それでも寒冷化が正しいと思っている方へ 世界でも撤退が目立つ温暖化科学への懐疑論
前の記事(いまさら温暖化論争? 温暖化をウソだと思っている方へ)で、
「ウソだ」と強く信じている人が以下の内容を読んで考えを変える可能性は残念ながら高くないと思っている。
と書いたのだが、「それは私です」といわんばかりの方々を含め、多くのコメントを頂いた。すべてのコメントに感謝申し上げる。
個別の論点を説明し始めるときりがないので、ぜひ前回紹介したSkeptical Scienceなどを読んで頂きたい。また、これだけ複雑な問題なので、温暖化の科学への信頼の仕方が人それぞれなのは当然だと思うし、信頼をある程度留保する人がいるのもよく理解できる。
しかし、「温暖化ではなく寒冷化が正しいに決まっている」と言い切る人がいることについては、筆者はその自信の根拠に疑問を持たざるをえない。
そういう方にはもう少し知っておいて頂きたいことがある。Skeptical Scienceの該当ページに詳しい説明があるのでそちらをぜひご覧頂きたいが、筆者なりにざっと説明しておく。
太陽活動の弱まりの効果は、その大きさが問題
太陽活動の弱まりによって寒冷化がもたらされるという見方がある。太陽活動が現在弱まる傾向にあることは事実だ。
そして、17世紀ごろに太陽活動がきわめて不活発で(マウンダー極小期)、イギリスのテムズ川が凍結するほど地球が寒冷であったことがよく引き合いに出される。
では、現在弱まりつつある太陽活動はこのままマウンダー極小期並みの不活発期に突入し、近い将来に寒冷化をもたらすのだろうか。
太陽活動がこのまま弱まり続けるかどうかについては太陽物理の専門家でも予測が難しいと聞くが、ここではマウンダー極小期並みの不活発期が今世紀中に来るかもしれないことを前提に話を進めよう。その影響の大きさはいかほどだろうか。
木の年輪等を用いた北半球の過去の気温変動の復元研究(それはいわゆる「ホッケースティック」だから信じないという方は、こちらを)によれば、マウンダー極小期前後の「小氷期」の気温低下は1℃未満である。テムズ川の周辺では自然変動等の別の要因も重なってもっと寒かったかもしれないが、北半球平均ではこの程度ということだ。しかも、このすべてが太陽活動の効果でなく、火山噴火も寒冷化要因として効いていたと考えられる。
マウンダー極小期の寒冷化効果は0.1~0.3℃という研究もあるが、仮に最大限大きく見積もって、小氷期の1℃の寒冷化がすべて太陽活動のせいだったとしても、温室効果ガスの増加により今世紀中に予想される世界平均気温上昇(2℃~4℃程度)より小さい。つまり、太陽活動の弱まりが温暖化を一部打ち消すことはあっても、すべて打ち消して正味で寒冷化をもたらすとは考えにくい。
このことは、「宇宙線の減少による雲の減少」などの増幅効果がある可能性を考えたとしても同じである。今世紀に増幅効果が働くとすれば、17世紀にもそれが働いていたはずで、増幅された結果が1℃未満ということだからだ。
同様の趣旨の詳しめの解説がここにもある。
ちなみに、筆者は11月3日に名古屋大学の宇宙地球環境研究所の設立記念公開講演会によばれ、パネルディスカッションで上記の趣旨の発言をしたが、同席された太陽物理学者や古気候学者の方々もうなずいておられ、異論を聞くことはなかった。
次の氷期はあと1万年以上来ない
もうひとつ、寒冷化の主張でよく引き合いに出されるのは、1万年以上前にマンモスがいたころのような寒い「氷期」(よく「氷河期」というが、専門的には「氷期」)と現在のような暖かい「間氷期」が繰り返し訪れるというサイクルの存在だ。
長い氷期と短い間氷期がおよそ10万年周期で過去何回か繰り返されてきたことがわかっている。過去の例からいえば今の間氷期はそろそろ終わってもおかしくない。もうすぐ氷期が来るのだろうか。
結論からいえば、筆者の理解では、次の氷期は少なくともあと1万年くらいは来ない。
その理由を説明しよう。氷期-間氷期サイクルのペースメーカーは、ミランコビッチサイクルとよばれる天文学的な現象である。地球が太陽の周りを回る公転軌道の形や自転軸の傾きが、木星の重力などの影響を受けて周期的に変化する。これによって、地球に入射する太陽エネルギーの分布が変わる。たとえば間氷期に、北半球の夏の高緯度に入射する日射が少し減ると、雪が融け残って氷が年々拡大していき、氷期への移行が起こる(この過程で大気中のCO2濃度の減少などが気温変化を増幅する)。氷期から間氷期への移行はこの逆である。
そこで、天文学的な計算を行ってミランコビッチサイクルを将来まで予測してみると、次の氷期をもたらすような北半球夏の高緯度の日射の減少は、あと1万年以上来ないという結果が得られるということだ。しかも、そのような日射の減少が起きたとしても、温室効果ガスの増加が進んでいると、氷の拡大が進まない。つまり、地球の本来のリズムでいえば氷期が来るタイミングになったとしても、人間活動が原因で氷期が始まらない可能性もあるのだ。実際、現在北極圏のグリーンランドの氷床は減少が続いているわけだから、氷期の兆しはまったく見られない。
「人類世」が始まっている
人間活動の影響の大きさがマウンダー極小期やミランコビッチサイクルを凌ぐという指摘は、人間ごときの存在が惑星規模の出来事に影響を及ぼすはずがないと思っていた方々には、大きなパラダイム変化に映るのではないか。
たとえば氷期と間氷期の間のCO2濃度の差が100ppmほどであるのに対して、今の間氷期中に人間活動が増加させたCO2濃度はすでに120ppmほどである。このこと一つをとってみても、人間活動の影響の大きさに納得できるのではないか(CO2濃度変化は氷期-間氷期の原因ではなく増幅要因でしかないことに注意が要るが、変化規模のおおまかな目安としてこの比較は役に立つだろう)。
このようなことを指して、最近は「人類世」(Anthropocene)という言葉がある。地球の歴史は更新世(Pleistocene)、完新世(Holocene)などの地質時代に区分されているが、現代は、人類という一つの生物種が地球に大きな影響を及ぼすようになった新しい地質時代に入っているという認識を意味している。
科学への懐疑論から撤退が目立ち始めた
このように個別に検討していくと、寒冷化の可能性がゼロとはいわないにしても、「寒冷化に決まっている」という主張はさすがに無理筋であると筆者は思う。少し立ち止まって考えて頂ければ、多くの方が同様の結論に至るのではないだろうか。
実際、欧米でも温暖化の科学への懐疑論はさすがに分が悪くなってきたということで撤退が始まり、気候変動対策に反対する勢力の主張は、影響や対策に関する懐疑論に主戦場がシフトしてきたことが指摘されている。
たとえば、lukewarmers(「ぬるま湯温暖化派」とでも訳しておこうか)といって、人間活動が原因で温暖化することは認めるが、その影響はたいしたことがない、もしくは良い影響が多いという言説が増えてきたそうだ。
もしくは、green herring(red herringをもじったもの)といって、対策推進の主張から気をそらすためのシニカルな言説(「中国が真剣に取り組まなければ対策しても仕方ない」など)が増えているという指摘もある。この種の論者も人間活動による温暖化自体は認める傾向があるようだ。
(もちろん、これらはこれらでしっかり議論していく必要がある。影響、対策に関する筆者の主要な考えは少し前に書いたとおり。)
また、米国の温暖化懐疑論勢力の一部はキリスト教原理主義の宗教保守により支えられてきたと考えられるが、今年6月にローマ法王が地球温暖化の重大性を大々的に認め、温暖化を止めるための文化的革命まで世界人類によびかけてしまったものだから、宗教保守勢力の懐疑論離脱も進むことが想像される(ちなみに、イスラム、仏教、ヒンズーといった他の様々な世界宗教からも、宗教指導者による気候宣言が出されている)。
日本国内でも、たとえば池田信夫さんは2009年頃は温暖化の科学への懐疑論に同調的なことをよく書いておられたようだが、最近は人間活動による温暖化を認めているようにみえる。2013年に筆者がお会いしたときにも温暖化を前提に議論されていた。
池田さんといえば国際的な情報に通じており、論争における勘が鋭い方だろう。そういう方が、科学への懐疑論はさすがに筋が悪そうだとどこかで気づかれ、ポジションを修正されたのだとしたら、筆者から見てきわめてリーズナブルな変化だ。
温暖化の科学への懐疑を主張される方々の多くにとって、科学への懐疑は言いたいことの本質なのだろうか。ディベートのためのレトリックや理論武装ではないのか。周囲で撤退が始まり、梯子を外され、肝心の武装も穴だらけであることに薄々気づきながら、最後まで立てこもって守り続けるほどの価値のある主張なのだろうか。
そのような方々が本当に言いたいことは、温暖化対策の進め方への違和感などではないのだろうか。もしそうなのであれば、それをご自身の価値観とともにストレートに主張された方が、ご自身にとっても社会にとっても有益な議論になるのではないか。