人数学級よりも、妥当性も必要性も高いと考えます。
また、授業時間負担が減ると、授業準備や研修・研鑽などに使える時間が増えますから、結果的には授業の質向上(子どもたちへの効果)も期待できると見ています(そう単純にいかない要素もありますが)。
参考:妹尾昌俊:少人数学級にする必要性と優先順位は高いのか?(4)他の政策(選択肢)との比較
あるいは、この縦軸と横軸の合わせ技をとることも可能です(図中の右上の2.×4. または3.×4.)。とはいえ、片方だけでも莫大な予算がかかりそうですし、どこまで現実的なのかは精査していく必要がありますし、優先順位としてどちらをもっていくのかは要議論です。
これはひとつの例で、ほかにもいろいろな政策の選択肢があります。わたしが危惧するのは、コロナ禍のなか、あたかも「少人数学級しかない」と主張する論がけっこう多いのではないか、ということです。この4月、5月に9月入学の議論が急浮上したときにも、論者のなかには「9月入学しかないんだ」といった主張も見られましたが、「ほかの選択肢とよく比べてから、述べるべきなんじゃないか」という疑問をもちました。このときと似たモヤモヤした感じが、少人数学級をめぐっても、わたしのなかには強まっています。
「きめ細かな・・・」と言っている人たちが、きめ細かな事実確認や検証、丁寧な議論をすっ飛ばしているとすれば、それは大きな問題です。
※本稿は教育新聞への寄稿記事(9月11日)をもとに加筆してアップしました。
※教員の負担軽減や授業コマ数については、拙著『教師崩壊』でもより詳しく説明しています。
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