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「急ぐ必要がある。優秀な社員が次々と辞めている」 〜スティーブ・ジョブズの成長物語〜挫折篇(10)

榎本幹朗作家・音楽業界誌Musicman編集長・コンサルタント
(写真:ロイター/アフロ)

遂に古巣へ復帰したジョブズは次々と手をうち、そしてAppleを倒産の危機から救い出す。そこには経営者失格の烙印を押された過去の姿はもはやなかった。それだけでない。彼はApple復帰時、やがて音楽産業のみならず人類の生活を一変させる革新的な技術を古巣に持ち帰っていた。没後十周年の連載企画、第十弾。

■音楽産業を救ったふたつの原石

 一九九四年。ジョブズのネクスト社は約百万ドルの黒字を実現した[1]。

 地味な数字だったかもしれない。だがApple Ⅲ、Lisa《リサ》、初代Macそしてネクスト・キューブにピクサー・ワークステーションと、その関わったすべてが赤字だったこれまでを思えば、ジョブズがディレクターから経営者へ確かに成長しつつあることの証でもあった。

 ハードウェアを切り捨てただけでない。強みに集中するため、ネクストの魂ともいえるOSすら切り離した。ネクストのオブジェクト指向環境を、ライバル陣営のWindowsやサンのOSでも使える開発ソフトに仕立て直したのである。

 甲斐あってジョブズは、大学よりもはるかにリッチな金融業界を顧客に持つことができた。金融エンジニアには、堅牢かつ直感的なネクストOSの開発環境は最適だったのだ。しかし民衆の熱狂を愛するジョブズのこころが、それで晴れることは無かった。

「あれは俺が望む仕事ではなかった。個人に製品を売れない状況に、本当に気が滅入ってしまった」[2]

 しかもこの時期、マイクロソフトもWindows NTでオブジェクト指向の環境を実現。ネクストは差異点をふたたび失ってしまった。

 一九九五年になると、彼はまったく違う分野でカムバックを果たした。

 ようやく上映に漕ぎ着けた『トイ・ストーリー』は空前の大ヒット映画となり、その直後にピクサー社が上場。無くなりかけていた資産は復活し、Apple株で得た四倍以上の富を手中にした。二年前まで「一発屋」「墜ちたカリスマ」「人格破綻者」と揶揄していたメディアは手のひらを返して彼を称賛した。

 いっぽうでWindows95の世界的ブームに痛めつけられたAppleは、惨憺たる有様に陥っていた。ジョブズはあれほど憎んでいたはずなのに、Appleの衰退を聞く度、家を飛び出していった放蕩息子の窮状を聞く父のように、胸を痛める自分に気づいていた。

 画期的な作品づくりというものが分かってない。派手に売る事しか興味が無い。かつて、そんなスカリーに対し抱いた危惧が遂に現実となってしまったのだ。

「Macの時代は終わった。同じくらい革新的なものを生み出さなければならない」[3]

 彼は、スカリーに替わってCEOとなったギル・アメリオにそう言った。それは何なのか、と問われるとジョブズ自身もまだ、うまく答えることができなかった。彼はネクストに帰るほかなかった。

 だが、彼の心は折れなかった。

 翌一九九六年。ジョブズは、忌々しいWindows95のブームと連動して興ったインターネット・ブームをしぶとく捉え、新たな製品を世に送り出した。オブジェクト指向で大規模サイトを組み上げる事の出来る、ウェブ・オブジェクトである。

 インターネット時代の到来に際し、企業はオンライン事業を急に始める必要に迫られていた。日産、IBM、ディズニーなど錚々たる大企業が、ジョブズのウェブ・オブジェクトを採用した。

 そして、ネクストは金融業界のニッチな市場から抜け出した。ジョブズは、ゴールドマン・サックスと上場の検討を始めた。忍耐強く、投げ捨てず、ようやくネクスト社を売り物になるまでに育て上げたのである。

 その頃、Appleの開発陣は暗礁に乗り上げていた。

 Windowsに追いつかれただけでない。一番手を走ってきた分、Mac OSは古びたものになっていた。日本もアジアのなかで体験する、イノヴェーションのジレンマの病状だ。

 Appleは新しいOSを創ろうとしていたが、ジョブズのようなリーダーがいなくなったAppleは、かつてのようにOSを開発し切ることができなかった。

 このチャンスをジョブズは逃さなかった。ネクストの創ったなかで本来いちばん自信のあった作品、すなわちネクストの次世代OSを会社ごと売りつけ、彼自身もAppleに復帰する。

 直後、ジョブズは社員全員にストックオプションを配るようAppleの取締役会に迫った。それもコンプライアンスをすれすれに、バックデートして価値を上げてだ[4]。

「急ぐ必要がある。優秀な社員が次々と辞めているんだ」

 それこそ社員を平等に扱い、心をひとつにする道だと考えたのである。給料だけでは平等を保ち難いことを彼は経験から学んでいた。

 そのうえで製品群を削り、社員をリストラした。

 倒産すれすれだったネクストを黒字化したのと同じ手法で、瀕死のAppleを黒転したのである。Appleは体力を回復し、ようやくiMacのような新製品が創れるようになった。

 本章は、Appleフリークならほとんどが知るこうしたエピソードを語るためのみに、書いたのではない。Appleに帰ったとき、ジョブズは音楽産業を永遠に変えてしまうふたつの至宝をたずさえていた。

 彼を含め、世界の誰もが当時それに気づいていなかったものである。偶然か必然か。同時期、インターネット時代の到来で、彼の愛する音楽の世界は、ビジネスモデルの崩壊が始まろうとしていた。

 やがて訪れるミュージシャンたちの未曾有の危機を救う、ふたつのダイヤの原石。ウェブ・オブジェクトがそのひとつめ。ネクスト OSの中核、Machカーネルがそのふたつめだ。

 ウェブ・オブジェクトを使ってジョブズは、Appleのオンラインストアを創った。そしてこれを元に、iTunesミュージックストアが誕生する。

 MachカーネルはOS Xの中核となった。魔術師テヴァニヤンは、これをどのような規格のCPUにも対応できるものに磨き上げていた。おかげでMacはモトローラのCPUから、インテルのCPUへ移行に成功した。

 そればかりでない。

 スカリーCEO時代、Appleは、コンピューターがノートパソコンよりももっと小さくなり、手のひらの上に乗る時代が来ることを予感していた。

 だがパソコンのCPUはモバイル端末を想定していない。スカリーは、モバイル端末専用のCPUを開発する会社をジョイント・ヴェンチャーで英国に立ち上げる。後に孫正義率いるソフトバンクが二兆円の巨額で買収するARM《アーム》社だ。

 同社のCPUは携帯端末のニュートンを皮切りに、iPodそしてスマートフォンに採用されることになる。ネクスト譲りのOS Xの核、Mach《マーク》カーネルは、このARMアーキテクチャにも対応可能だった。

 それは音楽産業にとってiTunesミュージックストアにも勝る、新たなビジネスモデル誕生の大切なきっかけにさえなっていく。のみならず、世界を変えてしまうのである。(続く)

■本稿は「音楽が未来を連れてくる」(DU BOOKS刊)の続編原稿をYahoo!ニュース 個人用に編集した記事となります。

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[1] オーウェン・W・リンツメイヤー, 林 信行『アップル・コンフィデンシャル2.5J(下)』(2006)アスペクト 第22章 p.122

[2] アイザックソン『スティーブ・ジョブズ Ⅱ』(2011)講談社 p.22

[3] 同 p.25

[4] 同 p.58

作家・音楽業界誌Musicman編集長・コンサルタント

著書「音楽が未来を連れてくる」「THE NEXT BIG THING スティーブ・ジョブズと日本の環太平洋創作戦記」(DUBOOKS)。寄稿先はNewsPicks、Wired、文藝春秋、新潮、プレジデント。取材協力は朝日新聞、ブルームバーグ、ダイヤモンド。ゲスト出演はNHK、テレビ朝日、日本テレビ等。1974年東京都生まれ。上智大学英文科中退。在学中から制作活動を続け2000年、音楽TV局のライブ配信部門に所属するディレクターに。草創期からストリーミングの専門家となる。2003年、チケット会社ぴあに移籍後独立。音楽配信・音楽ハード等の専門コンサルタントに。2024年からMusicman編集長

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